03.厨房-2 ★
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びっくりしたのはビアだけではなく、青年の方も同じだったらしい。いや、むしろ驚き具合で言ったら、彼の方が上だっただろう。ビアがすぐに我に返ったのに対し、青年はしばしの間、彫刻のように固まっていた。その様子はなぜか昔飼っていたハムスターを思い起こさせた。そういえばあの子もびっくりすると、しばらくの間固まる癖があったなあ……
あまりにフリーズ時間が長いので、ビアはその青年をまじまじと見つめてみる。背は高め。黒鳶色の髪に、柘榴石のような深い赤の眼が印象的な男だ。特にこの眼の色は珍しい。少なくともビアの周りでは(といっても城内しか知らないが)ここまで真っ赤な瞳を持つ人は見たことがない。見れば見るほど吸い寄せられる、宝石のような瞳である。
軍服を着ていることから、おそらく騎士団の人なのだろう。胸元に勲章がいくつかついていることから、もしかしたらちょっと偉い人なのかも知れない。
「あ、あの………?」
ビアのかけた声で、やっと我に返ったらしい。青年はびくりと身体を跳ねさせると、口元に手をやり大きく咳き込んだ。
「ゔっ、ゔゔん゛っ……ゲフンゲフン。………あ、あーあー。」
「……?」
「こんにちは、綺麗なお嬢さん。僕の名前はテオドア=ノイマン。ローアルデ騎士団第八部隊の副隊長をしております。以後、お見知り置きを。ところで僕は今日、レーナさんに御用があるのですが、彼女はどちらにおりますでしょうか?」
先ほどとは打って変わった爽やかな声と笑顔で、テオドアと名乗る青年は自己紹介を始めた。言葉遣いまで丁寧調に変わり、今の彼だけ見れば、それはそれは立派なジェントルマンだ。
――今の彼だけ見れば、だが。
(多分これ、さっきのやりとりを無かったことにしようとしてる……!!)
そうだよね。そりゃさっきのあれはがっつり友達向けの態度だったもん!!初対面の、しかも異性にあのテンション見られたら、そりゃあ無かったことにしたくもなるよね!!
彼の心の内をなんとなく察したビアは、その気持ちを汲んで、さも何事もなかったかのように平静を装う……が、
(……駄目、笑っちゃ駄目。ぜーったいダメダメダメ!!)
頭では分かっているのに、そう思えば思うほど口の端がぷるぷると震え、視線は明後日の方向に泳いでいった。
青年も青年で、今ビアが必死に笑いを堪えているのを分かっているのだろう。先程の爽やかな笑顔から変わらぬまま、しかし顔色はみるみる真っ赤に染まっていった。恥ずかしくてたまらないのだ。
いかんいかん、さすがにこれは可哀想だ。そう思ったビアはやっとの思いで声を出し、紙袋を差し出した。
「……ざ、残念ながらレーナさんは今取り込み中で、こちら、彼女から預かっていた物になります。あなたに、と。」
いかん、若干声が裏返った。
「あ、どうも。では代わりに、と言うわけではありませんが、こちらのハーブをどうぞ。彼女に頼まれていたものなので、お渡しいただけると助かります。……それではさようなら!!」
最後の「ら」のrを発音したあたりで、青年は既に走り出していた。さすが軍人、足が速い。ビアが裏口を出て外を眺めた時、彼の姿は既に豆粒ほど小さくなっていた。
ビアは紙袋と交換する形で受け取ったハーブの袋をまじまじと見る。おそらくどこかで摘んできたのだろう、少し野生味を残した様々なハーブの葉がこんもりと入っていた。
「……ふふっ」
先程のやりとりを思い出して小さく笑いがこぼれる。変な男だった。だが、嫌いではない。
(あの人、また来るかしら……?)
ぼんやりと浮かんだその気持ちに、ビアは自分でも驚く。
(いやいやいや、何考えてんの私ったら!!あんな変わった人とこんな気まずい中、どう話せばいいのよ!?)
でも、あんな変わった人だからいいのかも知れない。
誰かが――もう一人の自分が、ビア自身にそう訴えかける。
この世界にきてからというもの、もうずっと気を張る毎日だった。慣れない生活、身の丈に合わない社会に、心身ともに疲れていたのは確かだ。メイド生活が始まってからは随分緩和されたものの、やはり特別扱いは変わらない。
ビア=オクトーバーを全く知らない、なんかちょっと変わった男。
ビアは黒髪男が残したハーブ袋をもう一度見つめると、彼の去っていった方向をぼんやりと眺めた。
これが、テオドア=ノイマンとの最初の出会いであった。