4.偏光
「それで、あんたはどこから来たの」
「3番街の、樺並木通りに家があります」
以前助けてもらった際にも同じことを話した気がするが、忘れてしまっただろうか。
「悪い。この辺りの地名ならわかるんだが、聞いたことがねえんだ。遠くか?」
「センダルク国の首都、トキト市の…」
「センダルク!?隣じゃねえか」
「え?…ではここは」
「カザンだ。カザン洋和国。その端にある所謂水の街、トレル」
「トレル…」
自分が隣国にいたことに驚いたが、男が地名を知らない理由に納得した。通じないわけだ。
トレルは水の街の名の通り海に面しており、港を中心として栄えた街だ。海の周囲に広がる美しい景観と海産物市場が有名だ。
センダルク王国は大陸の中では力を持っているが、海には面していない。カザン洋和国は規模こそ小さいが、海に沿うように位置している。そのためセンダルク王国はカザン洋和国から殆どの海産物と、塩などの必需品を買っていた。関係は、今のところ良好だ。
「てことはあんた、不法入国…?」
「いえ!そんなことは!」
…ないと思いたいが。
「あ、あの、病院で、どうしてあんな風に連れ出してくださったんですか?」
「ああ、あんたを俺の妹として通したからだよ。便利なんでな。」
「ありがとうございました。…あの、私オリエーラ・アンダリュサイトと申します」
「アンダリュサイト…。名前だったのか。貴族?」
「いえ、商家です。あの、あなたのお名前を教えていただけませんか?」
「俺はアゲート。商家か。成る程な」
オリエーラの家名は国では知れ渡っている。家はどこか聞かれた際に簡略しても伝わるものだと思い込んでいたのだ。
そしてやはり、病院で繰り返し呼ばれていた「アゲート」とは男の名前だった。
混乱していた頭が少し落ち着いてきたオリエーラは、目の前のアゲートの風貌を改めて眺めた。
身長はオリエーラより頭一つ分ほど高い。黒髪は襟足を刈り込んでおり短髪で、爽やかな風貌である。話し方は雑だが、深い青緑色の瞳は見たものを引き込むように光の加減でゆらゆらと波のように変化しており、騒ぐ心を落ち着けてくれた。
服装は、黒色の上下に紺色の硬そうな生地の上着を羽織っている。全体的に黒いため、瞳の美しさが際立った。
「そう言えば、オリエーラさん?あんた、日差しが眩しくないか?」
そう言われて先ほど通った陽の元が普段より光が強く、目を開けていられなかったことを思い出す。眩しかったことを伝えると、「だろうね」と言ってレンズが黒いメガネを渡された。
「トレルは特に日差しがきついんだ。あんたの目の色じゃまともに目を開けられないだろ。抵抗があると思うが、俺のを貸すから掛けときな」
「わあ…!」
オリエーラの瞳は金色を基調としており、そこに赤や緑が混じり合う色素の薄い色をしている。色が薄いと光に弱いのか。初めて知った。黒いレンズの眼鏡を掛けると何も見えなくなるのではと心配したが、目の端でチカチカする余分な光だけを切り落としたように周りの景色がはっきりと見えた。
波打つ黒髪はアゲートと同じ色なので、こちらは心配いらないだろうか。そう思っていたら、帽子を差し出されたので、おとなしく被る。
「全部俺ので悪いけど、火傷したくなかったらこれも着とけ」
そう言ったあと、着ていた上着を脱いでオリエーラの肩にかける。ハーブのような爽やかな香りがした。
上着を脱いだアゲートは首の中ほどまで布がある、薄手の長袖一枚になってしまった。引き締まった体の線が顕になる。オリエーラはこんなに薄着の男性を見たことがなかったため、なんだか恥ずかしくなって目線を下げた。
「あ、あの、上着まで脱いでしまったらアゲートさんが寒くないですか?」
「平気。それより、あんたのその薄着じゃ肌が陽に焼かれて腫れる。自分の心配しなよ」
そう言って、アゲートはオリエーラの服を一瞥し、困ったように目線を逸らした。
不思議に思ったが、確かに自分の方が薄着だった。
アゲートに出会った日に来ていた衣服は病院で洗ってもらったようで、今はその服を着用している。白色の柔らかな生地を胸元から腕まで幾重にも重ねた衣だが、袖が肘の上までしかない。そして見た目通り生地が軽いため、路地を通り抜ける風によってひらひらとはためいていた。鳩尾のあたりで止めてある新芽色のスカートは丈が長く、足首まで覆われている。こちらも風に舞って踊っていた。
アゲートは、上着を羽織り日差し対策を終え、露出が減ったオリエーラに向きなおって全身を確認した後、「なかなか良いんじゃね?」などと感想を漏らしたが、オリエーラとしては初めて身につけるものばかりで戸惑う。
そして、本題とばかりにオリエーラに向き直った。