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奥様が領地に向かうという。
一人で。
屋敷はちょっとしたパニックに陥った。
「ええと、あの、あの奥様が……?」
「そうなの! あのくそ老害な元乳母を追い出して、いきなり領地に行くって!」
興奮気味に教えてくれるのは部屋付き侍女見習いの友人。
一応は中流貴族の出身で花嫁修業に来ている子ではあるのだけど、誰に対しても砕けた態度で明るい子だ。ただちょっと、おしゃべりなのが玉に瑕。
「それで衣装室が戦場になっているのよね」
専任のメイドが冷静に対応しているからいいものの、普通、領地に行くとなれば何日も前から予定を組んでおくものだ。
即時対応できるのもまた、勤め人たちが優秀である証拠ではあるけれど。
「いきなり我儘をいうのも困りものだね」
「ほんとにダメなら旦那様が止めるでしょ~」
「それもそうか……」
「まあ、新婚休暇中だから遊びに行くのかもね」
とはいえ、一人で領地に行くというのもおかしな話ではある。
あちらには大旦那様たちがいるから挨拶に行くと思えなくもないけど、単独ですることではないし。
社交のためでもないのだから、本当に謎だ。
「それにレジナが侍女でついていくことになったのよ」
「えっ、あのハウンドが?」
言っては何だけど、あの覇気のない奥様に?
「おしゃべりはそこまでだ、ほらサンドイッチできたぞ」
「ありがとうございます! 朝食も取らずに動き回ってるって、執事さんが奥様に用意しろって」
「わかってるよ、いいから持っていけ。お前もくっちゃべってないで仕事しろ」
「へーい」
料理長に怒られて仕事に戻る。
何かが変わるのだろうか。そんな気もするけれど。
それでもきっと、自分のすることは何も変わらない――。
***
急な出立に、騎士と兵士から騎乗できる面々が護衛のために編成された。
とはいえ、骨組みはある。そこに、今回の目的に即した人物をあてがうだけだ。
指示を出された面々は不満に思いながらも真面目な顔して命令に従う。それが仕事だから。
「しかし、奥様がねえ……?」
伝令にやってきた本日の護衛の一人が不満げな顔を隠せていなかったことを叱責したが、うんざりした気分だったのは自分も同じだ。
せっかくの王都勤務、つつがない毎日は退屈だけれど、平和で心穏やかに過ごせていられたというのに。
「どこにも出かけそうにないと思っていたんだがなあ」
それも、一人でなんて。
そのうち領地へ赴くことはあるだろうけれど、まだだいぶ先の話であり、気にすることはないと思っていた。
「まあ、決まったことは仕方ないか」
前当主の時はもっとひどかった。
即時対応は当たり前、少しでも気が緩んだ態度をとれば降格、他の家門の騎士に見劣りしたら罵声と減給、教養は必須事項、腕っぷしで後れを取ろうものなら容赦なく鞭うたれることもあった。
それを思えば、この程度はなんてことはない。
いや、体力的には問題ない。一番の問題は、奥様が男爵家の出身であることか。
屈強な兵が所属する辺境に一時的に身を寄せていたとはいえ、彼らの鍛錬の様子一つ見に行くこともなかったと聞き及んでいる。
生家が爵位持ちも珍しくない騎士団において、能力を見ることもなく嫌悪をしてくる下級貴族に対して、何も思わずにいられるほうがおかしいだろう。
ふっとため息が出る。
仕事だから護衛はする。だが、奥様とは距離をとっていたほうがいいだろう。
余計なトラブルの芽は事前に摘み取るに限る。
こういう気遣いができるからこそ、俺は小隊長にまでなれたのだ。
そのせいで面倒事も押し付けられるのだが。
奥様をのせた馬車がやってくる。
その前方と後方に人員を配置し、陣形を確認。市内でとるべき形と、街道での動き、緊急時の展開の仕方を敷地内で軽く演習し、問題点がないことを確認する。
編成自体は小隊を中心にしているが、何人か別の部隊からも引き抜いているから連携の確認は必須だ。同時に、鍛錬の成果を雇い主一家に披露し安心してもらうためのパフォーマンスを行う。どこまで理解できるかはわからないが。
ともかく、こちらの動きに問題はなかった。
大通りを進み、貴族街と市民街を隔てる壁を超える。
さらに街を横切って、周辺を囲う城壁を抜けて、防壁とも言えない柵と石積みの壁を越えたら、平野が広がる魔物の生息地。遠くまで伸びる街道は確かに隣の町や村へ、他領地へつながってはいるのだが、その安全性はその地の領主によって異なる。
きちんと兵の巡回をしていれば盗賊も魔物もほとんど出てこない。
ここら辺は王都周辺のため何かが現れる心配はないが、確実とはいえないので警戒自体は必要だ。
やる気はなくとも、馬の背に揺られていれば背筋も伸びるもの。
息を長く吐いて、気合を入れる。これは仕事だ、しっかりしなければ。
心もちも新たに前方を見据えれば、馬が止まった。
先行する部隊員が停止したので、戸惑って歩みを止めたらしい。
「何が……?」
「隊長、なんか道がきれいです」
「はあ?」
先頭にいるのは騎士を志願している青年だ。
兵士たちの中では一番見込みがあるので今回も経験の一つとして騎士の一人と前を行かせたのだが、今の報告はどういうつもりだろう。
「道がきれいって、どういうことだ」
呆れて彼の隣まで進む。
なんか道がきれいだった。
彼の居るあたりから、妙に道が整っている。
一体どういうことだ、と思っていたら、馬車のほうから何やら騒ぐ声がした。
馬車が止まって文句を言っているのかと思えばそうではなく、どうやら奥様が魔法を使ったらしい。
そうか、魔法か。
勝手にこんなことしていいわけないだろう。
近付いて、わざとらしく咳払いをした。
「街道には魔物が出現する事もございますし、戦時であれば敵国の人間が来ることもございます。悪路であれば侵攻を遅滞させることが可能ですので……」
「そういう事です!」
便乗してきた執事に思わず白い目を向けてしまう。
奥様も同じ視線を向けていた。
ちょっとだけ親近感がわいた。
「断るわ!」
「奥様!?」
そして勢いよく出てきた言葉に少し驚いた。
なんて?
「こんな状態で馬車を走らすなんて、私を蔑ろにしているとしか思えないわ」
どうやら、街道の状態がお気に召さなかったらしい。
だからといって整備するか普通。
貴族はむやみに魔法を使うことはない、という知識が思い出された。
前当主も現当主も、魔法は使えるがまず日常で使わない。
奥様が下級貴族出身だからか?
いや、それならなおさら、人前では使わないだろう。
ただの大人しい男爵令嬢なら。
「け、けしてそのような」
「私がそう思うということが問題なのよ!」
彼女の言葉を受けてか、道が少し光った気がした。
目に入る範囲だけでも整備されているのがわかる。
それは俺だけではなく、部隊の皆が目撃していた。
「そ、そんな……」
「こんな大規模な……!」
「早く出して頂戴」
奥様の命令で馬車はまた進み始めた。
その速度は先ほどの比ではない。歩きやすいのか、はたまたほかの効果でもあるのか、馬が張り切っているような気がする。
「すごいですね……」
どうしても感想を伝えたかったのか、副隊長が近づいてきた。
それに頷きながらも、持ち場を離れないように注意する。
話は小休憩の時にでもすればいい。
それよりも、この規模の魔法を何度も使っているのだから、奥様の体調に気を配っておかなければ。
指先程度の火を出すだけでも一息つきたくなるような疲労感に襲われるのだ。
いくら魔力が多いからと油断してはならい――。




