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戦乙女は英雄を夢みた  作者: 毎日三拝
修羅輪廻転生の章
3/24

「そして斬り合うのだ」

 近頃、江戸の剣術業界ではとある噂が流れていた。


『東堂作次郎の娘が各地の剣術道場を荒らし回っている』


 この噂の真意を確かめようと多くの武芸者や剣士が他流試合と言う名の道場破りにあった知り合いの道場生を当たったが皆一様に口を噤むか惚けるばかりで真偽ははっきりしないままとなっていた。

 それもその筈。自身の流派こそ最強と自負している剣士が流派の恥を自ら明かす訳がない。溜まった鬱憤を晴らす為に他人へ話した所で恥の上塗りになるしかないのだ。

 案の定の結果。桜は早朝に藁屋根の家を奇襲されたり、夜陰に乗じた暗殺を企てられたりしたのだが、東堂桜当人にとっては今までに得難かった良い経験になった。当の犯人は彼女の狙いがそこにあった知らずに。 


 何故にそこまでして彼女が道場破りを始めたのか。

 その真実を語るには彼女自身を知らなければならない。


 東堂桜。まだ元服前の十四歳。

 水戸藩剣術指南役、東堂作次郎が長女として生を受ける。

 幼くして遊び半分で木刀を握り、木刀に振り回されながらもその才を父、作次郎に見出され厳しい修行を課せられた。体の発達が未熟な為に剣術の腕前は発展途上のものだったのだが、体の成長と共に未完成ながらも独自に完成した剣術を会得し、先に剣を握り同じ厳しい修行を課されていた六つ上の兄である孫十郎を瞬く間に追い越す。

 桜が十を越えた頃、同じ年頃の子供だけではなく、東堂道場門下生である大人を打ち負かし始め、作次郎の当時を知る者はその姿に幼い頃の作次郎を思わず重ねてしまうほど。

 神童。剣の鬼と呼ばれる作次郎の才を余す事無く受け継いぎ、正に剣を握るべくして生まれた申し子に違いなかった。

 その才ゆえに誰からも惜しまれる。

 大分年下に打ち負かされた道場の門下生や実力を追い越され嫉妬する兄、手ずから才能を見抜いた実の父からも哀れみの目を向けられた。

 時代は男尊女卑。女は男を点てて生きるもの。

 子を産む道具に過ぎない哀れで強かな生き物がこの時代の女という生き物だった。

 剣術は知らぬ誰かを殺し、見知った誰かを生かす守りの技。守られるべき女には過ぎたる力だ。

 才能を幾ら持っていようが、優れた剣士であろうが女性というだけで守る側である男社会の剣術業界では真っ先に弾き出されてしまうのがオチ。

 嫁に貰われ子を成せば不要になるだけの才能。東堂道場の誰もが桜の剣に憧れ嫉妬し、哀れんだ。

 父、作次郎は剣術に打ち込む娘を実に哀れに思い、早々に結婚相手を見繕い、剣の道を諦めさせてやろうと自身が気に入った相手を娘の元服前までに見繕うと考えていた。

 そして神西暦1014年の冬。桜が父を斬る理由になった事件が起こる。

 町の明かりが消えた暗闇の中、しんしんと雪が吹き積もる晩の事。

 作次郎は珍しく娘である桜に


「重要な話があります」


 と言われ、東堂道場の敷地内にある作次郎が専用の庵に人払いを済ませてじっと待っていた。

 無表情かつ無口である自身に似た娘が自分にこうして何かしらの話を持ち掛ける事など初めての事。何事かと勝手に想像する頭を落ち着ける為、目を閉じ、瞑想しながら待つ。

 待つこと数分。下駄が鳴る音が響く。


「桜です」

「うむ。早う入れ」


 下駄を丁寧に脱ぎ、作法に従って座敷へと上がる娘。

 その姿を改めて見ながら、よく俺の種からこの様な上等の娘が産まれたものだ、と作次郎は思う。

 雪の冷たさにほんのりと赤く染まる白磁の肌、白い着物に映えて引き立つ腰元まで伸びた豊かな緑の髪。自分と同じく感情を表に出さない無表情が人形の様な無機物さを感じさせ実に勿体無いが、それもある種の美に違いない。

 剣に生き、修羅の道を辿った己に似ず、間違いなく数年前に逝った妻である東堂桔梗の生き写し。作次郎の荒々しく厳めしい不細工な容姿は孫十郎が受け継いだが、娘は自分に似ずにいてくれて良かったと今更ながらしみじみ思うのであった。


「座れ」


 小さく「はい」と答える鈴を転がした様な美しい声。作次郎の声が掛かるのを待ち座らず待っていた桜は許しを得ると白い着物の裾を整えて正座をする。


「聞こう」

「はい」


 考えれば久しぶりの娘との対話に内心嬉しく思い、機嫌が良かった作次郎だが次に桜の言葉に鬼の形相へと面構えを変えた。

「国を出ようと考えております」

 その瞬間空気が変わる。四畳ばかりの狭い庵に満ちる刺す様な雰囲気。空間が今にも破裂しそうな怒りを作次郎一人が満たしていた。恐らく、常人なら数秒で耐え切れず意識を絶たれるだろう怒気に桜は平然と涼しい顔を保ちながら受け流す。

 作次郎の怒りは親として至極当然であった。手塩に掛けて育てた娘が嫁に行くのでもなく家族を捨て、国を捨てると言ったようなものだ。背後に配置してある刀掛けの上に収まった愛刀である和泉守兼定を怒りのまま取り、このまま怒りに任せて桜を脅しつけ止めさせてもいいが、作次郎は何とか思い留まる。


「…理由は」


 作次郎は溢れ出る怒りを内に鎮め、桜の真意を聞く。


「父上。わたしには夢が在ります」

「…………」


 押し黙り桜を睨みつける。


「幼き頃から憧れ続けてきた些細な夢で御座います」


 作次郎の心に住まう修羅が、もし下らぬ夢を己に語り聞かせようものなら娘でも斬る、と泡立つ。刀は左脇に置いてある。その心を覗き込んだかのようで既に桜はその瞳に覚悟を宿していた。


「桜は英雄に成りとう御座います」


 返る反応は無言。

 怒りは沈みいき、言葉無く時は過ぎる。

 やがて作次郎が口を開き


「親子の縁を切る。好きにせい」


 言葉が完全に余韻を失くした後。桜は頭を下げ静かに庵から出て行く。

 一人孤独となった作次郎は目を瞑る。


『英雄になりたい』


 誰もが抱く大願。

 女に生まれてしまった桜の身では男よりも更に難題であろう願い。その言葉に。馬鹿げた娘の戯言に作次郎は心を打たれた。打たれたしまったが故に桜と縁を切らずにはいられなかった。

 嬉しかったのだ。

 密かに作次郎は産まれ来る子供に期待をしていた。一代で辿り着いた境地である自分を継ぐであろう子を。

 でなければ、東堂作次郎の剣術は後世に残らない消え往くものになるしかないのだから。

 ところが、産まれた子供は期待外れ。

 肝心の東堂道場を継ぐであろう息子の孫十郎は生まれながらに小物であり、修羅となれる狂人でもなく、英雄になれる資質もない。期待は自然と移ろう。次に産まれた桜は女だった。今の世では絶対に大成出来ないし、女が男に教えを授けるのは屈辱であり、男として到底認められる事ではない。

 密かな想いは潰えて往くものかと思えば、絶対に己の道を歩ませる事を望めないと思うしかなかった桜が継ぐと言う。

 溢れ出す歓喜の渦が作次郎の心を支配する。

 これで作次郎の剣は次代に繋がるだろう。一先ず安堵し、作次郎は覚悟した。

 修羅の剣を受け継ぐというなら必ず己を何時か斬りに来るであろう桜の到来を。

 幼き頃から剣に狂い、女ながらに英雄の資質を持つ桜なら必ず免許皆伝の証を作次郎から頂きに現れる。

 ただ伝え往くものなら斬り合う必要はないが、作次郎の剣は修羅の剣。戦場に生きて舞う狂人の剣は斬り合う事でしか分かり合えない。分かり合えなければならない。何故なら狂っているのだから。人ではなく修羅であるから。

 その日まで作次郎は来る桜との殺し合いを夢想する日々を繰り返す。


 翌日の早朝、少ない荷物を抱えて母の父である祖父が一人住んでいた藁屋根の家屋に移り住むと、早速、桜は行動に出る。報復を主とした道場破りへ。

 太平の次代に移り変わった江戸では戦場などある筈もなく、私闘も御上から罪に問われてしまう。敵討ち以外の正式な決闘ですら喧嘩両成敗でどちらが悪くとも捌かれる。

 故に自ら作り出すしか道はなかった。早く血に慣れ、修羅場を少しでも多く生きなければ来る日に斬られるのは自分の方。英雄と呼ばれる修羅を桜は甘くみてはいない。

 桜は夢想する。

 縁は切られたとはいえ父であった男の大きな背中。

 あれに追い着き、追い越し、斬り合えば、弱ければ死に強ければ更なる修羅へと間違いなく成り果てるだろう。

 だから少しでも生き抜く為に報復に来る勇敢な愚者を斬る。斬り。斬った。日毎に赤く染まる手の平。血が滴る頬。何度も洗えど落ちずに消えぬ禍根の染みは更なる狂気を修羅に与える。

 幾度の襲撃を越え、脳内を反芻する剣戟修羅場。舞うは修羅。踊るは剣士。

 斬って、斬られて、斬り合って漸く至った修羅の道。その果てを知り得た。


 そして、彼女は英雄を斬りに行く。


   ■


 桜並木が立ち並ぶとある街道。

 夏の桜は緑の葉を茂らせて、すっかり薄桃色の花弁を忘れ去っている。

 光が満ちて闇は沈む。空が白んでいる。朝日は昇ったばかり。

 懐かしく思い出深い風景。昔、何度か家族で歩いた道を一人桜は歩く。

 何時もの浅葱色の和服に青紫の袴姿の男装ではなく、真白い上等な着物に襷を掛けている。腰元には白木で拵えた鞘に納まる日本刀が一振り。

 斬り合うに相応しい精一杯の姿がそれだった。今日は桜にとって晴れ舞台だ。

 果たし状も送っていないし、約束もしていないが桜には分かる。今日こそがその日なのだと。

 真っ直ぐの街道を一人静かに歩き、桜は漸く気が付く。

 早朝だといえ街道に人が人っ子一人いやしない不自然に。何かがおかしいと眼前を凝らすと桜は今日と言う日がその日なのだと確信した。

 今は豆粒ほどの大きさにしか見えないが遠く道の真ん中に誰かがいる。

 物々しい雰囲気を垂れ流す修羅が一人。

 近付けば近付くほどに感じる気迫。間違いなくそれは知っているものだった。

 姿がはっきり見える場所まで近付くと其処には男が仁王立ちしていた。

 桜に悪寒が走る。心地良い戦場の予感。

 作次郎は死に装束姿に桜と同じく襷を掛けている。腰元には愛刀である和泉守兼定。待ち切れず既に左手の親指が鍔を少し押し出している。少しでも不用意に近付けば誰彼構わず問答無用に斬られてしまうだろう。物々しい雰囲気を漂わせている。桜は作次郎に対して刀を構えもせず近付く。それはあまりにも無防備過ぎる行為だ。

 しかし、作次郎はぴくりとも動かない。まだその時ではないからだ。

 剣の達人には結界と言うものが存在する。間合いと言えば分かり易いだろうか。間合いとは必殺の剣が届く距離の事であり、現在両者の間合いは必殺には少しばかり遠い。

 動かない作次郎と近付く桜。両者の間に必殺が交わった瞬間に、この戦いの決着がつく。

 獰猛な獣如き作次郎の剛の気迫と清流の如く涼やかな桜の静の気迫。一歩踏み締める度に両者の相反する気迫がぶつかり歪む。

 作次郎は静かに鞘から刀を抜き、上段に構える。狙いは神速の振り下ろしによる斬殺。作次郎ほどの剣士がそれを行えば正しく必殺になるであろう一撃だ。

 対して桜はゆっくりと立ち居合の構えを歩くながらとる。神速と呼んで相応しい速度と強力な膂力を兼ね揃えた作次郎を桜が斬るには早業を可能とする居合術しかない。

 構えが生まれ、殺気、剣気、闘気などの気迫が入り乱れて空間が捻じ曲がり出す。

 桜が最後の一歩を踏み出したその時。

 一つの剣戟が生まれ、消えて往った。

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