第4章:風の資格喪失
風の紋章は、胸から無造作に剥がされた。
その瞬間、何かが「裂けた」気がした。空気ではなく、空でもなく──自分自身が。
「リヴィ・アスレイル、風の資格、ここに剥奪する」
執政官の乾いた声が響く中、周囲の空気は静まり返っていた。貴族街の中央、証明広場。風の塔を背にした儀礼台で、リヴィは一人、突き出されるように立たされていた。
胸の装飾が、ただの金属片となって落ちた。
それを拾いに行こうとして、足がすくんだ。動けなかった。いや、動いてはいけないと、どこかで思っていたのかもしれない。
「……なんで、こんなことに」
視線の先、群衆の中には、見知った顔がいくつもあった。
そのほとんどが、目を逸らした。
教師たち。訓練仲間。隣に住んでいた老婦人。そして──母と父。
「お母、さん……?」
震える声で呼びかけた。だが、母はまっすぐに前を向いたまま、表情を崩さなかった。父は口元を固く結び、ただ一歩後ずさった。
「リヴィ……どうして、こんなことを……」
その声は、親友であるカエラのものだった。金髪をきつく結んだ、気の強い少女。ふたりで滑空競技に出たこともある。
「カエラ……私は、間違ったことを……したのかな」
カエラは、ほんの一瞬、何かを言いかけた。しかし──
「地上に関わるなんて、信じられないよ。リヴィは……あんたは、変わってしまったんだね」
それだけ言って、彼女は踵を返した。
群衆がざわつく音が、風のように耳を過ぎる。
それはもう、自分には許されない“風”だった。
リヴィは、ただそこに立ち尽くしていた。風の紋章が剥がれた場所が、焼けるように痛んだ。何もされていないのに、胸の奥に、ぽっかりと空洞ができた気がした。
誰も、名前を呼ばなかった。
誰も、声をかけなかった。
夜。誰にも知られぬ場所で、リヴィは瓦礫の影に膝を抱えていた。かつて訓練に使われた滑空船の残骸。そこが今の居場所だった。
何もかも失った。胸の奥が、空洞になっていた。
足音が近づく。
「……リヴィ」
ノアだった。そっと歩み寄ってきたその姿に、リヴィは顔を上げる。
そして──叫んだ。
「なんで来たの!?」
ノアは立ち止まり、少しだけ驚いたような顔をした。
「……心配で」
「私、全部失ったのよ!? あんたのせいで!!」
怒りが、涙と一緒に噴き出した。押し殺していた感情が、一気に爆発する。
「家族も! 親友も! 夢も名前も……あんたに会わなきゃ、私は、私は……!」
ノアは黙ってそれを受け止めていた。否定も、言い訳もしなかった。
「……そっか。そうだね。全部、僕のせいだ」
静かな声だった。責めることも、慰めることもせず、ただ肯定する声。
「でも、それでも……」
ノアはゆっくりと歩み寄ると、リヴィのそばに腰を下ろした。
「君が“あの空”にいない方が、生きていける気がしたんだ」
「……」
「だから今度は、僕が君を連れていく。どこにも属さない、新しい空へ」
リヴィはしばらく沈黙したまま、ただ俯いていた。
涙の雫が、地面に落ちていく。
そして、震える声でひとことだけ。
「……勝手なんだから」
その小さな言葉に、ノアはふっと笑った。
「うん、よく言われる」
ふたりの間に、ようやく風が通った気がした。
空は、星も月も隠していた。けれど、足元には確かな地面があった。
そして──その隣に誰かがいることも。
それだけが、今のリヴィを、地に繋ぎ止めていた。