6.夕暮れ
アゲートの視点から始まり、途中でオリエーラに戻ります。
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抜け出していた仕事場に着くと途端に「おかえりい〜。楽しかった?」と、甲高い声に迎えられた。それを無視して放り出していた書類に向き直る。
「ねえ、彼女〜?抜けるなんて珍しいわね〜」
「…病院」
「はあ!?あんたバッカじゃないの!?いくらしたのよ!!」
話す内容を間違えた。
「…人命救助」
「へ〜。そんなことする人間だとは思わなかったわ。見直しちゃった」
「見直さなくていいから、仕事しろよ」
同僚のクォーツは豊かなブロンドの髪を持っている女性だ。誰に対しても煩…もといフレンドリーだ。仕事だけしていればいいものを。
「はいはい。ツレナイわね」
クォーツが引き下がったところで、オリエーラについて考える。
幾重にも色を重ねたような金色の瞳を思い出す。整った顔は美しく、世間に揉まれたことがないのだろう。警戒心を削ぎ落としたような無垢な表情が脳裏に甦る。
上等な物だと一目でわかるワンピースと、そこから覗く日焼けを知らない肌をアゲートは今まで見たことがなかった。ほっそりとした腕はしかし柔らかそうで、見てはならないものを見てしまったような気分に苛まれた。
手元の書類に視線を落とす。
他国のお嬢さんに邪な考えを抱かぬよう、取り敢えず今後の出国手続きを終えるまでの必須事項を思い描きながら、手を動かす。
(明日は休暇をもらおう)
そんなことを考えながら退勤時間が来るまで無心で書類を捌いていた。
夕暮れの街並みの中を歩く。
オリエーラが海と景色にいたく感動していたことを思い出すが、アゲートは見慣れてしまって何の感慨も湧かない。それはそうだ。毎日通るうえに仕事場に通じる道を、それも退勤後に美しいと思う訳がなかった。
「帰ったぞ」
部屋のドアを開け、暗い室内を見渡す。しかしオリエーラの気配はない。
まさか家外へ出たのかと考えながら上着をハンガーにかけると、ベランダに続く窓が開いていることに気づいた。
「……」
オリエーラはベランダに佇み、じっと眼前に広がる景色を眺めていた。
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アゲートの部屋からは海が見渡せる。
オリエーラは夕暮れの海に、時間が経つのも忘れ見入っていた。
(綺麗…。海って…空って、広いのね。夕日に照らされて波が輝いている)
昼間は光を浴びて青や白、緑といった美しい色合いを見せてくれていた海だが、陽が傾きかけた今の時刻には色合いが変化しまた様々な顔を見せてくれている。
暮れる太陽はランプの火とは比べるべくもなく力強く輝きながら、しかしどこか郷愁を感じさせる。空は太陽に近づくに連れ、夜の近寄りを示す濃紺から薄青へ、そして赤色へと色を変化させた。
(まるで空が燃えているよう。海は一緒に燃えているようなのに反射しているだけ。地上を燃え上がらせないために水がそこにあるんだ)
「なあ」
聞こえた声にハッとして振り向くと、アゲートが立っていた。
「あ、お邪魔しています」
「まだ見るか?」
「もう少しだけ…」
「冷える前に戻れよ」
そう言い残し、アゲートは室内に戻っていった。
確かに肌寒くなってきたが、まだこの美しい風景を眺めていたい。
すると肩に布が掛かる。驚いて後ろを振り向くと、背を向けたアゲートが歩いて去って行くところであった。
オリエーラは前を向き直し、もう殆ど海に沈んだ夕日を眺める。
「あたたかい…」
アゲートが肩にかけてくれたブランケットからは、ほんのりと柑橘の匂いがした。