第1話 婚約破棄
「セレナ・アーヴェル!お前との婚約を破棄する!」
王城の謁見の間に、王太子グレイ殿下の声が響き渡った。居並ぶ貴族たちが一斉にざわめく。
私はゆっくりと顔を上げた。
……来たのね。
この日が来ることは、分かっていた。
「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
静かに問いかける。
「決まっているだろう!お前は地味で華がない。それに比べてリリアは聡明で愛らしい!」
殿下は隣に立つ令嬢の肩を抱き寄せた。勝ち誇ったような笑みを浮かべるその姿に、周囲の空気がわずかに冷える。
私は一度だけ目を伏せ、そして頷いた。
「承知いたしました。では婚約は解消ということで」
あまりにもあっさりとした返答に、殿下が眉をひそめる。
「……それだけか?」
「はい。それ以上、何か必要でしょうか?」
視線をまっすぐに返すと、殿下は一瞬言葉に詰まった。
私は内心で小さく息をつく。
――本当に、何も知らないのね。
「では、失礼いたします」
軽く礼をして踵を返す。そのときだった。
「待て!」
鋭い声が背中に突き刺さる。
「勝手に話を終わらせるな!お前はこれから――」
「王家の事業からも手を引きます」
足を止めたまま、振り返らずに告げた。
一瞬、場が静まり返る。
「……は?」
間の抜けた声が響いた。
「これまで担当していた交易管理、資金調整、魔導具の供給、すべて停止いたします」
ざわ、と空気が揺れる。
「な、何を言っている……」
「申し上げた通りです。婚約者として行っていた業務ですので、解消される以上、継続する理由はありません」
そこで私はゆっくりと振り返った。
「問題はございませんよね?」
にこりと微笑む。
その瞬間、宰相の顔色が変わった。
「で、殿下……それは……」
「なにがだ!」
「現在の王家の収入の大半は、彼女の管理によるものです……!」
空気が凍りつく。
グレイ殿下の顔が、目に見えて青ざめていく。
「な……に……?」
「さらに魔導具の供給も止まれば、防衛体制にも重大な影響が――」
言葉が続かない。
私は静かに視線を逸らした。
「ご安心ください。すべて契約通りですので、違約はございません」
淡々と告げる。
その一言が、現実を突きつけた。
「ま、待て……セレナ……!」
殿下が一歩、こちらへ踏み出す。
「それは……困る……!」
「なぜでしょう?」
私は首を傾げた。
「私は“地味で華のない女”なのですよね?」
ぐっと言葉に詰まる殿下。周囲の視線が痛いほど集まる。
「そ、それは……」
「新しい婚約者様がいらっしゃるのですから、問題はないはずです」
静かに言い切る。
もう、情は残っていない。
そのときだった。
「――その令嬢、こちらにいただいてもよろしいかな」
低く穏やかな声が、場の空気を切り裂いた。
振り向くと、銀髪の青年が立っていた。整った容貌と、余裕のある佇まい。
「私は隣国ルミナスの第二王子、アルベルトだ」
ざわめきがさらに広がる。
彼はゆっくりと私の前まで歩み寄り、優雅に一礼した。
「話は聞かせてもらった。実に優秀な方のようだ」
「……過分なお言葉です」
「いや、事実だろう」
穏やかに微笑む。
「もし行き場に困っているのなら、我が国に来ないか?」
一瞬、息が止まる。
「待遇は保証しよう。それに」
彼は少しだけ声を落とした。
「君の価値を、正しく理解する者のもとにいるべきだ」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。
……この人は、見ている。
私はゆっくりと頷いた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
その瞬間だった。
「待ってくれ!!」
グレイ殿下が叫ぶ。
「やっぱり婚約破棄はなしだ!今のは冗談だ!」
場が凍りつく。
「お前がいないと、この国は……!」
「申し訳ありません」
私は静かに告げた。
「冗談で切り捨てられるほど、軽い立場ではありませんので」
一歩、距離を取る。
「私はもう、あなたのものではありません」
その言葉に、殿下は崩れ落ちた。
アルベルト殿下が、そっと手を差し出す。
「行こうか」
「はい」
その手を取る。
もう振り返らない。
背後で誰かが何かを叫んでいたが、どうでもよかった。
新しい場所で、新しい人生が始まる。
そして隣にいるこの人は――きっと、それを共に歩んでくれる。
そう確信できた。




