~6~
教会の鐘の音を聞いた日の夜、ブラッドリーは幾日かぶりに施設へと戻って来た。
辺境伯爵や近隣の貴族達との話し合いをしながら、王都の情報を収集していたらしい。
和平が結ばれた後、王都での帰還パレードや国王との謁見などもあるらしいが、それらは全て貴族達のためのものだ。
ともに戦い続けてくれた平民兵には、落ち着いた後わずかばかりの褒美が与えられるだけで、華やかな未来が待つことは無い。
それに納得のいかないブラッドリーは異を唱え、王都まで交渉に行くと騒ぎ立てたらしい。だがそれは止められ、辺境伯爵が戻る宛ての無い者達の後ろ盾になってくれると約束をしてくれたのだ。
戦争が終わったから全て丸く収まるわけでは無い。国境沿いの地ではまたいつ小競り合いが始まるかわからない。
それに荒れた土地を元に戻す労力は、いくらあっても困るものではない。
貧しい家の跡取りでない者達は、復興のための仕事を探して国中を渡り歩く者も出てくるだろう。それならばこの辺境の地に根を張り、人生を過ごすのもまた良い選択だ。
「王都も大分荒れていると聞く。しばらく時間はかかるだろうが、いずれ団長として王都まで出向くことになると思う。それまでにここにいる者達の、共に戦ってきた仲間の未来を整えたいと思っている。最終的にどうするかは自分で決めることになるが、出来るだけの助力はしたい。そして共にここで過ごし、皆を見送りたいと思う」
「団長もパレードに出るんですか?」
「ん? たぶんな。一番後ろからついて行くんじゃないかな?」
「団長の晴れ姿、見てみたいな」
「そうだな、皆で見に行くか。その為には早く怪我を直さないと」
「それより、着ていく服がない。俺、王都なんて行ったことないけど、こんなボロ服じゃまずいだろう?」
「いや、お前にはそれがお似合いだ」
「なんだと! お前だってその薄汚れた服が似合ってるぞ」
「あははは!」
そんな他愛のない会話がこんなにも心地良い。
パトリシアとブラッドリーは向かい合わせの立ち位置で、皆と同じように笑いあった。
しかし、見つめる彼の瞳の奥に熱いものを感じてしまう。
そんなはずは無いのに、そんなことはあり得ないとわかっているのに、パトリシアはつい未来を夢見てしまいそうになる。そんな未来などありはしないのに。
彼と肌を重ねた事実はあっても、ブラッドリーの口から未来の話を聞いたことはない。
自分もそれを問いただしたりはしていない。不安定な関係だとしても、自分が未来をねだることは出来ないと知っている。
同じ貴族籍の子でありながら、侯爵家と子爵家ではその差はあまりに大きい。
ましてやパトリシアは貧しい子爵家の娘で、社交界デビューすら済んではいないのだ。
たとえ一夜の関係で弄ばれたのだと他人に言われたとしても、パトリシアはそれを認めたくはなかった。
結果がどうなろうと、あの夜ふたりの間には確かに愛があったと信じている。
ブラッドリーの想いはわからないが、パトリシアの中にはゆるぎない想いがあったのだ。
それでいい、それだけで良い。
皆の中で楽しそうに笑うブラッドリーを見つめながら、パトリシアは自分の気持ちを確かめていた。
その晩は皆で沢山笑い、食べ、飲んだ。ここに来て二年以上経つが、こんなに笑い声が溢れたのは始めてだ。
皆が寝静まった後、パトリシアはいつものように庭に出た。
彼の姿があるのでは?と、少しだけ期待を込めて。
蝋燭も持たず暗がりの中、庭に出たパトリシアの瞳にはもう一度触れたいと願った人が映っていた。
「パトリシア」
あの晩から、ブラッドリーはパトリシアを名前で呼ぶようになった。
今では皆がお互いを名前で呼び合ってはいるのに、彼に名前を呼ばれるたびに胸が震えるほどに喜び、思いが溢れそうになってしまう。
忙しく動き回っていたブラッドリーと、こうして落ち着いて向かい合うのはあの夜以来。
木の下で腕組みをして立っていた彼が、その手を伸ばしパトリシアを導こうとする。
その手を取り彼の胸に飛びつきたいと思っても、やはりそれはできない。
彼と自分では立場が違いすぎる。結ばれることはないのだと、求めてはいけないと、心の奥底でもう一人の自分が押さえつけようとするのだ。
「パトリシア」
ブラッドリーの甘く焦がれるような声に、パトリシアは瞳を閉じ耐えた。
気が緩めば目の前の手を取り、その胸に飛び込んでしまいそうになるから。
「パトリシア。怒っているのか?」
「……なぜ?」
パトリシアは頭を振りながら聞き返す。彼に怒る理由など一つもないのに。
「ずっと一人にしたことを怒っているのだろう? すまなかった。しかし、皆を守るためには今やるしかなかったんだ。許してくれるか?」
ブラッドリーは静かにパトリシアに近づくと、彼女の手を取り口づけをした。
貴族でありながら社交の場を知らないパトリシアは、身内ではない異性からこのようなことをされたことが無く、戸惑うように頬を赤らめた。すでに肌を重ね合わせていると言うのに、恥ずかしさから顔を上げることが出来ずにいた。
「怒ってなどいません。ブラッドリー様はご自分の任務をされただけのこと。ご立派です。」
「本当に? 本当にそう思ってくれるか? あれからずっとパトリシアのことばかりが頭を埋め尽くしてたまらなかった。こんな想いになったことなど一度も無い。あなただけだ」
パトリシアの顎を持ち上げ、自分の瞳に彼女の顔を映す。
彼の瞳にはどう映っているのだろう? 欲望を満たすだけの都合の良い娘だと思われているのだろうか? それとも、少しは想ってくれているのだろうか?
そんな思いが交差してうまく笑う事が出来ない。
「パトリシア。私の名を呼んでくれ」
熱を帯びた眼差しでパトリシアの瞳を見つめるブラッドリー。そんな彼の瞳から目を反らすことなど出来るはずがないのに。
「ブラッドリー様」
囁くように告げた彼の名がまるで合図のように、ブラッドリーはパトリシアをその腕に抱きしめると熱く唇を重ね合わせた。