~8~
数日かけてオランド子爵領地内入ることができた。
道中、辺境伯爵夫人の言葉をずっと考えていたが、ついに答えを見つけることはできなかった。それでも、親身になって声をかけてくれ、あげく馬車の手配までしてもらえたことに心から感謝をした。
「やっと着いたわ。ここは戦争の被害もなかったみたいね。前とあまり変わりないわ」
領地の境界線上にある高台から見下ろしながらパトリシアが告げると、「さすがにここまで戦火は来なかったようですね。本当に良かった」そう言って、御者も安心したように微笑んでくれた。彼は今夜この町で宿を取り、翌朝辺境の地へと帰るらしい。
「明日の朝まではここに居ります。いつでも連絡をください。何かあればお嬢様をお連れするようにと奥様に言われておりますので」
そんなに自分は頼りないだろうか?と、疑問に思いつつも、「ありがとうございます。でも、たぶん大丈夫です。実家ですもの」そう言って笑って答えた。
町と言っても少しばかりの商店に、旅の者を止める小さな宿屋があるばかりだ。
小さな領地の為、皆の顔を知っている。領民皆が家族のようなものだ。
馬車を降りると町を抜け、子爵邸へと歩いて向かった。
道中、道行く人に声をかけながら歩く「こんにちは」。以前であれば笑って返事が戻るのに、何故か皆驚いたような顔をしてパトリシアの顔を凝視してくる。
たった二年だ。確かに痩せ、やつれたようになってはいるだろうが、存在を見誤るほど違ってはいないと思うのに、皆が驚き不思議そうな顔をするのだ。
「パトリシア?」
ふと背後から名を呼ばれ振り向けば、子供の頃からの幼馴染が立っていた。
昔から共に過ごし、平民でありながら名を呼ぶことを許した大事な友達。
「アニー! 元気だった? あなた変わりないわね。良かった」
弾けんばかりの笑顔で答えると、アニーはパトリシアの腕を掴み足早に歩きだした。
わけがわからず、引っ張られるままについて行くパトリシア。
「ねえ、アニー。ちょっと、どうしたの?」
前を行くアニーは髪を振り乱しながら、家と家の境に潜り込んだ。
「アニー、どうしたの? 私のこと忘れちゃった?」
息を切らせながら問いかけるパトリシアの瞳には、寂しさが映りこんでいる。
「パトリシア。どうしたのはこっちのセリフよ。あなた、どうしたのよ。何があったの?」
「ちょっと待って、何のこと? 私は野戦病院に看護婦として派遣されたのよ。あなたも知っているでしょう? この町を出る前、二人で激励会をしたじゃない」
必死に説明するパトリシアの言葉を最後まで聞く前に、アニーは感極まったようにパトリシアを抱きしめた。強く、力強いその腕はパトリシアの強張った緊張をほぐし、自然にお互い涙が頬をつたった。
「良かった。パトリシア、良かった。生きていてくれて、本当に良かった!」
「ごめんなさい。心配をかけたわね。私はこの通り、少し痩せたけど元気よ」
泣き顔で笑いながら答えたパトリシアに、アニーは気遣うように恐る恐る語り始めた。
「パトリシア。落ち着いて聞いてね。実は、あなたはもう死んだことになっているの」
「え? 死んだ? なぜ、どういうこと?」
「あのね……」
アニーの話しでは、野戦病院近くの襲撃に巻き込まれ、パトリシアは消息不明になっているという。正式な葬儀こそ行ってはいないものの、子爵家ではパトリシアは亡くなったものとして扱われており、領地の者達もそう思っている。
だから、パトリシアの顔を見た町の人たちが不思議そうな顔をしたのかと合点がいった。
「そんな、だから手紙の返事も来なかったのね。戦いの中で誤報が届いてしまったんだわ。
でも、私はこんなに元気よ。家に帰れば皆もわかってくれるはずだわ」
涙ながらにそれでもと、生存を伝えようとするパトリシアに、
「違う、違うの。違うのよ!」
アニーは泣きながらパトリシアの肩を掴み、違う、違うと訴え続ける。
「違うの、パトリシア。あなたは、ご家族の意思で死んだことになったの。家族を、子爵家を守るために……」
戦火が長く続き、戦場での人手が手薄になると国は貴族家に対し触れをだした。
『一家に対し、一人以上の人員を戦地へ送り出すこと』
国からの命を断ることなど出来るはずもなく、すでに前線へ兵を送り出している家を除き、娘だけの家も、幼い子息しかいない家も例外は許されなかった。
パトリシアの生家オランド家には長女であるパトリシアを筆頭に、妹と幼い弟がいる。
幼くとも嫡男である弟を出すわけにはいかない。だが、妹とてまだ年若い。
かといって家長である父が戦地へ赴き、その身に何かあっては家を守る者がいなくなってしまう。幼い弟の成長を待ちながら、支え続けるだけの器量を母やパトリシアは持ち合わせていなかったのだ。
消去法でいけば、長女であるパトリシアが看護婦として戦場へ行くことが一番の得策だった。彼女自身それに不満はなく、家や家族を守るために戦地に行くことにためらいはなかった。
パトリシアと同じように看護婦として派遣される令嬢は多かった。
だが次第に一人減り、二人減りしていき、気が付けば戦地にはパトリシアだけが残ることになった。裕福な貴族の令嬢が怪我人の手当や、侍女や使用人の手を借りずに一人で生活することなど初めから無理があると思っていた。だから、戦場の生活に耐えられずに逃げ帰ったのだとばかり思っていたのに。しかし、事実は大きく違っていたのだ。
普段から社交界に顔を出すことのないオランド家には、新鮮な話題や情報が耳に入ることはなかった。あまり社交的でない母は社交界で気のおける友人がいる訳でもなく、情報を自分から得ようとするわけでもない。家の為に、家族のために頑張っている娘がどうなっているかすら知らなかったのだ。
令嬢達が戦場へ看護婦として赴くと、王都ではまことしやかに噂がささやかれ始めた。
「看護婦として駆り出された娘たちの真の仕事は、娼婦の代替だ」と。
戦場で荒ぶる兵士の血を沈める為に、女たちが身を差し出すことがある。
ただしその場合は、娼館から娼婦が連れて行かれることがほとんどだ。
稀に、地方で身売りをする者が日銭を稼ぐために商売をする場合もある。
だがそれでは間に合わず、血しぶきを浴び、沸き立つ血を押さえつけることが出来ない者もいるだろう。
そんな者がその性を静める為に、戦地近くの町の娘を襲う事もあると言う。
だが、それを訴えれば娘の名に傷が付く。その先の人生で娘にも家族にも、得になることなど一つもない。そして、証拠もない。だから泣き寝入りをするのだ。娘のために、家族のために。
玄人のいない戦地前線では、このようなことが往々にしてあるという。
そして、前線に一番近い場所。そこにいる手近な女たちなど、考えなくとも答えはひとつ。
看護婦たちだ。
噂は瞬く間に王都を駆け巡り、地方の町にまで届き始めた。
王都に拠点を置く貴族達はいち早くその情報を手にし、娘の行く末を守るため、国の命に逆らう事もいとわず娘を戦地から下げさせたのだ。
要らぬ噂が立たぬ前に娘を人の目につく所に置き、純潔を散らされてはいないと知らしめるために。
戦時中という中でお咎めなど、金で済まされるものだった。金に余裕のある者達は娘のために喜んで金を差しだした。
だから、パトリシアと同じく看護婦として派遣された令嬢が、次第に消えていったのだ。
それなのにオランド子爵家はそんな情報を得ることができずに、ただ娘の身を案じるのみだった。
王都での噂を持ち込んだのは、行商の人間たち。それも一人、二人ではなく旅行く者達が皆面白可笑しく囁いていった。オランド家のような片田舎の領地にまで噂は流れ、領地の者達まで皆知ることになってしまった。
残念なことに領主の娘であるパトリシアが戦地に看護婦として赴いたことは、この領地の皆が知っている。
「あのパトリシア様もきっと……」
そんな噂が領地中に広まるのに時間はかからなかった。
「パトリシアの葬儀は仮で行われたの。私も参列させてもらって、その時におば様からお聞きして。でも、ご家族はあなたが生きているって今も信じているわ」
パトリシアはアニーの話しを聞いて言葉を失った。
そんな噂が流れているとは全く知らずにいたのだ。オランド領地のように田舎にまで広がっているということは、国中がその噂を信じているということだろう。
そんな娘が今更おめおめと戻ったところで、喜んでくれないだろうことは明らかだった。
「パトリシア。私はあなたが生きていてくれるだけで嬉しいわ。たとえ何があったとしても、私たちの友情は変わらないもの。ずっと親友よ」
自分の手を取り握りしめ、涙ながらに訴える親友。いや、かつての親友と言った方がいいのかもしれない。
彼女の言葉が全てなのだ。口では親友と言いながら、何があったのか聞くこともせず、彼女の頭の中ではパトリシアは辱めを受けた令嬢に成り下がってしまったのだろう。
きっとこの領地の者、皆が同じことを思っているに違いない。
そして、自分の家族ですら、きっと同じことを思っているのだろう。だからこそ、仮の葬儀まで行ったのだ。
自分はもう用無しなのだと言われているようで、パトリシアの心は空っぽのようになってしまった。




