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どんなに頑張ったって、才能のある人には適わない。
どんなに力を尽くしたって、要領のいい人には及ばない。
それでも、バカで不器用な自分にできることは。
「おい、誰か轢かれたぞ!」
「きゅ、救急車っ!」
ただただ、全力を尽くすことだけ。
パチリと目を覚まして、寝ぼけ眼で起き上がれば、金髪だろう人がベストを羽織って部屋を出て行こうとしていたところだった。
見える景色に覚えはない。
ここはどこだろうか。
「あの……?」
「あっ……起きたのですか……」
振り返り、気まずそうな顔をする男の人。
海外の映画とかで出てくる俳優さんみたいな顔の作りで、なんというか、見分けがつかない系のおそらく美形。
彼は少し躊躇いつつも、ちょっとだけ近付いてきた。
「もちろん、貴女のことは愛そうと思っています。ですが、その、少し、時間が足りないと、貴女もそう思いませんか」
「はぁ……?」
「努力します。ですので、お待ちください」
何が何やらではあるが、真摯な瞳を向けてくるので、とりあえず頷いておく。
ホッとした様子の彼は、まだ寝てて良いですと、去り際に言葉を置いて早々に退室していった。
「なん……」
だったのか、と続けようとする間もなく、扉がバンと開く。
びっくりして目を瞠っていたら、恰幅の良い女の人が、からから笑いながら近付いてきた。
「あら奥様、まだ、お休みでしたか。ちょっと失礼しますよ」
目を白黒させているこちらにお構いなく、彼女は無遠慮にシーツをはぎ取って笑った。
「あら、本当に処女だったんですねぇ」
腰があっただろう場所にある、ベッドの赤いものを見て、にやにやしながら話しかけてくる。
控えめに言って気持ち悪いし、普通に考えて無礼だ。
ここがどこなのか、どういう状況なのかはわからない。
だが、彼女を許してはならないことだけはわかる。
私は振り上げた手で、そのまま彼女の頬を叩いた。
よろけた女性がしりもちをつき、茫然とした目でこちらを見てくる。が、そんなものには構っていられない。
「誰かいないの!」
「ど、どうなさいましたか、奥様っ……?!」
慌てたようにやってきたのは老齢の男性。
いでたちから、それなりの役職についているのではないかと思う。
私は顎でしゃくって、座り込む女性を示した。
「こんな無礼者をよくも寄越したわね」
「そ、その者がいかがなさいましたか」
「許可なく入室したどころか、私を侮辱したのよ。解雇して頂戴」
あきれた声を出しながら告げれば、女性は怒ったのか、肩を震わせながら睨みつけてくる。
奥様、などというくらいなのだから、お互いの立場くらいはわかっていそうなものなのに。
睨み下ろすが、視線の強さは変わらない。
「わ、私は坊ちゃんの乳母だったんですよ! こんなことをして、ひどい目にあうのは貴女なんですからねっ!」
「それがどうしたというの? その、坊ちゃんというのが誰のことかはわからないけれど」
「なっ……!」
「不愉快だわ、今すぐ出ていきなさい」
入り口付近に立っておろおろと視線をさまよわせている男に向けて口を開く。
「こいつを追い出して」
「はっ、はいっ!」
「私に手を出して! 後悔するのは貴女ですからね!!」
それから何やら騒ぎ続ける女性を追い払って、鏡台の前に腰を掛ける。
先ほどのやり取りから、どうやら自分はこの屋敷の主人と結婚した女であることはわかるのだが、いかんせんそれ以外の詳細がわからない。
あれだけ使用人に侮られているということは、見た目なり品格なり、何かしらに問題があるのだろうとは思うけれど。
「って、ん?」
少しばかり歪んだ鏡に映る姿。
その淡い紫のストレートヘアを見て、ふっと思い浮かぶ小説があった。
想像よりも堀が深いので少し自信はないが、数年前に友人に勧められて読んだ話だと思う。そこまで人気もなかったこともあり、タイトルも忘却の彼方ではあるが、悪役というには悲しい人生を送っていた人物であったため、なんとなく覚えている。
「そう、悪妻だったわね」
鼻筋のそばかすをそっと触る。
外見は平凡そのもの、ただ少しばかり珍しい髪の色と、膨大な魔力故に高位貴族に目をつけられて政略結婚を強いられた地方貴族の娘。
もちろん、求められるのは魔力の強い後継者を作ること。
なのだけど、夫は家に帰ってこないわ、帰ってきても忙しいとかで顔を合わせることはないわ、下手に高位貴族だから社交をしなきゃいけなくて、もちろん爵位に合わせたマナーなんてわからないから笑われて……という悪循環で、散財するようになって。
しかも旦那は王女様に懸想していて諦めるために結婚したとか、それでも慕い続けていて、最終的には妻の行動が目に余ると離婚してからの、苦労が報われるとばかりに王女様とくっついて。
あちらが主人公の純愛ものとして書かれていたわけだけれど、あらすじだけで誠実なふりをしたクズということがわかる。
「そんなクズの妻か……」
とはいえ。
ここで下手にいい妻をしてしまったら、離婚に至れず生涯嫌な思いをしなければならなくなる。
愛せるよう努力する、などと言ってはいるが、未練を断ち切るために結婚したにもかかわらず、恋心を捨てられないという時点でもう結果が出ているではないか。
ならば、するべきことなどただ一つ。
「ちょっと、誰かいないの」
「は、はいっ」
答えたのはさっきの老齢の男性。
ほかに使用人はいないんかとか、あの女性をちゃんと追いやったのかとか、気になることはいろいろあるけれど。
「ワインを持ってきて頂戴」
「え? は、あの……?」
「聞こえなかったの。お酒を飲みたい気分だから、早く持ってきて頂戴」
「えぇ……? あ、はい……」
すごく疑問形ではあったものの、睨みつけたら従ってくれた。
そう、私がすべきことはただ一つ。
悪妻として、しかるべき時に、旦那とかいう人と離婚をすること。
それまでに、ちょうどいい理由として悪事を働いておかなければならない。
そう、悪いことといえば、飲む、打つ、買う、である。
旦那が稼いだお金で遊び歩いていれば、それはそれは悪い女として世間に認知されることだろう。
そして、やるならなにごとも全力で、だ。
特に悪事なんて今まで一度も意識して手を出したことがない。
だからこそ、全身全霊で挑むべきだ。人より不器用なのだから、人並みの成果を出すためにはそれくらいしなくてはならない。
ぐっとこぶしを握ったところで注文したものが届いた。
テーブルについて、差し出されたグラスを持つ。注いでくれる様子もないので、自分で注いだ。
どうも、私はこの屋敷の使用人からは嫌われているか、お行儀よく無視されているか、そのどちらかのようだ。
「って、すっぱ!」
「お、奥様!?」
「何よこれ、酢じゃないの?! お酒の一つもまともに持ってこれないのかしら!!」
「そ、そのようなことは……! こちらは、領地で作られた一級品でして……!」
「はあ!? ふざけてるの?!」
恐縮しているのか縮こまる老齢の男性。
そもそも、酒蔵からちゃんと持ってこれたのかも怪しい。老眼でラベルが見えなかったってことも……と思って確認するけれど、わからなかった。
まいった、文字が読めない。雰囲気がアルファベットっぽいからかろうじて読めなくはない気もするけれど、単語に思い当たるものがない。
これは、書類仕事でもふられたら一発でアウトだ。
「あなたはこれが一級品だというのね」
「は、はい……」
「とてもじゃないけど、飲めたものじゃないわ」
これから毎日、仕事もせず遊び歩かなければならない。
家にいるときは酒浸りになる予定だ。
なのに、口にするものがこのレベルのものしか出てこない。
というならば。
「領地に行くわよ」
「はい?」
「この私が口にするにふさわしいものを買いに行くわ」
自分で手に入れるしかない。
使用人が使えないというのならば、自分で調達するしかあるまい。
「今すぐ出立の準備をして」
「あ、あの、奥様はお疲れでは……?」
「なぜ?」
さっきまで寝ていて、部屋から一歩も出ていないのだけれど。
疲れる要素がない。
「あの、でしたら、構いませんが……」
「早くして頂戴」
「ではまずお着替えを。こちらへ」
「ええ……?」
なぜか先導されるのでついていく。
廊下に出て、その先の扉をくぐったらまた廊下があって、そこにメイドと騎士っぽい人たちが数人待機していた。
老齢の男性が何事か指示を出して、私はメイドさんに連れられて別室へ。
着替えのための部屋らしい。
「本日はどのような装いになさいますか?」
「これから領地に行くの。だから動きやすいものにして頂戴」
「かしこまりました。到着まで日数もかかりますので、その分のお召し物もご用意いたします。あちらには奥様のお着替えがまだないでしょうから、しばらくお召しになるものも」
「よろしくね」
なにこのデキルメイドさん。
メイド長? 彼女の指示で私の支度と同時に荷造りがサクサク終わっていく。
あんな思い付きの一言に瞬で対応することもそうだけど、その先まで読み切って必要なものをそろえに来るとか、あのおばさんの態度とは雲泥の差なんですけれど。
立ってるだけで終わった準備。
目が合うとニコリとほほ笑むメイド長。
「ありがとう、助かるわ」
「滅相もございません。今後も、奥様のお召し物はこの衣装部隊にお任せください」
長じゃなくて衣装部の主任さんだった。
え、一人に対してこの数の衣装係って多すぎない? 閑職? そんなところにこんな人材を置いてていいの?
まあ、本人が納得しているならいいか。
「ところで奥様、朝食は召し上がりになられたのでしょうか」
「え?」
そういえば、怒涛の展開で忘れていた。
意識したとたんにぐうとお腹が声を出す。かなり不満気だ。
「馬車の用意をしているかと思いますが、お召し替えよりも時間がかかると思います。少し、何か口にされてはいかがでしょうか」
「そうね、そうするわ」
「食事のための部屋ですと、装いを変える必要がございます。奥様の部屋に運ばせましょう」
「ええ、お願い」
食事の部屋って何? しかも自宅なのにドレスコードあるの?
屋敷の広さといい、使用人のレベルの高さといい、さすが高位貴族だ。
合わせられる気がしないから、素のままでも十分に悪妻呼ばわりされそう。いや、そのままだと悪というより無知無能か。
衣装室を出たらここまで案内してくれたメイドさんが待機していた。
業務引継ぎがごとく、衣装主任から案内係に目的地の申し送りがあり、彼女を先頭に、私、そして護衛らしい騎士が続く。
室内に護衛とはいったい。
ただちょっと出かけるつもりだったのに、なんだか疲れてしまった。
こうやって出かける気力をそぐつもりなんじゃないかと思えるくらいに。
部屋につくと紅茶がサーブされた。こちらの疲労具合を把握しているらしい。
だったらもうちょっとコンパクトな配置にしてくれよと思わないでもないが、無駄は金持ちのステータスって何かで聞いたから黙っておく。あ、お茶おいしい。
カップを置いたら出てくる軽食。
サンドイッチにカラトリーが必要なの……? 本末転倒では。
そう思いながらもフォークを手にしたところで、なぜか旦那様がやってきた。
ああ、初っ端から妻が領地に向かうとか言ってるから、引き留めにでもきたのだろうか。
「メイリダに暇を出したそうですが、どうしてでしょうか」
違った。
というか、メイリダが誰なのかはわからないが、解雇を言い渡したのは一人だけなのであの女性で間違いないだろう。
「無礼でしたので」
「彼女は僕の乳母だったんです。しばらくは君の侍女として仕えてもらうつもりで……」
「嫌です。あんな教養も知識もない野蛮人に身の回りのことなど一つも任せられません」
きっぱりと言い放つと、旦那様は困ったような怒ったような顔をした。
あの女性は、彼の前ではいい顔をしていたに違いない。
「旦那様、しばらく休んでいいとおっしゃっていましたよね」
「え? ああ、そうですが……」
「あの後、メイリダはすぐに私を追い出しにかかりましたよ。シーツを剥いで、昨夜はお楽しみでしたねとばかりに嫌な笑い方をして」
「……は?」
「ですので、マナー以前の常識すら持ち合わせていない方を用いる必要など寸分もないと思い暇を出したまでです。ご理解いただけましたか」
「そんな、まさか……」
信じられない、といった面持ちをする旦那様。
まあ別に、どっちの意見を採用したっていいけども。
「これまで彼女に関する訴えが一つもなかったのですか? 本当に?」
「………」
心当たりはあるらしい。
「とまあ、そういうわけです。ところで、どちらかに行かれるのではなかったのですか」
「え? いや、新婚ですからしばらく公務はありませんが……」
それで家にいて駆けつけてきたのか。
ってことは、メイリダが直接この男に訴えたってことになる。
私は扉の近くにひっそりと控えている老齢の男性のほうを睨んだ。
「追い出してと言ったはずだけど」
「……担当のものに確認をいたします」
「ところで、旦那様はいつまでここにいるつもりですか」
目を白黒させている男に問いかければ、なぜか慌てられた。
「そ、そうですね、せっかく夫婦になったのですから、どうでしょう、これからお茶など……」
「結構です。出て行ってくださいということだったのですが」
遠まわしだと伝わらないらしいので、はっきりと物申した。
いや、貴族的に考えたらさっきのも随分と直接的だったけど。
高位貴族だったよね? あれ? この人が当主で大丈夫なのかこの家。
「そう、でしたか。はは、では、また」
口元を引きつらせてすごすごと部屋を後にする旦那様。
あの調子だと、ちゃんとメイリダを追い出せそうにない。
まあ、今は私もこの家の一員ではあるし、家内の人事権は女主人が持つものってパターンが多いから、ヤツは解雇する旨を一筆したためておこう。次の場所に行くときに紹介状が必要なんだっけ? わかんないから、なくてもいいかな。
そんなことをしていたら準備が整ったらしい。
メイドさんと護衛騎士に囲まれながら玄関へと向かう。
驚いたことに、廊下の向こうにまた廊下があった。寝室から考えると、廊下の外に廊下があって、さらにその外に廊下があったってことだ。迷路だろうか。
家が一つ入りそうなくらいの広さのホールを抜けたら、やっと外にたどり着く。屋敷の移動だけで一日が消えるのではないだろうか。体感としてそのくらいの広さがあった。掃除が大変そう。
「奥様、私共は準備ができておりません。ですので今回は、こちらの者を伴ってください」
「初めまして! 奥様、専属侍女のレジナです!」
元気なオレンジ髪の女の子が飛び出してきた。
咎めるような視線が飛んでいるがものともしていない。
「そう、よろしくね」
「はいっす! じゃなかった、よろしくお願いします!」
使用人たちが頭を抱えたさそうな顔色をしている。
姿勢を崩さないあたりはさすがというか。
玄関先で見送られて、後ろからついてくるレジナを伴って馬車に乗り込んだ。
エスコートされてちょっとびっくりして反応が遅れてしまった。
「……あら、あなたも来るの」
「はい、奥様専属の執事ですので……」
それでいつも近くにいたのか、このおじさん、おじいちゃん?は。
元の髪色は藍色だろうか。白髪が混じって灰色に見える。
あと髭が長い。内勤らしく、肌は白いようだ。
「じゃあ、出して頂戴」
「はい」
執事さんが御者台に合図を出す。
そしてゆっくりと動き出す馬車。車窓からは、頭を下げる使用人たちの姿が見える。
玄関前のロータリーから離れてしばらくしたところで、護衛団と合流。
まだ敷地内だと思うんだけど、おそらく隊長なのだろう、馬に乗った一人だけ衣装の違う美上部が陣形の指示を出している。
「大げさねぇ」
「そんなことないっすよ。次期公爵夫人の出立っすからね!」
なんて?
思った以上に自分の身分が高くてびっくりする。
というか旦那様は当主じゃなかった。
あんまりしゃべらないほうがいいかな、すぐにボロが出そう。
私たちを乗せた馬車は、順調に領地への旅路へと向かっていった。




