第6章:落下の選択
浮石港の非常警報が鳴ったとき、リヴィはまだ“空の服”を着ていた。
赤く点滅する灯りが、背に刺さるようだった。
「……見つかった」
ノアの声が低く唸る。
船体の裏手、格納区画の隙間にいたはずだった。通報者が出たのか、それとも──最初から監視されていたのか。
「港からはもう出られない」
ノアが目で先を指す。
「屋上へ。強制冷却区の気流帯に入る」
リヴィの脚が竦む。
「それ、落ちるってことでしょ……?」
「“風の流れに乗る”だけだ」
信じられなかった。
でも、後ろから足音。複数。迷う時間はなかった。
ふたり、夜の建材群を駆け抜ける。照明弾が空を割り、警告音が鼓膜を刺す。
張り出した鉄骨の先。もう後はない。
ノアが言った。「ここから跳ぶ」
「そんなの、無理……!」
リヴィの膝が崩れた。喉が焼ける。風が、背中を突き落とそうとしている。
目の前の闇の底。それは、“風に見放された者”が落ちる場所だった。
「私には……できない」
リヴィの声が、かすれた。
「できる」
ノアの声が、真っ直ぐだった。
「なぜって、お前は──」
ノアが言いかけたそのとき。リヴィの脳裏に、焚き火の輪が灯った。
あの子どもたちの目。あの手のぬくもり。
そして、自分が誰にも言えずに抱えてきたもの。
──私は、ずっと怖かったんだ。
“信じる”ことが。失って、また傷つくのが。
けれど、その手を取ったときの感触は、たしかにあった。
火と、風と、やさしい痛み。
「……笑わせないでよ」
リヴィは言った。涙の代わりに、息を吐いた。
「私のほうが、ずっと前から“跳ぶ”しかなかったんだ」
ノアの瞳が、わずかに揺れる。
「だから──もう止まれない」
その手を、自分から伸ばす。しっかりと、繋ぐ。
背後、銃声。鉄が砕け、何かが飛んだ。
リヴィは目を閉じた。
そして──跳んだ。
ノアの手はしっかりと繋がっていた。
ゼロの核がふたりの身を包む。重力が中和され、風が鎮まる。
ふたりは、ただ静かに──堕ちていく。
空気が裏返った。身体がひるがえる。
けれど、風はいた。
拒む風じゃない。
包む風。下から支える、重力の合間に流れる柔らかな気流。
落下ではなかった。
これは、旅立ちだ。
──その日、空の神は、ふたりの名前を刻まなかった。
だが、大地が覚えていた。
空を棄てた者の名を
「……嘘、みたい」
リヴィの呟きが、夜に消えた。
地上の灯りが、空を見上げていた。まるで、
「おかえり」と言ってくれているようで。