2話:Explanation
「あの……父の知り合いの方ですか?」
握られた手の感触を確認しながら、私は聞いた。
「いや、違うよ。う~ん……どこから話せばいいかな」
頭上から、髪を掻く音が聞こえた。
「君は迷い込んでしまったんだ。こっちの空間に。異空間って言えば分かるかな?」
「え、でも……ここは私の家ですよね?」
今現在歩いている床が、間違いなく住み慣れた我が家であることを、足を鳴らして再確認する。
「君が普段生活している空間をAとして、ここがBとするでしょ? AとBは重なって存在している。Bの空間は定まった形をしていなくて、場所そのものがコロコロ変わるんだ。それが今回は君の家だったということだね」
「つまりここは、私の家の形をした、別の空間……ということでしょうか?」
彼の説明を聞き、私はそう結論付ける。
「そういうことだね。まあ、君の場合は、なかなかすぐには信じられないかもしれないけどね」
少し憐れむような声が耳の中を通っていく。こういう言葉や視線は何度も向けられてきたが、彼の言葉には不思議と嫌な思いは感じなかった。言葉には多かれ少なかれ棘があると思っていたが、彼が発する言葉にはそれがなく、スッと耳に入って抜けていく。
「そうかもしれませんね。ですが、一旦飲み込むことにします。知らない世界に迷い込むなんてそうそう体験できるようなことではありませんから」
少し上を向きながら笑みを返す。
彼の話は俄かには信じられないことだったが、私はこの状況を受け入れることにした。
まあ、私の場合は受け入れるしかないと言った方が適切かもしれない。
聞こえてくる口調や対応から、横にいる彼が悪い人ではないことくらいは感じ取ることができた。
「そうだね。君みたいに迷い込んでくる人なんて滅多にいないし、出口を探すついでに、ここを案内してあげるよ」
「ありがとうございます」
「いいんだ、女性に優しくするのは英国紳士の基本だからね」
顔は見えないが、彼が得意げな顔をしているのが容易に想像できた。
「イギリスの方なんですか?」
「うん、そうだよ」
「日本語、上手ですね」
感心してそう褒めるも、彼はすぐに訂正した。
「ああ、違うんだ。ここは言葉の壁がないから、そう聞こえるだけだよ。僕から見たら君が凄く堪能な英語を話しているように聞こえるよ」
なるほど、私が日本語を話しているつもりでも向こうには英語に変換されて伝わるということか。かなり便利な空間だ。
「ところで、クロエは海とか好きかい?」
話題を変えるように彼が問いかけてくる。
「そうですね……嫌いではないです」
小さい頃は家族でよく海に行ったこともあったが、ここ数年は行った記憶がない。機会がなかったわけじゃないが、行けば家族に迷惑がかかることが分かり切っていたから、いつも留守番をしていた。
「そっか、じゃあ魚は?」
私の気持ちを察したのか話題が少し逸れる。
「魚は好きですよ。観るのも食べるのも」
嘘ではなかった。家の来客用の部屋にそこそこ大きな水槽があって、熱帯魚やウーパールーパーが泳いでいる。飼い始めたのはたしか私が四年生ぐらいのときだったと記憶している。
「良かった、じゃあ今から行くところは楽しめると思うよ」
私の反応を見て彼が嬉しそうに言う。進むスピードがほんの少しだけ速くなる。
「どこに行くんですか?」
「それは着いてからのお楽しみだよ」
どこへ行くのか尋ねても、彼はただ薄く微笑むだけだった。




