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43.夜明けの森-1

 眼が光る

 真っ赤な、真っ紅な、柘榴の眼

 見えないけれど、分かる

 血が湧く、肉が踊る

 嗚呼幸せだと、本能がそう告げている


(ああ、嫌だなあ……)


 同じ赤い目と対峙して、牙と刃を互いにぶつけ、その時この身を支配したのは、恐怖でも、怒りでもなく、ただ果てのない興奮であった。渇いた喉を冷水で一気に潤すかのような、至極の快感がテオドアの満たす。時にぶつかり、時に斬りつけ、散る血飛沫が視界を遮る度に、興奮は一段と高まり、己が眼の輝きが一層増す。


 本能のまま暴れ回っていた自分を、今になってもう一人の自分が、醒めた目でつまらなそうに眺めている。化け物と対峙する、己もまた化け物。羊の皮を被ってみたところで、狼は狼。抗えない血、変われない本性。異質な眼光を放つ気味の悪い双眸が、それを決定づけていた。

 

 だがもうじき、この目の輝きは失われることになるだろう。

 大嫌いなこの血も、お望み通りにとばかりに身体から抜け出ていく。


 白昼夢から醒めたテオドアは、今度は目の前に広がる空を眺めていた。先ほどまで黒々としていた樹々は、枝の焦茶や深い緑葉と、うっすら元の色を取り戻し始めている。その合間を縫って広がる空は逆に、散りばめられた星々から徐々に色が抜けていくのが見てとれた。夜明けが近い。

 折角だから明けの明星も見てみたい。そう思ったが、しかし身体は動かない。腕は右がかろうじて使える程度、脚に至ってはもうまったく己の意思を汲まなかった。四肢から感じるのは、ひりつくような痛みと熱だけである。




 クォーツ達が転移装置で消えた後、テオドアはオルトロスと再び対峙した。クォーツの乗っていた馬に跨り、渓谷の方へと再び誘導を始める。己の残弾数はゼロ。愛馬も疾走したまま帰っで来ない。駄目元でクォーツの馬荷を漁ってみるも、めぼしいものはあまり見つからなかった。


(魔法があるから当然か。ジミルの馬にしとくべきだったな)


 少し後悔したものの、馬を選んでいる余裕などなかったのだからしょうがない。

 荷物の中を片手で弄っていると、ふと触り覚えのある硬い感触が指先に触れた。昨日の明朝、ビアから手渡された保冷容器だ。あの後すぐにクォーツが「要冷蔵なら俺が持とう。定期的に氷魔法をかけてやる」と、半ば勝手に取り上げていったのを覚えている。無論、彼としては百パーセントの善意からの行いだったのだが、隣でジミルがすっごく苦い顔をしていた。テオドアも妙な名残惜しさを感じたものの、うまくそれを言い表せず、結局そのままクォーツの荷に積まれてしまった。


(まあでも、今となってはある意味ラッキーか)


 結局こうして自分の手元に戻ってきたのだから。そう思うとやっぱり眼鏡の馬を借りて良かったなとも思えた。テオドアが小さな銀箱を眺めながら、ふっと微笑む。張り詰めていた気持ちが、ほんと一瞬だけ柔らぐ。


「――!?」


 後方から突然、爆風にも似た熱い熱気が襲いかかる。吹き飛ばされないよう馬の手綱にしっかり捕まった。砂埃に眼を眇めながら辺りを見回せば、テオドアのすぐ左手の樹々がぱちぱちと燃え上がっている。


(ついにきたか、吐炎(ブレス)が――)


 ぎりりと歯を食いしばる。首筋には熱気と緊張で汗がだらだら伝っていった。


 続く二発目、今度は吐氷がテオドア達に襲いかかる。てっきり今度は右側に来るかと思ったが、今度もまた左側だった。


 三発目、炎。四発目、氷。五発目、炎。六発目、氷。


 必ず交互に撃ち出しては、二発セットで同じ軌道を描く。


(……消火も兼ねてるのか?)


 すんでのところで上手く交わしながら、テオドアは冷静に分析する。おそらくオルトロス自身も体力があまり残っていないのだろう。自分の炎ですら、長時間吸えば自らを蝕む毒となると分かっているのだ。


 七発目がなかなか来ないので、思い切って振り返る。遠目に見えるオルトロスは、脚はもつれ、舌ははみ出し頭をぐらぐら揺らしていた。明らかに消耗している。


「……グルッ…ヒヒーンッ!!」

「うわっ!!?」


 突然馬がいなないて、剥き出しの地面になだれ込む。突如体勢を崩されたテオドアは、その衝撃で森の中へ放り出された。


「……っ()ってー…」


 地面にダイレクトダイブをかまして全身が痛い。ぶつけたところをさすりながら立ち上がれば、目の前には馬が泡を吹きながら倒れていた。どうやらこちらも限界まで消耗していたらしい。

 もと来た道を振り返れば、先程までほどほどの距離を保っていたはずのオルトロスが、今やもう近くまで迫っている。

 テオドアは地面の上に散らばった荷物の中から急いで銀の小箱を探し出す。いくつかものをひっくり返して見つかったそれを、腰のポーチに無理矢理押し込めた。爆弾も回復薬も使い切った空のポーチには多少容量オーバーでもなんとか収まる。


 道の先は、崖だった。もう逃げ道はない。魔犬はすぐ背後に迫っていた。


「一騎打ちといこうや」


 テオドアはオルトロスを見据えると、思い切り地面を蹴った。湾曲に弧を描いた軌道で標的の真横に回り込む。直線攻撃の吐息(ブレス)を警戒した立ち回りだ。予期せぬ軌道を追いきれず、こちらを見失うオルトロス。その隙を狙って下から潜り込み、勢い良く切り上げた。ぎゃおうと、どちらの頭からか悲鳴が上がる。

 波に乗ったテオドアは、そのまま隙をついてオルトロスの身体に何発か斬り込みを入れていった。魔犬から何度か小さな唸り声があがる。しかし反撃する前足は遅い。どうやら体力切れなのか、動きに俊敏さがなかった。また警戒していた吐息(ブレス)も吐く様子が見られない。

 今がチャンスだ。テオドアはオルトロスが消耗しているのを良いことに、時に爪を、時に牙を避け、じわじわ、じわじわと相手の身体を切り刻んでいく。


 血飛沫が舞うたびに、心躍った。

 掌に肉を裁つ振動を感じるたびに、アドレナリンが、ドーパミンが、ぶわりと分泌される快感に溺れた。

 瞳が、オルトロスのそれより遥かに不気味な光を放つ。


 興奮は最高潮でも、スタミナが永遠に続くわけではない。実際テオドアも縦横無尽に駆ける立ち回りでだいぶん消耗していた。己の体力が限界に近いのを察すると、オルトロスから一度距離を取る。再びやつに向き直ると、剣を前に突きつけながら、大きく息を吸った。


(これでとどめだ)


 再び地面を蹴り上げる。今度は滑走した勢いのまま、岩壁伝いに駆け上がった。そのまま犬の左後方に回り込み、宙を跳ねる。空中でぐるりとひと回転しながら、真上から左頭目がけて剣を振りかぶる。勢いに任せて振り下ろせば、掌には確かにやつの頭蓋骨にめりめりと刃の食い込む手応えを感じた。




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