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最終話:Goodbye

 階段を下り、一番最初に入った部屋を通り過ぎて、渡り廊下を奥へと進んでいく。私に歩幅に合わせて歩いてくれているが、心なしかさっきよりも歩く速さが上がっている気がした。奥まで進んだかと思うと、立ち止まったり何度か曲がるように促されたりと、入り組んだ廊下を進んでいく。

「段差があるから気をつけて」

そう注意を受け、四・五段ほどしかない階段を下ると、床がコンクリートに変わったのが足の裏で分かった。彼の靴の音が反響して、床の底へと消えていく。

さらに先へ進むと、扉が開く音が正面から聞こえ、扉にぶつからないように誘導されながら歩く。空気が変わり、微かに花の甘い匂いがした。

 外に出たことを認識し、それに合わせて杖を伸ばす。アスファルトやコンクリートが当たる感覚を覚え、歩行者用の道を歩いているのが分かった。靴を履いていないので足の裏に小石が食い込んで痛かったが、我慢する。

 たまに鳥の鳴く音や、車が走る音、子供のはしゃぎ声が聞こえてきた。

「もう異空間は抜けたんですか?」

「うん。でもまだ君の世界じゃないんだ。見えていないから分からないと思うけど、ここはあの世だよ」

「あの世?」

「僕みたいな例外を除けば、人間は死んだらここに来る。死者の街って言えばいいかな。みんな順番を待っているんだ。自分の番が来ると天に連れていかれて別の生命体になる。すぐには順番が来ないから、気長に暮らしながら待っているんだ」

「UFOキャッチャーみたいですね」

そんなことを話しながら歩いていると、一際デコボコした物に足が当たる。それが慣れ親しんだ点字ブロックであることは、すぐに分かった。

「あの世にも点字ブロックがあるんですね」

 コンクリートから点字ブロックに足を移動させ、なぞるように歩く。

「意外だよね。あの世もこの世もそう違いはない。あるとすれば、景色が全て白黒ってことぐらいかな」

「そうですか、安心しました」

「安心?」

「死んだとしても、移動には困りませんから」

 杖で点字ブロックを軽く突く。コツコツと軽く鈍い音がした。

「うん、そうかもしれないね」

 それから段々口数も減り、無言で街を進む。聞こえるのは私たちの足音と、杖を突く音、街の雑音だけ。夕暮れを示すかのように、カラスの鳴き声が喧しく鳴いていた。

 十分ほど歩いただろうか。不意に彼が足を止めた。それにつられて私も止める。今まで踏んできた線状の点字ブロックが、点状のものに変わっていた。

「ここを左に曲がって、少し進むと扉がある。そこに入れば、戻れるよ」

 そう言って握られていた手が離される。私は向き合うように体を動かした。

「それじゃあ、またね」

「はい、とても楽しかったです」

 遊び終わった後の友達のような短い会話をして、別れを告げる。

 後ろを向き、一歩進もうとしたが、直前で足が止まる。

 迷い。一瞬の迷いが頭に過り、気づいた時には、もう一度向き直るように彼のいる方向を向いていた。

「……? どうかしたの?」

 私が去っていかないのが気になったのか、彼がそう聞いてくる。

 私よりも背が高いであろう彼に合わせて、見上げるように顔を上げた。

 激しく心臓が鼓動し始め、寒くもないのに鳥肌が立った。

 それはまるで、告白をする前触れのような、何とも言えない雰囲気が私たちの間に走っていた。

「……貴方には、感謝しなければいけません」

 言うべきかどうか、迷っていた言葉が口から出る。

「はは、大したことじゃないよ。紳士だからね、僕は」

 真正面から感謝されるとは思っていなかったようで、少し照れ臭そうに彼が笑った。

 今なら、まだ引き返せる。そんな言葉がどこかから囁かれた気がした。

しかし進んでしまった以上、もう後には引けない。

「そのことではありません」

 彼の言葉を、私はすぐに否定する。

「少しだけ、私の話をさせてください」

 そう短く前置きをして、私は全てを話した。

「私がこうなってしまったのは、今から三年ほど前のことでした。中学二年生の時です。ある日私は、トラックに轢かれてしまいました。両目にガラスが突き刺さって、手術をしても手遅れでした」

 あの時のことは今でもよく覚えている。珍しく雪が積もって、雪を踏む感触を楽しみながら家に帰る途中だった。信号を渡ろうとした時、急にトラックが私に向かって突っ込んできた。後で聞いた話だが、道が凍っていてタイヤがスリップしてしまったらしい。

 私が人生で最後に見た光景は、目を光らせながらイノシシのように突っ込んでくるトラックだった。

 意識を取り戻したときには、すでに視界には何もなかった。

「その日から、私の生活は大きく変わりました。一番辛かったのは、家族の態度が変わったことです。私が盲目になってから、厄介者のように扱われました。近所の方の目に触れるところでは私に優しくしていましたが、家の中ではそうではなかったんです」

 事故に遭う前は、かなり可愛がられていたと思う。両親からしてみれば、私は会社や財産を相続する後継者。しかしその娘が盲目になったのだから、話は変わってくる。

「両親は私よりも、妹を可愛がるようになりました。妹も妹で、私を叩いたり罵声を浴びせてきたりと酷いものでした」

 妹に関しては、素直に怒ることができない。私ばかりが愛され、妹は蔑ろにされていたからだ。立場が逆になって、今までの鬱憤が溜まっていたのだろう。私はそれを甘んじて受け入れていた。

 唯一の救いは、中学の同級生がみんな優しかったことだ。私が盲目になっても男女問わず仲良くしてくれたし、何度も助けられた。家にいるよりも、学校にいるときの方が居心地が良かった。

「最初は家族の態度の変わりようが悲しくて、毎日人目を忍んで泣いていました。でも、慣れって怖いですね。一年も経てば、そんな状況にも何とも思わなくなりました。もう私にとって、家族は家族ではなくなったんです」

 彼は何も言わずに、静かに私の話に耳を傾けていた。

私は一呼吸挟み、息を整える。唾を飲み込み、自分を鼓舞するために杖で一度地面を叩く。そして、その言葉を吐き出した。

「だから私は……貴方たちがしたことを怒っていません」

 ぴゅっと、一陣の風が吹いた。

 全ての物体の動きが、粒子が、時間が、一瞬だけ止まり、再び動き出す。

 彼が今どんな顔をしているのかは私には分からない。このまま気づいていないフリをしても良かったが、あえて打ち明けることにした。そうしても彼が私に何か危害を加えることがないと判断したからだ。

 彼が頭を掻く音が聞こえ、無言だった口が開く。

「……いつから、気づいていたのかな?」

 はぐらかされると思っていたが、意外にも彼はすんなりと認めた。

優しさを帯びていた声ではなく、ツートーンほど低くなった声。きっとこれが、本当の彼の声なのだろう。

半分ほど勘も混じっていたが、さっきの言葉は合っていたようだ。

「ノストラダムスは、フランス人ですから」

 少し微笑みながら、種明かしをする。彼の演技はほぼ完璧だったが、ミスもあった。それに気づかなければ、私は最後まで信じ切っていただろう。

「そっか、やっぱりバレちゃったか……」

 彼も自分のミスに気づいていたらしく、悔しそうな声で言った。

「演劇の経験があったんですか?」

 興味本位で彼に尋ねてみる。

「まあ、一応ね。本当は君が帰ってくる前に全部終わってるはずだったんだけどね。想像以上に長引いて、君と鉢合わせになってしまった。だから咄嗟に嘘をついたんだ。演技はそれなりに自信があったけど、盲人に見破られるようじゃ、やっぱり僕には才能がなかったみたいだね」

 落胆した様子で彼が大きな溜息を吐いた。その言葉から、謎だった彼の過去が少しだけ見えた気がした。

「いいえ、見事な演技でしたよ」

 慰めるつもりはなかったが反射的に言葉が出た。

 本当に見事な演技ではあったが、私が相手だったからこそ成立したとも言えた。

「貴重な経験でした。本当に、ありがとうございました」

 もう一度、彼に感謝の気持ちを述べ、頭を少し下げる。

 嫌味でもなんでもない、素直な気持ちだった。

 こんな経験は、多分一生できないだろう。

「いや、感謝されても困るよ。君は……これから独りなんだよ?」

 少し震えた声で彼が言った。どうやら私の今後を心配してくれているらしい。

「別に構いません。さっきも言いましたが、私は怒っていませんから」

 左手で彼の手探し、握る。僅かな時間握り続けていたその手は、もう触り慣れた手になっていた。

「最後に聞いてもいいですか?」

 彼は短く頷き、私の目線に合わせて屈んでくれた。

「どうしてわざわざ面倒なことをしてまで、私を逃がしてくれたんですか?」

 その気になれば、彼らは私を殺すこともできたはずだ。そのことがずっと気になっていた。

「それは……僕にもよく分からない。さっきも言ったけど、咄嗟だったからさ」

 口ごもりながらも、そう答えてくれる。

「君だったから、ていうのもあるかもね。君は何も見ていないわけだから、それで殺すのはさすがに可哀そうだって思ったんだ」

 この世に完全に悪、完全に善である人間は存在しない。彼も私も、善人であり悪人だ。

「今まで目が視えなくて苦労したことは沢山ありましたが、盲目で良かったと思ったのは初めてです」

 もし私が盲目じゃなければ、きっと家族と同じ目に合っていただろうし、彼と会話をすることもなかっただろう。

 私は自虐気味に笑い、握っていた手を離し、その手で彼の顔を触る。

 頬がとても柔らかく、ニキビ一つない。

 なぞるように手を動かし、耳や髪の毛、鼻を触っていく。

「……やっぱり、盲目で良かったとは言えませんね。貴方の顔を、一目でいいから見て見たかった」

 恐らく今までで一番、私は自分が盲目であることを恨んでいた。彼がどんな顔をしているのか見たい、そんな感情が湧き上がってくる。目の前にいる彼の顔を想像し、思い浮かべては消していく。

「また、会えますか?」

 次の再会を期待してそう聞いてみる。

「……さあね。次に会うとしたら、ガラス越しかも」

 そう言って彼は立ち上がり、私の左手が空っぽになる。

彼が離れるように後ろに下がり、私たちの間に距離ができる。

今度こそ、別れの時だ。

「じゃあ、これで」

「はい、さようなら」

 その言葉を最後に、足を動かす。

もう振り返ることはなかった。




 彼に言われた通りに左に曲がり、点字ブロックに沿って進んでいくと、通行人の数が増え、喧騒もさっきより大きくなる。車が通過する音がひっきりなしに聞こえてくることから、大通りに出たのだと分かった。すれ違う人から、奇異の視線が向けられる。

 気にせずに進んでいると、ある場所にたどり着いた。

 杖で辺りを突きながら、確認する。

 左手を伸ばすと、ザラザラとした壁に触れる。

 滑らせるように手を動かすと、扉があった。私は少し微笑み、扉をノックする。

 軽く叩いたはずが、ガンガンッと乱暴な音が鳴り、中から人が動く気配がした。

 引き戸式だったようで、ガラガラと扉が開く。

「ど、どうかしましたか?」

 若い男性の声が私を出迎える。彼と同じくらいの年齢だろうか。多分新人さんだ。

 予想していた通りの場所で安心し、ホッとする。

 俯きがちだった顔を上げ、私は悲し気な表情を作る。

 その男性警官に、消え入りそうな声でこう言った。

「家が強盗に襲われました」

ご愛読ありがとうございました。

楽しんでいただけたでしょうか?

最後のどんでん返しを仕掛けていた都合上ジャンルをファンタジーに設定しましたが、実際は現代小説です。ファンタジーを期待した方には騙すような形になってしまい申し訳ないです。

『盲目少女は異空間に迷いこむ』はこれにて終了ですが、四月に向けて新しい長編小説を準備中です。

内容は魔法学園バトルローファンタジーです。今度はジャンル詐欺じゃないです(笑)

また投稿しますので、気長に待っていただけると幸いです。

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