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~3~


 翌日、ブラッドリーは朝早くからグリッド辺境伯爵の邸へと馬を走らせた。

 この戦いの近況と、施設への援助。そして国の対応に関しての相談をするために。


「さあ、団長様も頑張っておられるわ。私達ももうひと踏ん張りしましょう」


 明るい声で皆に声をかけ、いつものように怪我人の世話を始める。

 野戦病院の仕事は怪我人の手当だけではない。毎食の炊事、そして掃除に洗濯、薬草採取や食材の調達と多岐にわたる。

 今現在この施設にいる看護の女性はパトリシアの他に5人ほど。皆、領地内にある教会の孤児院出の娘たちがほとんどだった。たまに町の人たちが手伝いに来てくれたりはするが、基本はこれだけで回していた。

 だからこそ、身体の動く兵士たちがいるのはとてもありがたいのだ。

 彼らは基本、野営を組んでいる。野宿も苦にならず、食事の支度も自分たちで行う。即戦力になる頼もしい存在だ。


 背の届かない高い所の掃除や力仕事などを快く引き受けてくれたり、少し離れた森に行き動物の捕獲のために罠を仕掛けたりと、たった一日でこんなに心の負担が小さくなるものなのかとパトリシアは感じていた。



 その日の夕方、陽も落ちた頃にブラッドリーは帰って来た。元気な者が皆集まり、彼の話を聞いた。

 残念ながらグリッド辺境伯はいなかったが、もうすぐ帰還されると連絡があったそうだ。取り急ぎ奥方と執事に頼み、この施設への援助を約束してくれたと言う。近日中に物資を運びこんでくれるとのことだった。

 それを聞いた皆は歓声をあげて喜んだ。心から安堵し、そして感謝を忘れない。

 物資があれば、一人でも多くの命を助けることができるかもしれない。

 パトリシアはブラッドリーに何度もお礼を告げた。


「自分ができることをしたまでだ。礼を言われるようなことじゃない」


「それでも、私達だけではとても無理なことでした。馬にも乗れず、伯爵様に対しての交渉術すら持ち合わせない私達では、何の力もありませんでしたから」


「この場所を守り抜いてくれた。それがどれだけすごい事か、きっとあなた達にはわからないのだろうな」


 ブラッドリーは穏やかで、優しい笑みをこぼした。





 夕食の後片付けも終わろうとした頃、パトリシアの耳に一番聞きたくない話が告げられた。「昨日運び込まれた重傷者の方が……」マリアがパトリシアの耳元にそっと告げる。

「わかったわ。今行きます」そう言うと深く息を吐き、パトリシアは病室へ歩き出した。



 病室に入ると、ブラッドリーが怪我人の元に膝をつき彼の手を握りしめていた。

「大丈夫だ。こんな傷くらいで負けるんじゃない。俺がついている!」

 大きな声で励ますように声をかけ続けるブラッドリー。

パトリシアは彼の隣に行くと同じように跪き、そっと彼の手の上に自らの手を添えた。


「他の方たちが動揺します。声を抑えてください。そして、治療に専念できるよう彼を連れて来ていただけますか?」


 見上げるようにブラッドリーと目を合わせ、こくりと一つ頷いた。

 彼もまた周りの状況を理解し「すまなかった」と掠れた小さな声で告げ、目の前に横たわる兵士を横抱きにし抱え上げた。


 普段、パトリシア達が眠る部屋のすぐそばのベッドに彼を下ろしてもらう。

 パトリシアは慣れた手つきで優しく彼の頬を撫で始めた。暖かいお湯で濡らしたタオルを頬にあて「気持ちいいですか?」と問いかける。意識が朦朧とした者からの返事はない。

 それでも、わずかに開いた目に移りこむように身を乗り出し、その手を優しく握る。


「かあ……さ…ん」


 微かな、本当に微かな声がその口元から漏れ聞こえる。


「この方のお名前は?」

 後ろにいるであろうブラッドリー達に小声で声をかけると「デイルだ」と、すぐに返事が返る。


 パトリシアはデイルの手を両手で包み込むように握りしめ、優しく、優しく撫でるように、何度も何度も慈しむように握りしめた。


「デイル」


 パトリシアが優しく語り掛けるその声に反応するように、デイルは瞼を開けようとする。

 だが、目やにで塞がれた重いまぶたは中々開くことができない。


「デイル、デイル」


 優しく囁くようにその名を呼び、彼の頬をゆっくりと撫で上げる。


「かあ……さ……。ご…め……」


 片手で彼の手を握りしめ、もう片方の手で彼の頬を、髪をさすり続けるパトリシア。

 デイルの荒く乱れていた呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。

 浅く、短く、そして……、次第に間隔が長くなっていく呼吸。



 パトリシアはデイルの手を両手で握りしめ、そして慈しむように自らの頬に当てた。



「デイル」



 様子を見守る様に立ち尽くしていた兵士たちが、彼の最後を知った瞬間だった。



 ブラッドリーを始めとした同僚の兵士たちは皆言葉を無くし、唯々、その命が燃え尽きるのを見守り続けることしかできなかった。

 涙を流し惜しむ者。淡々と受け止める者。その場を逃げ出す者。その姿は様々だ。

 だが、これが戦であり、戦地に居れば明日は我が身だ。現実を受け止めるしかない。


 パトリシアの背後で見守る彼らをよそに、彼女たちはすぐにデリクの亡骸を温かいタオルで拭き始めた。顔を、手を、そして足を拭き、髪を梳かした。

 そして彼の髪をひと房掴むと、躊躇なく鋏で切り落とした。


「何を!!」


 ブラッドリーの声を物ともせずに、淡々と行動に移すパトリシア達。

 用意された布切れにその髪を大事そうに包むと、振り返りながらゆっくりと立ち上がり、ブラッドリーの前に差し出した。


「せめて、これをお母様の元に……。彼が、ご家族の元に帰れますように」


 目の前に差し出された包みを、ブラッドリーはしばらく見つめるだけだった。


 何もできず、部下である彼を守り切れなかった己を恥じ、一瞬ためらいがあった。

 しかし、彼の後ろから「団長」と声をかけられ、その包みを、若き団員をその手で確かに受け取った。



「ありがとう……。ありがとう」




 彼らの口から出る言葉は、パトリシア達への感謝の言葉しかなかった。




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