42.夜更けの城
フェリクスが帰城したのは、ローアルデ城を出発してから六日後の深夜のことであった。外せない呼び出しであったとはいえ、父が万全でない今、長期間城を空けるのは忍びなく、一刻も早くと馬車を走らせ帰ってきた。御者や付き添いできた大臣や騎士、使用人達には特別手当を出しているが、それで疲れが取れるわけではない。見るからに疲弊している彼らを見て、これは特別休暇も出した方がいいかもなと、静かに苦笑を浮かべる。
(かく言う僕ももうヘトヘトだ)
願わくば今すぐにでもベッドの中に潜り込みたい。皆に向かって労いの挨拶を終えると、緩慢な足取りで自室に向かう。本当は浴室で身を清めてから戻るべきなのだが、今のフェリクスにその体力は残っていなかった。
真夜中の静謐な城内で、響くのは自分の足音だけ。広い渡り廊下は昼間こそ文臣や衛兵で賑わっているものの、人のいない真夜中は少し物寂しい。はめ殺しのアーチ窓からは月明かりが差し込み、白亜の大理石を青白く照らす。そのどこか神秘的な様に吸い寄せられるように、フェリクスはしばし足を止め、窓の外をそっと覗き込んだ。
(――?)
フェリクスは当初、空にのぼる月を眺めるつもりだった。しかしガラスの向こう側を覗いてまず最初に目に入ったのは、一つ下の階、地上で何やら人だかりができている様子だった。
(こんな真夜中に、いったい何を騒いでいる?)
眉を顰めながらガラス窓に耳を寄せる。はめ殺しの為開閉はできないものの、耳をすませば興奮した彼らの声は聞き取るに容易かった。しかし各々がぎゃあぎゃあと喚くせいで、内容はあまり把握できない。
「……ぐちゃぐちゃじゃねえか……!!」
「……揺らすな!!早くしろ……!!」
「……至急医務室……!!……叩き起こせ!!」
「……ええい、オスト様の名を出せ……!!」
フェリクスの目がカッと見開く。医務室という単語からどうやらただ事ではないことを察した。
(オスト様……まさかクォーツのことか?)
友人と思しき名前が上がったこともあり、フェリクスのそれまで薄らぼんやりしていた頭の中は一気に冴え渡った。彼は勢いよく踵を返すと、先ほど登ったばかりの階段を大股で駆け降りた。
「いったい何事だ!?」
「フェ、フェリクス様!!」
「けっ怪我人です!!しかもかなりの重症!!こんな酷いの久々だ……医務室に……ああどうしよう……!!」
「きっとどっかの化け物にやられたんだ……!!」
「まさか城の近くに……!?」
先ほどまで眺めていた場所に急いで駆けつければ、野次馬達は一瞬目を丸くして驚いたものの、すぐにまたけたたましく騒ぎたてる。どうやら皆軽いパニック状態のようだ。
「みんな落ち着け、何が何だか分からん。誰か状況整理を……」
「それなら俺から話そうフェリクス。だがまずは医者を呼んでくれ!!」
聞き慣れた声に振り返れば、クォーツが苦しそうな顔で地面に座り込んでいた。右肩にはひどい血痕がついている。
「クォーツ!?君はいったいどうした!?」
「この血は俺のではない。気分が悪いのも単なる魔力酔いだ。転移装置は身体への負荷が大きいとは聞いていたが、まさかここまでとは……」
「転移装置だと!?君、そんなものどこで……」
「話は後だ!!今はまずこっちだ!!」
クォーツはふらふらと立ち上がると、フェリクスの腕を乱暴に引き、人だかりの中央へと進んでいった。
「………これは……っ!?」
フェリクスが輝く翠玉の目を剥く。そこには負傷した騎士が一人、今まさに担架に担ぎ込まれようとしているところだった。まだ若い青年だ。フェリクスと同じか、もしくはいくつか歳下くらいか。右脇を深く負傷しており、抉れた肉が剥き出しになっている。真っ赤な傷口とは対処的に顔色は優れず、幽鬼の様に蒼白で生気がない。彼を担いだ担架は、その身体が触れたところからじわじわと赤いシミをこさえていた。おそらく血を吸い過ぎた軍服から染み出しているのだろう。
「……っ!!クォーツ!!いったい何があった!?どこでやられた!?」
「今はまず医者だ!!話は後からいくらでもしてやる!!」
「……そう、だな。………衛兵!!至急医務室までの道を開けよ!!医師も僕の名を使って起こしてこい!!他の者は至急この場を離れ、元いた場所に戻れ。今ここであったことは他言無用だ!!」
鶴の一声で集まっていた野次馬達が一気に霧散する。フェリクスはクォーツと共に、運ばれていく担架の後ろにぴたりとくっついてついていった。
医務室には寝ぼけ眼の医師が不機嫌そうに椅子に腰掛けていたが、担架に乗った怪我人の様子を見てすっかり態度を一変させた。
「これはすごい……衛兵さん、至急他の医者看護師達も起こしてくれ!!手術台も綺麗にせねば……ああ、エナドリもたっぷり飲まんと、これは長丁場になる……ああフェリクス王子、悪いが王子といえどあなたもここを通すわけにはいきません。怪我人は清潔第一ですので。ほら帰った帰った!!……おおい、看護師達はまだか!?」
張り詰めた空気のなか、忙しなく動き回りせっせと支度を始める。王族のフェリクスすら雑に扱われる始末だったが、それが却って信頼できた。
「落ち着いたらいの一番に連絡入れますから。とりあえず今んところはお帰りください」
そう告げると、彼は医務室のガラス戸ピシャリと閉じた。クォーツが困ったように肩をすくめたが、これ以上掛け合う隙はなさそうだ。ここは一旦退くしかない。
厄介なことに、あたりには騒ぎを聞きつけた人々がちらほらと集まっていた。真夜中で数少なとはいえ、あまり大事にはしたくない。
「……場所を変えるか。ここでは目立ちすぎる」
クォーツの言葉に首肯すると、二人は足早にその場を離れていった。




