「夢幻の如く泡と消える」
人間終わる時は儚いものだ、と誰かが言った。
事実、現在一人の老人が長く見事に生きた生涯を呆気なく終えようとしている。
老人も既に覚悟を決めていたらしく表情に淀みは無い。前のめりに倒れたら粛々とその時を受け入れるのみ。何時か来るべき時が来た。つまり、そういう事だと受け入れているらしい。
老人の人生は波乱万丈な人生を送った訳でもなく、常識的な日常に溶け込み、ただ日捲りカレンダーを毎日捲る機械的な人生だったと言ってもいい。
実際、今日という日も何時もと何も変わらず過ぎ去っていく生活の一部分であろうと思っていたのだ。
いざ時が来れば漸く退屈な作業から開放されたようだと悟った。
生きていると様々な事態が起きる。
緩やかなに過ぎていく日々や小説よりも余程奇である非日常。その一部分であり、最後の締めが今と言う訳か。
老人は夢枕で走馬灯を想い描く。
この瞬間を迎えるまでの時間が脳内に惜しげもなく溢れて過ぎ去っていく。
生き汚い恥を晒したな。何度も晒した。
生んでくれた親に感謝の言葉もなく逝かせてしまった。
恩人に恩を仇で返し、取り返しの付かない事態を起こした。
送ってきた人生に恥以外のものはなく、誇るものなどありやしない。
思い返せば腐リきった人生で後悔する理由なら正に腐るほど身に覚えがあるが、不思議と老人の心中に後悔の"こ"の字も生まれなかった。いや、それは老人が後悔だけはしないと誓っていたからかもしれない。
そんな人生にそれ以上執着も無く、悔いも無い。
されど老人には悔いも無いが願いならあった。
ひっそりと幼心に置き去ってしまった小さな願い。
幼き頃なら誰しもが思い描く理想の姿への夢。
見知らぬ誰かに内の音を語り聞かせようものなら一笑に終えるだろう恥ずべき願い。
恥を忍んで言葉にすれば、老人は英雄になりたかったのだ。
誇りある人生を駆け抜けて次代に語り聞かせられるような大英雄になってみたかった。身一つで生き抜き、自ら道を切り開く。そんな童話や御伽噺に登場する大した存在になりたかった。
しかし、現実とは非情であり、幼き子供が思い描いた夢など到底叶う筈がない。老人のささやかな願いは生まれたきた瞬間に打ち砕かれるしかなかった。
其処は平和な世界であった。
戦うべき剣も必要無い、守るべき盾も必要無く、絶望的な力を有した明確な敵の存在すらない。
剣の代わりにペンが敵を攻撃し、盾の代わりに権利が物を言う世界。
戦争も差別もない平和な時代では老人は普通の人間として普通に生きていくのを強いられていた。
それは確かに至上の幸せであり、本来ならこんな時代に憧れはするものの不満などあろう筈もないのだが、この一点のみ老人はこの時代に生まれてきてしまった事を呪った。
魔物を討ち、囚われの姫を救い出す武器は仮に使えても持てず。人間に敵対する存在はもはや人間しかいない。この世界は英雄なくして既に救われてしまっている。存在意義すら保てない邪魔な存在。
剣を持ち、盾を構え、鎧も身に纏って敵を探せど警官に捕まり牢屋に入れられお笑い種になるのが関の山。
故に未練などある筈も無く、悔いも無く、残すものなど無く終われる。
目を瞑り、末期に願うのは「来世は願いを叶えられる世界でありますように」と。
この日、一つの命の灯火がふっと消えた。