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キュウソ

作者: 要徹

本作品は『ももこと。vol.2』に掲載させていただいた作品を加筆修正したものです。

 青々と生い茂る草むらに逃げ、色取り取りの花が咲き乱れる花壇を乱し、罠にかかりそうになり、獰猛なイヌに吠えられても、まだまだ彼は逃げる。自らの命を保つためには、奴から逃げなくてはならない。一度捕まればその四肢は噛み切られ、瞬く間に絶命してしまう。このように恐怖を感じることを生存本能とでもいうのだろうか。とにかく彼は止まることなんてできない。


 彼の後ろからは、腹の出っ張った、毛むくじゃらのネコが矢を射るような勢いで迫ってくる。桜色をした鼻の周りには黒い斑模様があり、絨毯に零したコーヒーのようだ。ネコはその愛くるしい見かけとは裏腹に動きは素早く、彼よりも少し及ばない程度の俊敏な動きを見せる。だが、その間は着々と縮められつつある。


 きみが想像している通り、追いかけられているのは我々の仲間である。ネズミ、と言えば理解できるだろうか。きみたちの世界で、ネコにネズミはつきものだそうじゃないか。我々の世界でもそうだ。あるアニメーションではネコとネズミが仲睦まじく暮らしているそうだが、現実の世界はそう甘くない。我々ネズミにとっては、神よりも、そして妻よりも恐ろしい生物だ。仲睦まじいだなんて、とんでもない幻想だ。


 それにしても、このネコという生物は醜悪極まりない。弱者にはこれだけの勢いで迫ってくるくせに、人間には甘えた声をだす。これだけ八方美人で醜い生物がどこにいようか。


 人間どもはよくもまあ、こんな生物を好き好んで愛でようと思うものだ。きみたちは見かけの愛くるしさに騙されている。ネコに対して、我々ネズミの処遇の悪さと言ったらない。よく、ドブネズミとかいう言葉を耳にするが、ドブネコという言葉があっても良いくらいだと思う。それほどまでに、ネコという生物は醜いと、我々は認知している。


 さて、どうしてこうなったのかという発端だが、それはかれこれ朝まで時間は遡る。


 今追われている勇者が、突如としてこんなことを言い始めたのだ。


「我々ネズミはネコに屈するべきではない。我々が残飯を漁り、奴らばかりが美味い飯を食うなど、耐えられない! お前たちもそうは思わないのか! 奴は、自らが美味い飯を働かずして得ているくせに、時として我々の餌を力に任せて奪い取り、我々を餌とする。飢えて死んでいった仲間たちも多くいる。餌を探せば死。探さなくても死――。私は、そんな恐怖にとりつかれた生活を送ることが嫌で仕方ないのだ!」


 私もその点に対して不平、不満を日々漏らしていたので、彼の言うことには概ね賛成だった。きっと、他のネズミたちも同じ気持ちであっただろう。しかし、奴とは力の面で決定的な差がある。ネズミがネコに勝てるはずがないのだ。だからこそ、我々は現状の生活を甘んじて受け入れている。


「ネズミはネコに勝てない。誰がそんなものを決めたのか。今まで、我々の仲間でネコに挑んだものがいたのか! いないはずだ! ならば私が身を呈して証明してやろうではないか! 餌を奪ってきてやる!」


 一匹オオカミならぬ一匹ネズミ……。無謀なものだ。誰もが不可能であると本能で悟っている。彼以外の全員が無理だと思っているのに、一匹として彼を止めるネズミはいなかった。呼び止めないという行動の裏には、わずかばかりの希望があったのだろう。


 勇者は即座に行動を開始させた。


 我々は命を賭して、勇猛果敢にネコへ挑戦する彼を思い浮かべたのだが、やはりそこはネズミだった。こそこそと隠れながらネコの餌が置かれている場所へ近づいていくことが精いっぱいであった。


 我々は暖炉の上に飾られている食器の裏から様子を窺っていたのだが、今のところどこにもネコはいないし、気配も感じない。


 このまま上手く奴の餌をせしめれば、我々の勝利だ。――もっとも、それを勝利と呼んで良いのかどうかは判断できないが、少なくとも我々は無力でないと証明され、間違いなく仲間たちの勇気となるだろう。


 恐る恐る近づいていき、餌まで後数メートル。


 数センチ。


 そして目前――。


 まるで宝を目前とした冒険者のように、彼は餌を恐る恐る齧り始めた。それから餌をハムスターのように口いっぱいに含み、がっつき、我々の方を見て笑んだ。遠距離からでも分かる程に喜色満面の彼は、今も小さな脳に、鮮明に記憶されている。


 と、その時である。我々は彼の後ろに潜む、黒い影を確かに見た。必死になって彼に危険を伝えようとしたが、あまりの喜びの為か、こちらを見向きもせずに餌を頬張っていた。張り裂けんばかりに頬を膨らませてこちらを振り返った時、彼は噴飯した。


 目の前に、確かに、ネコがいる。


 彼にとって、あまりに衝撃的な出会いだった。その時の衝撃の度合いは、とても筆舌に尽くしがたいものだ。二匹の間に電流がばちばちと走り、風が凪いだ。世界はモノクロに染まり、植物も、物質も、あらゆる生物が命を失った。


 どれくらいの時間が経過したか分からぬが、ネコの興味津々な声によって、止まっていた時は動きだしたのである。世界が時を刻み始め、自らに魂が戻ると、あれだけの啖呵をきっていた勇者は一目散に逃げ出した。


 そして、冒頭で示した現状である。みっともないことこの上ないし、勇者という言葉はまったく似合わない。だが、我々のために勇敢な行動を起こしたことだけは評価せねばなるまい。そして、勇猛果敢な彼を我々は最後まで、命が果てるその時まで見届けてやらなければならない。それが我々、臆病なネズミたちの使命ではなかろうか。


 しかし、その使命ももう終わりそうだ。


 室内では分が悪いと考えたのか、彼は外へと飛び出したのだが、それが災いして袋小路に追い詰められてしまった。


 薄汚い路地で、我らの勇者は体を震わせて怯えている。顔色は窺えないが、きっと顔は血の気が失せて真っ青だろう。目前に迫った死を受け入れているのか、彼はぴくりとも動かず、体毛が微かに震えているだけである。


 ネコは舌なめずりをして、ゆっくりと勇者の元へ、じりじりと近づき、牙を光らせ、爪を伸ばす。爪が勇者の腹に突きつけられる。


 もう駄目だ。やはり我々がネコに勝利するなんて、夢のまた夢だったのだ。


 誰もがそう思った時である。我々が一切予想していなかった、いや、まったく予想しえない、驚くべきことが起ったのだ。それはもう、凄いことが。


 ネコが大きく手――脚か――を振り上げた時、勇者がネコの手にがぶりと噛みついたのだ! それだけではない。小さな、小さな爪でネコの憎たらしい面をひっかいた! 奴の手からはじわりと血が滲み出し、その面には赤い線が一本引かれた。


 ネコは突然の出来事に慌てふためき、その場を逃げ回った。その時のネコの哀れな姿と言ったらなかったし、彼の勇敢な姿と言ったらなかった。我々は無様なネコを見て、物陰で笑い転げた。


 人間の世界に、窮鼠猫を噛む、なんてことわざがあるらしいが、良く言ったものだと私は思う。この状況は、まさしくそれなのだ。


 それからも、我らが勇者の攻撃は片時も止まなかった。鋭い歯で噛みつき、血を流させ、奴の肉の一部を食らった! その時の彼は、もうネズミではなかった気さえする。それ以外の何か、一種の猛獣だったようにも思える。一時でも、彼は勇者ではないと思った自らを恥じなければならない。


 我々は、その時の光景を今でも鮮明に覚えている。もう、忘れることなど到底できない。強烈に脳に残った彼の雄姿は、未来永劫(えいごう)子子孫孫(ししそんそん)語り継がれていくことだろう。


 さあ、お話は終わりだ。ご清聴に感謝する。


 何? その勇者はどうなったのかって?



 そんなの、食べられたに決まっているじゃないか。





 トムとジェリーって名作ですよね。何度見ても飽きません。



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