side02 目に写るもの
ひと悶着あった日の昼休み―――いつも通り、僕は紀里谷花音と食事を共にしていた。
しかし、先のくだりもあったことによって彼女は口数が少ないままだった。
しゃべりだしたかと思えば、僕に対する謝罪の言葉ばかりだった。
「ごめんね、芙美のこと……」
「問題ない。僕は気にしていない。それに、君の口から彼女が悪い人ではないと何度も聞いた。なら、僕はそれを信じるほかない。君は君らしくいてくれ。少しやりづらい」
「う、ごめん……でも、嫌な気分になったよね」
「だから気にしていないと言っているじゃないか。君の言葉を信じるなら、板倉芙美は君を大切にしているいい友人なのだろう?」
「うん、幼稚園からずっと一緒なの―――性格が違いすぎて、交友関係のつながりはあんまりないけど。でも、うちの店にはよく来てくれるんだ」
「店……?なにか君の家はやっているのかい?」
「あれ、言ってなかったっけ?私の家、飲食店をやってるの。昼は食堂的な感じで、夜は居酒屋って感じ」
僕は彼女の実家というものを初めて知った。だが、それで腑に落ちることも多くあった。その最たることが―――
「そうか、だから君はあんなに料理がうまいのか……」
「零蘭君、もしかして味がわかるように?」
「いや、それは依然としてだ。僕が言っているのは見た目だ。いつも君が持っている弁当は自前だと言っていたが、見た目は非常に綺麗だ。本でしか見たことないものだが、鮮やかな色というのは、それが美しいことを現している。この国では、美しいものは、おいしいものなのだろう?」
「そ、そんなに言わなくても……」
彼女は僕の言葉に恐縮するが、実際そうだと考えている。
味はわからないが、食べるときの彼女の緩んだ表情を見れば大体わかる。それと同時にうらやましさを覚えるのは、ここだけの秘密だ。
僕は味を感じない。そのせいで、彼女が食べるときに頬を緩ませる理由がわからない。
食事とはそういうものなのかと、僕にわかるはずのない知識を流し込んでくる。
僕は知りたい。知らないということが、なによりもストレスだ。僕はすべてを知ることができる。なのに、知れないことばかりだ。
「僕は、君のようにおいしそうに食事をできるようになるのだろうか……」
「な、なるよ!私も協力するからさ!」
「そうだね。君を信じる。だから、ここにきているんだ。君とともに笑顔で食事をできる日を待ち望んでいるよ」
「零蘭君のそういうところが嫌い……」
嫌いと言われたが、彼女の表情にはそういったものはうかがえない。代わりに見えるのは、羞恥……?という感情なのだろうか?
やはり僕にはそういった姿が魅力的に見えてしまう。
感情を豊かに表現できる彼女のことが気になって仕方ないのだ。
だが、この気分はなんだろうか。
最近、彼女といるのといないのとでは、体の調子が違う。彼女がいると、胸が締め付けられるような感覚になるのだが、苦しいわけではないのだ。
「ただ、僕にはそれが心地いいものに思える……」
「ん?どうしたの?」
「いいや、なんでもない。そんなことより、早くしないと昼休みが終わってしまうぞ」
「へ……あっ、いつの間にこんな時間に!」
そう言うと彼女は弁当の中身を口の中に詰め込んだ。
もきゅもきゅと頬を膨らませる姿は、どうにも愛らしい。―――そうか、犬をなでた時に似ているのだ。この感覚。
それならば、彼女が傍にいても悪い気がしないというのも納得がいく―――気がする。
そこからは昼休みが終わり、残りの午後の二限が始まる。
残す授業は座学のみ。放課後はなにをしようか……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時刻は進み、放課後を迎えた。
いつもなら、図書館や書店に行って本を漁っている。本によって知見を高め、暮らしを豊かにする。それが僕の生き方だ。―――いや、正確には教えてくれた人がいるのだが、その話は今はいい。
そんな僕にも一つだけ悩みがあった。
僕の中に芽生えるこの感情だ。僕は育った環境があまりよくなく、そういったことを思うことはなかった。
しかし、最近ではそういう前なら感じることもなかったことを思うようになっていることに気づいた。
本を読んで知見を広げたからだろうか?
それとも、ほかに何か原因があるのだろうか?
僕は知らない。この満たされない感覚を。
本来なら、僕は満たされるという感覚すら覚えないような人間だったはずだ。
しかし、この高校に来て知らぬ間に自分が満たされたいと思うようになるとは想像だにしていなかった。
「今日は、図書館にでも行こうかな……」
「おい……」
「確か、魔将の続きを読んでいなかったはずだが……」
「おい!」
「……本当に懲りないね。なぜ、彼女にあれだけ言われて僕に絡んでくる―――板倉芙美」
いろいろと思案していた僕に話しかけてきたのは、僕に一度攻撃的な言葉をかけてきた人物だった。
これが、紀里谷花音だったらどれほどうれしかっただろうか。
……?なぜ僕はうれしいと思ったんだ?
そんなことはどうでもいいか。今は目の前の問題を片付けるべきだ。
「あんたは花音のなんなのさ」
「僕が、彼女のなにか……?知らないよ、そんなこと」
「はぁ?ふざけんなよ!」
「僕と彼女はたまたま本の趣味が似通っただけだ。それ以上はなにもない」
「そんなわけないだろ!じゃなきゃ、あいつは―――あいつは男に!」
男に、なにか。答えのわからないうちに、板倉芙美は口を閉じてしまう。まるで、それは話してはいけないことだったかのように。
だから、僕はそれについて言及はしない。
一度僕は似たような状況で親友を怒らせたことがある。僕は二度も同じ失敗はしない。
それに、そういうことがあっても、言う柄は話してくれる。人とはそういうものだからだ。
「僕がどう彼女と付き合っていようが関係ないんじゃないのかい?」
「あるんだよ。じゃないと、あいつとの約束が……」
「君もなにか誰かと約束をしているみたいだね。だが、それとこれとは別だ。僕と彼女の仲を裂きたいのなら―――紀里谷花音、彼女自身に僕を嫌わせることだね」
そう言うと、僕は彼女の目の前から足早に立ち去る。
だから、僕は彼女の呟いた言葉を聞くことができなかった。
「雄真―――ねえ、私はどうしたらいいの……?」