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~5~


 翌朝、ブラッドリーは数人の部下を引き連れ、グリッド辺境伯爵邸へと馬を走らせた。


 パトリシアはいつもと同じように怪我人の手当をし、施設の手入れや食事の支度と、変わらない日常を過ごしていた。

 ふとした時に思い出すのはブラッドリーのこと。しかし、容体の悪い怪我人を目の前にすれば、その想いも現実に戻されてしまう。

 命の灯が消えそうな者の前では、物思いにふける時間などありはしない。



 それから数日、ブラッドリー達は戻らなかった。

 心の拠り所になる人がいないだけで、こうも落ち着かなくなるものだと知った。

 今まではそれが自分の役割だったのだ。パトリシアもまた、重い重責を背負っていたのだ。


 そして四日目の晩、ブラッドリー達が帰って来た。

 元気な者達が玄関まで出迎えに行くと、ブラッドリー達は馬の背に荷物を載せ、明るい顔つきで戻って来たのだ。きっと良い報告に違いない。皆が色めき立ち始めた。


「団長、どうでしたか?」


 堪りかねたように兵士の一人が口にする。


「そう、慌てるな。まずは馬の荷を下ろすのを手伝ってくれ。それと、水をくれないか? ずっと走り通しで喉がカラカラだ」


 そう言いながらも、顔はほころび嬉しそうだ。さぞや良い土産話を持ち帰ったのだろう。

 パトリシアがあわてて水を汲みに行き、全員に水を差しだした。

 水を入れたコップをブラッドリーに差し出した時、彼はあえてパトリシアの手を握り返した。一瞬のことで気が付いた者はいないだろう。だが、確かに彼はパトリシアの瞳を見つめ、穏やかな笑みで彼女の手に触れたのだ。

 あの夜の事が一瞬頭に浮かび、頬を赤く染めながらパトリシアははにかむように思わず手を引いた。


 

「グリッド辺境伯も帰還されて、運よくお会いすることができた。

 馬に積んである荷物は急場の支援物資だ。これからは順次補充も約束してもらえた。

 それに、重傷者は辺境伯爵邸の近くの施設に移動し、手厚い看護をしてもらえることにもなった」


 ブラッドリーの言葉に居合わせた者達から歓声が上がる。

「良かった、有難い」と皆、安堵の表情を浮かばせた。


「それともう一つ、朗報がある」


 人差し指を立て、いたずらっ子のような顔で皆に向かって話しかけた。

「何ですか?もったいぶらないでくださいよ」そんな声すらも嬉しそうに聞こえてくる。


「グリッド辺境伯爵がおっしゃるには、この戦いももうすぐ終わるだろうとのことだ」


 ブラッドリーの言葉に皆は顔を見合わせる。信じられないと言ったところだろうか。

「いや、でも?」「まさか」「負けたのか?」などと口にする者達。


「まもなく停戦協議が開かれるようだ。たぶん、痛み分けになり和平を結ぶことになると思う。どちらにしても我々が戦場に引っ張られることはもう無いだろうとのことだった。

 グリッド辺境伯爵も邸に戻られている。後は国同士の問題だ。我々の出番は終わったんだ」


 ブラッドリーは真剣な眼差しで皆を見つめた。その目は薄っすらと光って見えた。


「我が第三部隊がこの地に呼び戻されたのも、そういう事だったのだろう。

 みんな、今までよくここまでついて来てくれた。君たちが居てくれたからこその結果だ。

 本当にありがとう。心から感謝する。ありがとう」


 ブラッドリーは深々と頭を下げた。

 貴族の、しかも侯爵家の令息が部下に頭を下げている。その中には平民も多く混じっている。それでも、彼は頭を下げ続けた。それが彼の人柄なのだろう。

 彼らはどんなことがあっても団長である彼を慕い、支え続けてきたのだ。

 ブラッドリーの言葉に涙する者もいた。そして、長い戦いに終止符が打たれるであろうことを胸に、その晩は暖かい雰囲気が施設内を覆いつくした。

 パトリシアがここに来て以来、初めて感じる感覚だった。




 それからの日々は慌ただしく過ぎて行った。

 今までの日常の世話に加え、重傷者の搬送や軽症者のリハビリ。武器や備品の整備など、やることは尽きない。それでも、音を上げたりする者はいなかった。

 先の見通せない中での仕事は辛いものだが、未来が、明日が目の前にあれば人は強くなれるものだ。



 そして、ついにその時を迎えた。



 あれからブラッドリーは、ほぼ毎日グリッド辺境伯爵邸へと馬を走らせていた。

 そしてある日から何日も戻ることがないまま日は過ぎ、皆も少しずつ不安の色を濃くし始めた頃の事だった。



 突然、教会の鐘が鳴り響きだした。

 戦いが激化していく中で、教会の鐘を鳴らすことは無くなっていたのに。突然何の前触れもないままに鳴り続ける鐘の音。

 本来なら厳かで清らかなその音色は心洗われるようなのに、今は何が起こったのかわからない、先の見えない恐怖を覚える音色に聞こえてしまう。


 皆がざわつき始め、兵士の一人が「様子を見に行ってきます。まさか敵襲ではないと思いますが」と言い残し、馬を走らせた。

 彼が戻るまでの間、万が一のことを考え残った者は一か所に集まり、息を殺すように様子を伺っていた。どれくらい経ったのか? 待つ時間は長く感じるものだ。

 しーんと静まり返った施設に突然、馬の嘶く声が響き渡った。

 兵士の一人がそっと窓から顔を出し様子を伺う。


「帰って来た!!」

その言葉を合図に皆が一斉に外に飛び出すと、馬から転げるように降りながら、


「終わった! 戦争が終わった!!」と、涙声で叫んだ。


「うおーーー!!」と言う歓声とともに、「本当か?」「夢みたいだ」「やっと帰れる」口々に喜びを、心の声を叫び出した。

 パトリシアも他の女性たちとともに手を取り、喜びを分かち合った。

 ここに残っている者に重症患者はもういない。時間はかかっても元気になる見込みがある者ばかりだ。未来が明るければ、きっと治る速度も早まるだろう。そして皆で元気にこの地を離れ、あるべき場所へ戻って行く。それこそパトリシア達が願った未来だ。



 教会の鐘は長い時間鳴り響いていた。

 遠く離れた地に居る者達にも、この喜ばしい知らせを少しでも早く気付かせる為に鐘は鳴り続ける。

 一時は恐ろしく感じた鐘の音も、今は心に響き涙を誘う。

 それでもパトリシアは、自分自身で泣くことを許さなかった。今居る人たちをちゃんと見送ってから、それから泣こうと心に誓い唇をかみしめた。


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