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49.奇跡-1

 羽衣のような薄い布が揺れる。レースのカーテンがフェリクスの視界を隠すように大きくはためいた。目の前がめいっぱいの白に遮られる。

 その場所柄、衛生面が絶対視される医務室は、カーテン一つとっても清潔に保たれ、埃一つついていない。潔癖性――それはこの部屋に立ち並ぶベッドにも当てはまっており、何十も並ぶベッドシーツは洗い立ての洗濯物のように純白だ。


 ただ二つを除いては。


 除かれた二つのうちひとつは、部屋の最南東にあるベッドだった。二日前の深夜、フェリクスの帰城後すぐに運び込まれた騎士団の青年が眠るベッドだ。

 あの時は気づかなかったが、彼はテオドアの部下の一人だった。名をジミルというらしい。テオドアは彼に随分心を許しているらしく、よく会話にこの青年の名前を口にしていた。またクォーツ曰く、この無謀な討伐に青年自ら望んで参加し、彼はそれに声をかけられたという。

 重症だが、幸い命に別状はなかったらしい。手術も終わり、現状容体は安定しているとのことだ。ただしリハビリの為しばらくの間騎士団には戻せず、また結果次第では復帰自体を諦めざるをえないかもしれない。少しだけ顔を覗きに行ったが、穏やかな顔で寝息を立てているのがせめてもの救いだった。


 そしてもう一つは、今フェリクスの目の前にあるテオドアのベッドだ。本来真っ白だったはずのシーツは今や赤茶色のしみをこさえている。その上に眠るテオドアもまた、赤茶色に染まった包帯で身体のほとんどを覆われていた。

 胸をわずかに上下させて、小さな呼吸だけを繰り返す。ゆっくり、静かに。かぼそいともしびのような生気に普段の快活な彼の面影はない。それでも今はこのともしびだけが頼りだ。心許なくゆらめく炎がふっと消えてしまわないよう、ただ祈るしかできなかった。途方もない無力感を覚える。

 険しい顔をした医師からは、町医者と概ね同じような話を聞かされた。宮廷医と同じ意見ということは、町医者の腕は信頼に足るものだったのだろう。


「……状況や衣服の焼け跡から察するに、息があることはおろか、この程度の火傷で済んでいるのは奇跡に近い。………いや、本当にこの程度の火傷で済んでいたのかは定かではないが……まさかそんな……」


 概ね(・・)同じ意見と評したのは、宮廷医の方はさらにどこか含みのある物言いをしたからだ。彼は喋りながらもまるで納得がいっていないないとばかりに、包帯をめくりながらしげしげと傷口を観察している。眉間の皺がますます深くなった。


「済んでいたのか定かではない……とは、どう言うことでしょう?」

「……いや、ありえないとは思うのですが……彼の皮膚にね、ところどころⅢ度熱傷の痕跡らしきものがあるんですよ……ほら、この腕の赤黒いところです。……これ、昨日まではもう少し広がっていたんです。確か上腕あたりまであったはずなのに、なぜか今はⅡ度熱傷レベルまで回復している」

「この大怪我が回復しているって言うんですか!?」

「ああ。……ぱっと見では分からないだろうけど、我々から見たら確かに回復している。それも異様な速度で、です。こんなのありえない……見間違いではないかと何度も確認しましたよ。今だってそうだ」


 にわかには信じがたい言葉を告げられ、フェリクスの目が点になる。もしやこの医師は耄碌しているのではなかろうか、そんな疑念が頭にのぼる。医師にもその疑念は悟られたらしく、心外そうにため息をつかれた。


「……まあ、あなたの気持ちは分かります。それに、仮に回復していたとしても、この速度ではどのみち彼は助からない。持ってあと二、三日、といったところか」

「……っ!?そんな……っ!!」

「大変申し訳ないが、私の腕では数日の延命がいっぱいいっぱいです」


 医師が鎮痛な面持ちで静かに告げる。絞り出すような声で、しかし確固たる意思のもと言い渡された宣告は、フェリクスの心に、鉛のようにずっしりと重くのしかかった。喉がひゅっと鳴る。声が出てこなかった。

 しばしの沈黙ののち、口を開いたのはクォーツだった。


「宮廷医殿、すまんが相談がある」


それまで無言で話を聞いていた彼は、何を思ったのか、潰れかけの銀箱を医師の前に見せた。


「この男が最後まで腕に抱えていた代物だ。男を慕う者から、旅の餞に渡されたものだった。……なんてことはない、ただのレモネードだ。せめて最後にこれを彼に飲ませてやってもいいだろうか?」


 クォーツの目は真剣に医師を見つめていた。


「……保冷容器とはいえ、数日外で持ち歩いていたものですか。食中毒の恐れがあるので、医師としてはあまり勧められないのだが……」

「発見時は冷涼な沢の水に浸かっていた。それに旅の道中と回収後は俺がずっと冷やしていたから、鮮度はそこまで落ちていないと思う。……どの道あと数日なのだろう?だったらせめてもの手向けにしてやりたい」


 そう言って、銀箱から取り出した小瓶を医師に手渡す。医師は苦い顔をしながらもその蓋を開けそっと匂いを嗅いだ。また少しだけカップに移し一口飲んでみせる。


「………まあ、これなら大丈夫そうですね。……特別ですよ?他は駄目ですからね」


 心を鬼にしきれなかった男は、ため息混じりに渋々許可を出した。

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