第5章:風下の街
リヴィは、風が腐る匂いを知った。
風下の街──浮石鉱の屑と、忘れられた鉄の墓場。冷却炉の残響が谷を満たし、風はどこにも吹かない。ただ沈み、腐り、淀む。
地を踏むたびに、金属の軋む音がした。粘ついた油に濡れた破片。折れた滑空艇の尾翼。打ち捨てられた荷獣の白骨。それらすべてが、錆の中で朽ちきれずに、ただ時間を止めていた。
「……ここが、“空の底”?」
声に出すと、喉の奥がひりついた。熱ではなく、何か重いものを飲み下したような感覚。
「違うよ」
ノアが振り返る。だがその視線は止まらない。屋根の上。通りの奥。壁に走る記号を、彼の目が絶え間なく追っていた。
「ここは、“風に見捨てられた空”。誰にも、吹かれない場所だ」
彼の歩幅は人波に逆らい、どこかで絶えず準備しているように見えた。逃げるためか、戦うためか。あるいは──誰かを守るためか。
焚き火が見えた。
子どもたちが小さな輪になっていた。薪の代わりに、翼布の切れ端が燃えている。ぼろぼろの機体から剥がされた、かつて空を駆けた布。それがいま、赤くゆらめいていた。
けれど、その炎の前で──彼らは笑っていた。
小石を積み、崩し、また積む。ただそれだけの遊びに、夢中になって。
その笑い声に、リヴィの足が止まる。
「……楽しそうだね」
隣を歩いていた少年が、ふとこちらを見た。薄い布をまとった小さな身体。すすで汚れた顔。だが目は、まっすぐだった。
思わず視線を逸らす。
何かを奪ってしまいそうで、怖かった。
ノアが立ち止まった。
「この先に案内する。……信じられる仲間がいる」
リヴィは頷きかけて──ふと、自分の制服に気づいた。
かつて“風の子”と呼ばれた者の衣。今は汚れて、色も褪せている。けれど、まだ“異物”だった。ここに馴染むには、まっすぐすぎた。
──見られてる。
そんな気がして、背筋がこわばった。
「……やっぱり、私はまだ“空の人間”なんだね」
思わずこぼれたその言葉に、ノアは何も答えなかった。ただ、わずかに肩を落とすと、歩き出した。
それを見て、リヴィも一歩、踏み出した。
風のない街に、ほんのわずかに、自分の影が揺れた気がした。