第1章:仮面の街
地上の空気は重い。触れるたびに、皮膚の内側まで沈み込んでくるような質量がある。空にいた頃の、あの風の奔流とは違った。ここには、音も匂いも、時間さえも“沈殿”している気がする。
浮石の力で下りてきた足は、コンクリートに似た材質の舗装に沈むような感覚を伝えてくる。足元には、苔のような光沢をもつ藍色の菌類がこびりついていた。小さな波紋のように、踏むたびに微かに光る。
「……ここが、地上?」
リヴィの問いに、ノアは小さく首を振った。
「いや、これは……仮面の民の都市だよ。昔の名残が、まだ残ってる」
周囲には建築物らしき構造体がいくつもそびえている。鉄と強化ガラスの組み合わせ。天へ向かってのびる塔の骨格は、朽ちかけながらもなお垂直を保っていた。光源の見えない薄明かりが、空間を無機質に照らしている。
風はなく、空気は乾いていた。だが、どこかしら“気配”があった。廃墟ではない。命の気配に似た、無音のざわめき。
ふたりは、その中心にそびえる塔の根元まで進んだ。塔のふもとにある金属の扉は、苔むし、凍ったように閉じていた。
「ノア……ここを開けるの?」
リヴィの声に、彼は何も言わず前に出た。
彼の手が扉に触れた瞬間、金属に埋め込まれた模様が微かに浮かび上がる。円形のパターンが淡く発光し、機構が軋みを上げる。まるで、彼の記憶そのものに反応したかのようだった。
ガコン――
扉が、内側へと引き込まれるように開いた。重い音のあと、空間が口を開ける。
その奥に広がっていたのは――沈黙だった。
照明も、装飾もない。ただ天井から垂れ下がる線状の光が、白い粒子のような塵を照らしていた。空間の中央には、円柱のような台座があり、その側面にびっしりと記号が刻まれていた。空で見た浮紋によく似ている。だが、こちらはもっと古く、傷だらけだった。
「これ……空の文字?」
リヴィが台座に手を伸ばしかけた、そのとき――
足音が響いた。
乾いた床を、ゆっくりと踏みしめる音。ふたりの前方、柱の影から、誰かが歩いてくる。
仮面をかぶった人影だった。
その顔は艶のある黒で覆われ、仮面の左右に走る青白いラインが脈動するように明滅していた。衣装はシンプルな機能服で、外見はほぼ人間と変わらない。だが、リヴィにはわかった。これは、空の人間とは違う。
空気が引き締まる。リヴィは反射的に一歩後ずさる。心臓が跳ねた。ノアは、前へ出た。
「……ただいま。〈再来者〉の資格で、入域を求める」
その言葉に、仮面の者は動きを止めた。
沈黙が流れる。長い、重たい“間”。
やがて、その者は音もなく、片膝をついた。
礼なのか、儀式なのかはわからない。だがそこには、明確な“応答”があった。街が応えたのだ。ノアの声に、過去に、血に、あるいは帰還という言葉に。
リヴィは、初めて気づいた。
この少年は――“帰ってきた”のだと。