「華麗なる決闘なんて存在しない」
決闘が行える広い場所を求め、宿屋"囲炉裏"から出たベアトリス一行と希望に合った場所へと案内する宗次郎。
盾を持ちながら先へ立つ宗次郎を刺し殺さんばかりに睨み付ける三騎士の一角であるアルベルトをセロが制し、先を白い布で包んだ槍を片手に持ち銀の様に怜悧で冷静なフレディが一応周囲を警戒を張り、ベアトリスは自分を静かに高めるのに徹している。
それを最後尾で鋼の騎士ドミニク・シンカは目を開いているか他者には判別出来ない程に薄く開いた目で見ていた。
これなら自分の役割に徹する事が出来る、と判断した。
ドミニクの役割。それは少しでも守るべき主の生存を高める術を見付ける事。
本来なら彼ら三騎士の一人がベアトリスの決闘代理人として決闘の場に立ち、宗次郎と戦うべきなのだが、それは出来ない状態に陥っている。
ベアトリス自らが宗次郎に尊厳の回復を主とした決闘を誓ったからであった。
物事には必ずしも規則や規律が有るとおり、決闘にも定められた正当な規則がある。その一つに尊厳の回復を誓う決闘の際は代理人を立てずに戦うべし、というものがあった。
これは金を持ち地位が高い男が昔に自らなした恥ずべき行為を正当に抹消しようと英雄と称された男の弱みを金で握って代理人とした事があった。
常勝無敗の強過ぎる騎士に誰もが太刀打ち出来ず、かの男は決闘をいいように使いやりたい放題。
それを快く思わなかった当時の王様が決闘の規則に条件付で代理人を規制する規則を加えたのがそれだ。
この規則は現在でも変わらず決闘者を律するものであり、当然ベアトリスも一決闘者として責任を果たすべきである。
異国だから規則など守る必要など無いといえばそこまでだが、彼らは騎士であり、騎士とは誇りある生き物である。
ましてやベアトリスはソマリアの大貴族の令嬢でもあり、貴族の誇りとは騎士とは比べものにならない程の重圧と身に背負う業があるものだ。
三騎士がベアトリスと宗次郎だけの決闘に入る余地はなかった。
故に責任が果たせない彼らはベアトリスが決闘を少しでも有利に進められる様に役割を自ら課している。ベアトリスは決闘とは立ち会う者達だけのものだから必要無いと拒否するだろうが、彼らの忠誠心に少しも揺ぎはない。
唯々諾々と主人の言葉に従うのが真の従者ではない。主人を常に最上、最善に導くのが真の従者である事を彼らは長き経験から知っていた。
勿論の事、その難しさも。
ドミニクは禿げ上げた頭を撫でながら目を軽く見開き、前方を観察する。
視線の先には案内の為に先頭を行く宗次郎の後姿が在った。
鋼と呼ばれた騎士、ドミニク・シンカ。
彼のソマリア王宮騎士団での役割は敵兵力の分析である。
敵が有する武力を測る事は戦場に置いて最も優先しなければならない必要事項の一つであり、常に変動するそれを正しく見極め、戦いを操作出来る人員は何時の世も必要不可欠な存在だ。
軍師と呼ばれる役職がそれに当たるのだが彼は軍略を操り人に教えを与えるようなただの知識人ではない。
一度、戦場に赴けば磨き上げられた知性と現場で叩き上げられた百戦練磨の戦場勘を使って敵軍を掻き乱し、鍛え上げられた熊の様に巨大な体躯が鎧越しの軟弱な敵の攻撃を弾き返し、鉄棒を軽々持ち上げて敵を屠る圧倒的強者である。
揺ぎ無い知性と鍛えた頑強さからドミニクは鋼の騎士と呼ばれ恐れられているのだが、その彼が静かに冷や汗を掻いた。
白く細い女の様な容姿で軟弱者に見えるがドミニクは巧妙に隠された宗次郎が持つ実力の一部分を感じ取ったのだ。
ドミニクは宗次郎の歩法に驚愕した。
敵に打ち勝つには武器の正確な長さと相手方との正確な距離感、自分に降り掛かる攻撃範囲を把握しなければならない。
故に戦いに置いて相手方との距離は非常に重要な意味を持つ。
宗次郎の歩き方は相手の距離感を乱す。
手足を左右合わせて前に出し、足を上げず摺り足に近い形で歩を進める歩法に先程からドミニクは宗次郎との距離感が正確に掴めていない。上半身だけを見ても微妙にゆらゆらと揺れていて更に分かり辛い。
たった一つの歩く技術が千の敵を観て、万の軍勢に退かなかった男に藤宗次郎と名乗る異国の青二才を脅威と観せた。
ドミニクはその僅かな情報から宗次郎が戦い慣れていると判断し、彼は自分の不甲斐無さに歯噛みした。
思えばベアトリスが決闘を受諾した際にみせた迫力、感覚的だけれどドミニクを上回る兵力の判断能力を持つセロが太鼓判を押した男である事、ベアトリスを威嚇だけで追い詰めた事を考えれば当然の事だった。
藤宗次郎という異国の青年を甘く見過ぎているのを痛感する。
決闘に持ち込ませた事が我等従者の最大の失敗だったかもしれない、と後悔しかけたが少し前にいる主人の背を見て頭を横に振った。
■
歩くこと暫らく。
宗次郎が歩みを止めて後ろを振り返った。
「日本には決闘場と言うものが在ります。それが此処となります」
踝の辺りまで草が生い茂る辺り一面何も無い草原だ。一応罠の仕掛けようもない事が一目で分かり、ベアトリスは頷く。
「問題ない。それでは約束を果たそう」
ベアトリスが金の髪を後ろで纏めている間に三騎士がベアトリスに近付き、アルベルトは盾をフレディは槍をドミニクは情報を渡した。
ベアトリスはドミニクの情報を相手方に不公平だと拒否するかと考えていたが、素直に聞いている。
「私が貴公の言葉を聞くのがそんなに不思議か?」
「はい、貴女様はそういうものを嫌うと思っておりましたので」
ベアトリスは微笑む。
「間違っていないよ。決闘の不公平は我等貴族からしたら忌むべきものだ」
「なれば、何故?」
「今はただ正直に正々堂々と相手を出し抜く貴族の業に従ったまで、それ程に私はあの男が欲しいと思っているからだ!」
主人の凛とした覚悟を灯した瞳がドミニクの微かに懐いていた敗北の不安を消し飛ばす。
其処に油断は無く、勝利への揺るがない栄光を宿している。
背を向けて宗次郎に向かい合うベアトリスにドミニクはアルベルトとフレディと共に敬礼して送り出す。
■
自然体のまま佇む宗次郎。腰元に携えた刀は抜かず、構えはない。
白い布を取り払い槍の先を露わにして盾と一緒に構えるベアトリス。
宗次郎の格好にベアトリスが合わせたのかお互いが防具を見に纏っていない状態での無防備な状態だ。お互いの些細な一撃が致命傷となりえる。
その二人の間にセロが立ち二人に通じるイング語で声を張って宣言する。
「これより決闘を始める。武器に関してはお互いが現在持ち得ている物を使用する事。決闘者以外が勝負に水を差すのを禁ずる事。勝利条件は相手方に名乗りをあげさせた方の勝利とする事。海を挟んだ異国間で多少の立会いによる問題があるが、以上の決まりを了承するか!?」
お互いの視線は相手に突き刺したまま二人はこくりと頷いた。
それを確認してセロは後ろへゆっくりと離れ、右手を挙げる。
「この右手を下げ、決闘開始の宣言が成された時。開始の合図とする――それでは……始めっ!!」
右手が振り下ろされた。
瞬間、地面が爆発する。
開始と同時に奇襲を駆けたのは裂帛の声と共に距離を詰めたベアトリスだ。
あまりの重さから馬から下りた地上戦では役に立たない槍を右手で軽々と持ち運び、風の様に動いて宗次郎に突き出す。
宗次郎は驚異的な武装と似合わない身軽な動きの早さに反応が遅れるも横に体をずらして自分の体に突撃して来た槍をかわしたが、遅れて殺到してきた盾の体当たりに体を弾かれて地面から少し両足を離してしまった。
そのまま宗次郎を倒してしまおうと盾に力を込める。
この勝負貰った、そう考えた時、爆発的な動きを強引に急停止しさせた。
盾で隠れていた筈の視界が急に開ける。
(馬鹿なっ!?)
体勢が安定しない空中で腰元の刀を引き抜き、鋼鉄製の盾を切り裂いた男の姿が驚き見開いた瞳に映し出される。
宗次郎が持つ刀の形状から咄嗟に長さを判断し、後少し反応が遅れていたら首を掻っ切られていたと気付く。冷静に守りにはいりながら頭の中で状況を整理している間に宗次郎が空中で盾を蹴り飛ばして後ろへと着地した。
二人ともお互いを睨みながら元の位置へとじりじりと下がり、ベアトリスはたった今行われた攻防を分析する。
ドミニクが齎した宗次郎が持ち得る相手の距離感を狂わす歩法の情報からベアトリスは対する策として時間をかけず突撃を敢行し、機先を制するという策を敢行したのだが、思わぬ斬撃により失敗に終わってしまった。
だが、代わりに貴重な情報を得た。
盾が通用しない武器を相手が有している。それも不利な体勢で使える。
先程の戦いから得た相手の情報だ。
無茶苦茶である。きっとベアトリスだけではなくこの場にいる宗次郎以外の全員が同じ感想を思っただろう。
相手の剣戟一つで致命傷に成り得る。
分かった以上、これより先の戦いは守りを捨てた戦いを強制的に強いられる。盾で身を守りながら剣で剣を弾き返す戦いが主流であるソマリアの決闘に慣れた一介の騎士なら軽く絶望しているだろう。
しかし、ベアトリスは絶望に嘆く所か口元を緩めた。
盾をその場に落とし、空いた左手で頬に触れる。決闘の最中に浮かべるものとは思えないほどに可憐で女の色気を持った微笑み。
その姿はあまりにも無防備で、恐怖に気が狂ったのかと思わず勘違いしそうだ。
主人の突然の変貌に従者達は心配するかと思いきや、彼らはニヤニヤと笑っていた。
「姫さんにも困ったものだぜ。やっと火が点いたようだ」
アルベルトは口元をニヤ付かせながら呟いた。
その言葉にフレディとドミニクが賛同する。
「ああ、盾を切り裂いたのには驚かせられたが、この勝負これからだ」
「戦場で戦乙女と呼ばれる我等が主の本領発揮だな」
戦乙女。
文字通りの意味以外にこの名前には恐るべき意味がある。
ソマリアの北方地方では戦乙女と書いてヴァルキュリアと読む。このヴァルキュリアとは神話の中に登場する女神の名前で、戦場において死を定め勝敗を決するという勝利の女神だ。
この人間の身に合わぬ渾名をベアトリスが付けられたのは彼女が参加した数多の戦は全て勝利で彩られているからだとセロは思っていたようだが、事実は違う。
彼女は戦場で高揚すると自然とその口元を緩めて笑みに変えていく。
次第にその笑みは微笑みになり、表情を恍惚としたものへと変貌させる。
戦場に男も女も無いがその場に女性を感じさせる彼女が現れ、その時の顔を見た彼女に敵対する相手方の敵兵は死に絶え、味方の兵達はその顔に希望を見て伝承通りの女神様だと錯覚したのが原因だ。
正に敵対する者に死を定めて、ついて来る者には勝利の栄光を与える存在だった。
彼女が笑う時。
それは相手の敗北が決まった瞬間に他ならない。
しかし、まるで死神に笑い掛けられた様な青年は不敵に嗤う。
初めてみせた愛しき者の笑みにベアトリスは嬉しく思ったが、見届けていた三騎士やセロは怖気を受けた。
場を支配する重圧が上がり、圧迫する気迫で草木が呻く声が聞こえる。
剣戟。ちゃんばら。真の果し合いを異国人である彼らは知らない。
故に其処にいる存在が如何いった者かと知る由もない。
ちゃんちゃんばらばら。
それは突如として現れた。
先程までの青年の姿を脱ぎ捨てて、隠していたものを全て投げ捨てて。
斬る事に値する者に出会えた喜びを露わに修羅は此処に光臨する。
決闘を始めてから初めて青年の形をした何かは構えをとった。右足を半歩前に出し、右手を柄に添えて少し前屈みの体勢になる。
一撃必殺の抜刀術の構え。
宗次郎の本気を感じベアトリスも合わせて槍を構えた。
次のぶつかりが決闘の山場となる予感がする。何時の間にか宗次郎の気に呑まれたのかベアトリスも殺し合いの雰囲気を醸し出している。
殺気、圧迫感、剣気、冷や汗、視線の全てが入り混じって混沌が生まれ、純粋な敵意が生じた瞬間に二人は動き出した。
突風の如く殺到する一点の突きを刹那の見切りで宗次郎が躱して懐に入り、その身を赤く染めあげる鈍った銀色が閃かんとしたが、爆発的な衝撃が鞘にぶち当たり音をたてて鞘が割れ、構えを崩される。
ベアトリスが槍を放り捨てた勢いで跳び膝蹴りを宗次郎にかましていたのだ。
お陰で上手く刀が抜けなくなった。
しかし、宗次郎も黙って遣られっ放しでは終わらない。前進していた動きを利用し、両足に力を込めて、頭突きを相手の顔面に当てながら衝撃で後ろによろめいている内に鞘を抜き放つ。
それよりも早くベアトリスの腰元から伸びて来た何かを仰け反って避ける。
剣だ。
日本人の宗次郎は詳しく知らないがレイピアという突きに特化した刀身の細い剣。腰元に常に剣を佩いていた事を忘れていた。
仰け反った反動を使い宗次郎は後方へ展開して距離をとる。兎に角、壊れた鞘から刀を抜かなければ武器にならない。何としても抜刀をしなければ。
しかし、敵も黙って待っていてくれはしない。
これぞ好機だとばかりにベアトリスは愛剣で連続的に宗次郎を突き立てる。怒涛の攻めを展開するが避けに徹した宗次郎を捉えるのは容易ではない。突いては避けてを繰り返す。
笑みを深くして突く早さを上げていくベアトリスの剣筋を宗次郎は漸く見切るのに成功して伸ばしては引いていた腕を掴み、倒れるよう前へ体ごと引く。
予想外だったのかベアトリスは驚きの声をあげた。
剣山の如くその身に突き刺さらんとした地獄を抜けて、刹那の間に彼女の背後をとった宗次郎は銀色に光輝く刀身を抜き放ってベアトリスを切り裂かんと振る。
途端に手元が狂い、刀の軌道がずれて空を斬った。
ベアトリスの後ろ蹴りが宗次郎の手に当たっていたのだ。にやりと無理矢理後ろを向いたベアトリスが笑いながらレイピアを振り、剣線が宗次郎の喉を斬り裂く軌道を通る。
宗次郎は斬り上げで剣戟に対応する。
間に合わない。
三騎士とセロはベアトリスの勝利を確信する。
二つの白刃が交差し、綺麗な十字を描く。
一つの決着が此処に成された。
■
「最高に貴公との真剣勝負は楽しかった。ソウジロウ」
宗次郎は何も答えない。
身を地面に投げ出して倒れている。
セロと三騎士は決着に驚きの表情を表していた。
「泥臭くはあったが実にいい勝負だったと私は思う」
ベアトリスは手元の愛剣に笑い掛ける。
「長らくお疲れ様」
折れたレイピアを鞘に戻し、彼女は宣言する。
「これではもう戦えまい。この決闘。貴公の勝ちだ。藤宗次郎殿」
むくりと起き上がり、宗次郎は彼女に微笑んだ。
笑顔の意味をベアトリスは真に理解する事はないが、セロの高らかな宗次郎の勝利宣言を聞きながら好きな人に微笑まれたので素直に頬を朱に染めた。
次回か、その次から宗次郎視点の物語が始まります。
御期待下さい。