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戦乙女は英雄を夢みた  作者: 毎日三拝
修羅輪廻転生の章
2/24

「夏の修羅」

 剣と魔法の世界イアンスパーダ。

 勇者が魔王を打倒し、英雄が千の軍勢を圧倒する。そんな地球とは異なる世界。

その世界の東の果て。その最果てにある島国の一つに地球と同じ日本という国がある。

 侍と呼ばれる戦士達が集い、黄金を抱え、不老不死の妙薬を創り出す摩訶不思議な島。

 神西暦1000年。その年、日本に一つの産声が上がった。


――おぎゃあ、おぎゃぁあ


 疲れ果て気を失う母の隣で産婆に抱えられながら自らの誕生を祝福するかのように叫ぶ赤ん坊。猿顔の小さなあどけないさ。たった今生まれてきたばかりの生命。

 赤子の父は常に無表情のしかめっ面を珍しく歪めさせて精一杯の喜びを表現し、兄となった少年は新たな生命の鼓動を感じて自身が兄になった事を自覚する。

 水戸藩が剣術指南役を仰せつかる東堂道場の主である剣の鬼と呼ばれ恐れられる東堂作次郎の下に後の剣の英雄である存在が光臨した瞬間であった。



   ■



 時の理は狂いもせず、淡々と月日は流れていき、現在は神西暦1015年。

 未来の英雄も成長して十五の歳を迎え成人の儀を迎える年の頃。

 とある道場に一人の修羅が居た。

 門下生が倒れ伏す中、道場の中心で木刀を正眼に構えて茹だる様な暑さを感じさせず、季節通りの風鈴の凛とした涼やかさを保つ人物。

 

「…田舎者などに、口惜しい」


 浅葱色の和服に青紫の袴。見ればなるほど。田舎者の侍が着る染め色を呻く様に貶す門下生。

 油断無く構えを解かず、たった今叩きのめした彼等をその涼やかな目でジロリと睨みつける。その刺す視線に耐え切れず門下生一同は顔を背けた。

 彼等との実力はそれ程に開いており、実際その差を嫌でも痛感したからこの反応も仕方ない。

 修羅は汗もかかず、時間の無駄であったとばかりに表情を一瞬顰め、木刀をしまい礼をしてから道場を出ようとする。その姿は先程までの尋常ならざる雰囲気は抜け、別人の様に見えた。

 その姿に好機とみたのであろう、まだ動ける気力が残っていた数人が一斉に立ち上がり、このまま道場の恥を知る者をただで帰すかと木刀を掲げて襲い掛かる。

 草鞋を履こうとして背中を見せていた筈だったが後ろをちらりと見ると腰元に差していた木刀を抜く。

 裂帛の気合が道場に木霊して木と木が斬り結ばれる事も無くお互いの位置が交差した。

 修羅へと振り下ろした幾つもの木刀は空振りに終わり、残心を終えた修羅が腰元に再度木刀を差すと男達は一斉に倒れ伏す。

 力無く動けもしなかった他の門下生はその姿を見て「莫迦な」と口々に呟き、修羅の見事な剣技を素直に受け止めならざるを得なかった。

 居合術。またの名を抜刀術。元々は座敷での座ったままの状態から反撃するというもので、それですら一介の剣士が身につけられる生半可なものではなく、長年の月日が可能とさせる剣技の粋とも言える技術であるのだが、それを立会いで且つ鞘が無い木刀で再現し、見事三人もの屈強な男を一瞬で打ち伏せたのだ。武芸者としての格が違うのを飲み込まざるえない。

 律儀に礼をし直し出て行く修羅の背中に今一度襲い掛かろうとする愚か者はその場に居なかった。


 魔物がひしめく江戸の剣術世界。その無情な界隈で江戸に行けば一度は耳にするであろう名門道場に修羅という嵐が過ぎ去ってから一刻(大体現在の30分位)。誰かの通夜が行われたかのように静まり返る道場内。

 その道場の中心に一人の男が座している。

 四十過ぎの武芸者としてあぶらがのりきった顔の厳つい男が眉根に皺を作り、目を閉じて、じっと堪えていた。


「どうであった。例の修羅殿は」


 男がしゃがれた声のした方を体ごと向き直すと平伏す。


「はっ! 相手にもならず門下生三十人全員が打ちのめされました! この失態は井上先生から門下生を預からせていただいているこの真之介の不始末! 腹を切って詫びる所存!!」


 真之介のこの言葉は当然であった。剣を持たせ、自らを守る術を教える剣術道場を預かる師範代がどこぞの馬の骨に門下生全員ごと負けたとあっては翌日には表も歩けない恥を晒したと同じ事。それ以上に道場の評判を地に落とす原因を作ってしまったのであるからである。

 厳しい沙汰を待つ真之介に思いもしない言葉が投げ掛けられた。


「よいよい。頭をあげい」


 真之介が恐る恐る頭を上げると其処には六十を過ぎるであろう白髭を蓄えた好々爺然とした老人が床に座っていた。


「…よろしいので」

「くどい。一度言った事は曲げぬ。お主が責任をとらずともよいのだ」


 納得のいかない顔を見せる真之介の態度に井上先生と呼ばれた老人は嘆息する。


「江戸で五本指にも数えられるお主も負けたいうのだから噂は本当なのだろうな。で、あれば負けるのは必然。アレも吹聴する性格でもないし、万一したとしても今の江戸ではアレに負けてお主を詰る者など居はせんよ」

「それでは、やはり…」

「うむ。聞く限りアレは剣の鬼、東堂作次郎の実子で間違いないじゃろうて」


 剣の鬼、東堂作次郎。水戸藩の剣術指南役であり、その名は江戸処か日本いや世界にすら名を轟かせる敬う武芸者にして勇猛な英雄。

 刀を振るえば鬼を斬り、仏と出会えば仏を斬り裂く戦場の修羅にしか極められない剣を極めた際物。

 戦場や真剣試合の場で出会えばまず間違いなくどんな高名な剣豪でも斬られたらしい。現にこの老人は当時の三本指に数えられる剣豪であったが、他流試合で作次郎にあっさりと負けている。剣士としての誇りごと斬られてしまったが真剣の場に出ていなかったのが責めてのもの運だったのかもしれない。

 当の本人と言えば妻子を得てからすっかり丸くなり剣術に明け暮れる日々を捨て、預かる門下生の指導に務めている、というが、その子供となれば別。若き日の作次郎を思い返させる様な武芸者として生きているのは子供としてむしろ当然なのだろう。


「兎に角、お主は恥じる事はない。話を聞く限り、アレは規格外じゃろう」


 あの時は油断していた、などの否定の言葉を真之介は何とか飲み込み、唇を噛み黙って井上の言葉に頷く。


「それにしても惜しい事じゃて…」

「…はい」


 井上が呟いた言葉を今度こそ素直に肯定し、真之介は己ごと門下生を打ちのめした修羅の姿を脳内に思い浮かべた。

 一撃の下に倒れ伏し、見上げた時の勝者の姿。

 上等な絹の白い足袋を履き、青紫色に綺麗に染まった袴、田舎臭い浅葱色の和服。整った造詣に幼さを残しした輪郭、濃い眉。ぞっとする切れ長の瞳が此方を見下ろす姿。痛みに呻く敗者を無視し一歩下がって礼をして道場を去ろうとする後姿。腰元まで伸びた緑色の黒髪を後ろで纏めて下げ、馬の尻尾の様に揺れていた。 

 少女。

 かの修羅は歳相応の背丈の小さな女子であった。

 その事実に井上は同じ武芸者として惜しく思い、真之介は嫁入り前の幼い女子を多くで囲い、叩き伏せようとした己の下衆さに身を恥じるばかりであった。

 


   ■



 砂利を草鞋で踏みしめる音が鳴る。

 先程まで修羅と呼ばれていた少女は林の中の人気の無い道を一人歩いていた。

 辺りを警戒しながらも凛として歩くその姿はとてももうじき十五を迎える乙女には見えない。一端の武芸者が放つそれと同質の気を常に放っている。

 試合と言う名の道場破りをした日。少女は必ずこの道を通って家へと帰っていた。

 道場の門下生及び主の襲撃に備えだ。

 失態を吹聴され道場の評判が落ちる前に勝者を不意打ち、土の下にて秘密を抱えたまま眠ってもらう。そんな事はこの江戸ではさして珍しい事ではない。現に井上道場だけではなく、それ以前に多くの道場を訪れ打ちのめして来たこの修羅は帰り道に襲われた事など一度や二度ではきかない。

 幾度も来る度に返り討ちにしてきたが囲まれてしまい危ない場面も少なからずあった。

 その襲撃に対する経験を生かす結果がこの帰路である。

 人気のない道を行けば無闇に赤の他人を巻き込む可能性が低く、林の木は障害物となって多対一の対峙へと持ち込ませない為の工夫であった。いくら修羅とすら呼ばれる少女でも複数の相手を一人で相手取るのは楽ではない。

 殺気、剣気、闘気、そして狂気。

 武芸者が人を殺す時に入り混じる空気を何も感じる事すらなく、順調に少女は帰るべき家の近くまで着いていた。この空気に対して少女は井上道場の門下生達が口封じ次いでの仕返しが来ないと知る。今後来るとしたら草木も寝静まる夜陰に乗じてだろう。

 少しばかり気を緩め、警戒に回し中々進んでいなかった歩を早める。

 足を止めた先。

 其処には江戸一番の東堂家の剣術道場ではなく、藁屋根の寂れた一軒家が建っている。

 躊躇無く敷地に入り、戸を開くと草鞋を綺麗に脱ぎ去るとすぐさま畳が敷かれた中心へと進む。

 膝を着き座ると座禅を組み、瞑想に入る。

 これは仕上げだ。

 今日、真剣の代わりに木刀で斬ってきた者を頭に思い浮かべ、空想の中で試合をなぞる様に再び一人ずつ斬っていく。

 頭を斬りつけ、小手を斬り払い、胴を薙ぎ斬る。

 しっかりと脳裏にその映像を叩き込むと少女は腰元に差していた脇差を電撃の速さで抜き払い空を切り裂いた。短い刃渡りの白刃が煌く。

 その手応えに一度頷き、少女は覚悟を決めた。

 道場破り紛いの事も今日で打ち止め。

 そして明日からは――


「……英雄を斬ってみせよう」


 剣の英雄にして自身の父である東堂作次郎。

 その大きな背中を見て育った英雄の卵とも言える彼女は漸く回り道を止める。

 明日。

 自身が誕生して十五回もの祝福を受ける日。

 東堂作次郎が長女、東堂桜は父を斬ると決めた。

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