54.反省-2
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やってしまったーー
テオドアは、騎士団寮で共同寝室としてあてがわれた一室で、部屋の隅にひっそりうずくまりながら、一人静かに反省していた。理由はただ一つ。昨日再会したビアを、なんかよく分からないけどとにかく怒らせて泣かせてしまったことだ。
良かれと思って会いに行った。約束通り保冷容器も返すつもりだった(蓋は無くしたが)。なのに、いったい何がいけなかったのだろうか。昨日のやりとりを何度も思い返してみるが、問題発言思しきものは未だ思い出せない。なので謝りようもなかった。
一応、“なんかよく分からんけどとにかく頭を下げておく”という方法も考えたが、なんとなく今のビアには却って逆効果な気がした。頭の弱いテオドアにしては珍しい英断だと思う。
潤んだ黄緑の瞳が脳裏に焼き付いて離れない。頑張ってポメラニアンに変換しようとしても、彼女のくしゃくしゃになった顔と涙が邪魔をして上書きできない。頭の中にいつまでもかの乙女の姿がちらつき、テオドアを永遠と悩ませていた。
「ふくたいちょー……いい加減元気出してくださいよ。心配してる皆がかわいそうですよ」
部屋の片隅でさめざめと打ちひしがれる男に、業を煮やした後輩が声をかける。この部屋にいるのは、テオドア以外にこの青年一人である。
他のメンバーはと言えば、昨日元気な姿で顔を出したテオドアに、一時は歓喜の声を上げたが、その後城から帰ってきた途端、芋虫のように部屋の隅に縮こまって塞ぎ込む姿を見て、これはいったい何事かとひたすら狼狽していた。今はただ遠巻きに心配することしかできない彼らは、業務時間の開始とともに、居心地悪そうに部屋を出ていってしまった。今は病み上がりを理由に業務を免除されているテオドアとジミルだけが、この部屋取り残されているかたちだ。
「……無理。ちょっと無理。オルトロスより無理。」
「なにえげつない冗談言ってるんですか。数日前に丸焼きにされたばかりなのによくもまあそんな軽々しく言えますね」
「……お前の“丸焼き”表現も結構えげつないからね?」
なかなか際どい冗談をかましてくる彼もまた、テオドア同様に例のレモネードで驚異的な回復を見せた一人だった。クォーツが回収した原液を薄めて飲ませれば、先日のテオドアの時とまったく同じ現象のもと、みるみる再生していったのだ。
今やぴんぴん動き回る彼は、生意気な口調も元に戻り、皆が情緒不安定なテオドアに遠慮する中、一人こうして辛辣な意見を物申してくれる。
「そんで、レモネードのことは聞けましたか?」
「……………」
無言回答を貫けば、察した後輩は小さくため息をついた。
「……まあ、落ち込んでるのは分かりましたけどね。明日の招集にはしゃんとした姿で臨んでくださいよ」
「……はい」
お行儀よく返事を返せば、もはやどちらが上かわからない部下も、ついに部屋を出ていった。いったいどこへ行くというのやら。実質禁止に近い業務免除なので、仕事や稽古に飛び入り参加したとしても、止められることは分かっているだろう。となると敢えて気遣いで部屋を去り、そこら辺でのんびりぶらぶらでもしてくれているのだろうか。さりげなくそばにパンとミルクを置いていってくれるあたり、やっぱり憎めない後輩である。
(明日の招集、か……)
ジミルの置いていったくるみパンに、早速ちゃっかり手を伸ばすと、テオドアは呼び出した張本人を思い浮かべる。
レ奇跡的な回復を見せたテオドアは、その際、フェリクスにビアの出自について問いかけたらしい。直後また意識を失ったらしく、テオドア本人としてはまったく覚えていないのだが。くだんのことで正式な場を設けて話がしたいと先方から提案があった。そして明日、そのお招きがかかったのだ。昨日ビアと話をするのに失敗している身としては、記憶にないとはいえ、あの時の自分に拍手を送りたい。
(まあでも、なんつーか……こそこそ嗅ぎ回る感じがして、ちょっと悪い気もするな)
ビアが訳ありであることくらい、聞かずとも分かっていたことだ。彼女自身から打ち明けられるまで、敢えてこちらからは触れないでおく。そう心に決めていたのに、今更になって他人から情報を仕入れるというのは少しバツが悪い。
(とはいえ、この状況でそんな悠長なこと言ってられないか)
あの場でビアの素性を知っているのはおそらくフェリクスひとりだったはずだ。テオドアやジミルはもちろん、宮廷医やクォーツなどはこの騒動があるまで、彼女の存在すら知らないようだった。しかし今、少なくとも五人はこの奇跡の発端にいる謎多きメイドの存在を認識してしまっている。フェリクスが口を割るのも時間の問題になってしまったわけだ。
(ビアの正体、か――)
知りたいような知りたくないような、微妙な気持ちがテオドアの中で揺れる。どこかもやのかかるビアの全貌を覗き見たいという渇望と、これまでの関係性を壊してしまうのではないかという恐れが、五分五分になって天秤を揺らしていた。
――もっとも、“これまでの関係性”であれば、つい昨日すでに壊れたばかりだった気もするが。
また脳裏に揺れる若草の瞳が浮かぶ。テオドアの脳内が、乙女の泣き顔で埋め尽くされる。ああ、お願いだからそんな目で見ないでくれ。テオドアは一度上げかけた顔をまた腕の中に埋めさせると、ふたたび壁にもたれかかりながらしくしくと泣き始めた。
この状況が一晩中続き、第八部隊全員の眠りを妨げたのはここで言うまでもない。




