71.馬車旅-1
兼ねてより突拍子もない発言に定評のある銀縁眼鏡が寄宿舎を訪ねてきた時、テオドアは「またなんかあんだろうな」とある程度覚悟をした。しかし、かの男がなんてことはない風につらつらと話した内容を聞いて、開いた口が塞がらなくなった。
「……いや、それいったいどういう風の吹き回しだよ!?」
「知らん。俺に聞くな俺に。まーそんなわけだから、二週間後、救国の乙女の専属警護、俺とお前とジミルでやることになったから。頼んだぞ」
「いや、そんな急に言われたって仕事が」
「今第八は周辺警護しか入ってないだろ。それに何かあってもフェリクスがどうにか調整してくれる」
「そうは言っても隊長格がいなきゃ…」
「隊長がそろそろ復帰すると聞いているが?」
「そもそも第八部隊ごときが承るような仕事じゃねえんじゃ」
「お前とジミルをご指名とのことだ。というわけで、お前に断るという選択肢は残されていない、諦めろ。……詳細はこの紙にまとめてある。当日までに読んで準備を整えておけ……じゃ!」
クォーツごときに適当にあしらわれ、こめかみにピクつきを覚える。そんなテオドアなどお構いなしに、男は言いたいことだけ言ってさっさとお暇の準備を始めている。
「……おっと、そうだそうだ。大切なことを伝えて忘れていた」
木椅子から腰を上げかけたクォーツがはっとする。まだ何かあるのかよ、とテオドアはさらにげんなりした。
「フェリクスから言伝だ。『本当は君のこと、ものすっごく呼びたくなかったけどね⭐︎』…だそうだ………テオドア、お前いったい何をしでかしたんだ?」
クォーツの顔が哀れみのような呆れのような何とも言えない表情を浮かべた瞬間、テオドアのこめかみがブチリと音を立てた。
気づいたらケツを蹴り上げていた。
***
荷物が馬車に積み上げられる様子を眺めていたら、視界の端に黒鳶の頭が映り込み、少しどきりとした。どうやら部下や銀縁眼鏡の男と話しているらしい。ビアはわざとらしくない程度に目を逸らすと目新しい外の景色に視線を移す。早朝の街道を爽やかな風が吹き抜ける。渡り鳥が光芒を貫くように空を駆ける様は、城内生活を強いられるビアにとってこの上なく気持ち良いものであった。両腕をぐっと空へ伸ばし深呼吸をしてみる。
「そうそう、その調子。これから長旅になりますから、しっかり身体を整えてくださいね」
振り返れば、王子がビアの様子を面白そうに眺めていた。
「フェリクス様……」
フェリクス越しにまたも黒鳶頭が視界にちらつき、目やり場に少し困る。逸らしたとても、じゃれ合いのような会話がこちらまで聞こえてくるので厄介だ。フェリクスと何か話そうにも変に意識してしまう。
「そんなあからさまに避けなくても、僕はなにも気にしてませんよ」
そう言ったフェリクスは困ったように笑っていた。その一言で、ビアは急に居た堪れなくなる。
教会で白昼夢を見た日。例の泉は確かに存在するとフェリクスから告げられた。
「多分、神樹の泉ですね。ここから東の街道沿いに進んだ先にある山の深くにある場所です」
「実在するんですね。……あの、そこへ連れて行ってもらうことは可能でしょうか?なんだか手がかりがある気がして……」
「ええ、もちろんです。すぐに遠征部隊を手配しましょう。僕もついていきますよ」
それからフェリクスは視線を斜め上にやり、独り言のようにぶつぶつと呟き始めた。
「護衛はどうするか……クォーツがちょうど良さそうだが魔法だけでは不安か?物理攻撃面は僕専属の護衛から出すか……」
小声だがかろうじて内容は聞き取れたビアは、少しだけ逡巡したが、意を決して口を開く。
「……あの…っ!!」
「?どうしましたか?」
「………その、もうひとつだけお願いがあって………」
心苦しさから目を伏せた。ああ、もう少し順序が違っていればよかったのに。あれだけのことを言わせておいて、あんなふうに想ってもらいながら、こんなことを言うのは厚顔無恥にも程がある。
だがしかし、それでも。
「………そこに、ノイマン副隊長を呼んでいただけますか?」
どうしてももう一度、あの男と話さねばならないのだ。
あの時のフェリクスの顔を思い出して、ビアの胸がギュッと締めつけられる。残念そうな、それでも取り繕ったように浮かべられた笑顔。
決して男として意識したわけではない。たまたま力の顕現のきっかけだったから。ひとつ参考程度に――――矢継ぎ早で弁解を重ねてもかえって白々しいのだろう。男の顔色は変わらないまま、優しい声で「手配致します」と一言返ってきただけだった。
記憶を振り払うようにぶんぶんとかぶりを振る。終わったことだ、考えても仕方がない。それよりこれからのことに集中しなければ。ビアがそう意気込んだ時、
「……僕はまだ諦めていませんよ?」
「え?」
突然の一言に虚をつかれた。驚いて顔を上げれば、フェリクスが飄々とした笑みを浮かべている。先ほどの苦笑はどこへいったのか、涼しげな美しい微笑はいつもの如く目を惹きつけられた。
「なので、勝手に終わったことにしないでくださいね」
形の良い唇が弧を描いたまま動く。見透かしたような猫の瞳にどきりとした。身体が固まって身動きが取れなくなる。
「皆様ー!そろそろお時間になりますよー!」
ちょうどその時、馬車の前方から御者から声が上がった。いよいよ出発が近づいているらしい。フェリクスの視線が逸れて、身体の緊張がふっと解けるのがわかった。
「ではビア様。長旅になりますが無理はなさらないでくださいね」
そう言うと、フェリクスは噛む度胸のない窮鼠を尻目にその場を離れていった。
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