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37.旅立ち-3


「待ってください!!!!」


 突如背中から高い叫び声が聞こえた。女の声だ。

 聞き覚えのある声に振り返れば、見覚えのあるメイドが一人、こちらに向かって駆けてくる。

 荒い砂利道は華奢な靴で走るには辛いだろう。長いスカートに何度も足がもつれそうになる姿を見て、テオドアは慌てて馬を引き返す。


「ビア!!一体何してんだ!!」

「……城門の…検閲に……手間取りました………!!……あと、少し寝坊を…………っ」


 ぜいぜいと息を切らしながらややずれた答えを返す。寝不足なのか目の下にうっすらクマをこさえていた。本当に急いできたのだろう、いつもは綺麗にまとめ上げられている髪も、今日は簡素なひとつしばりだ。


(いや、そんなことより……)


 なぜここに彼女がいるのだろう。魔獣討伐の話は一切していないし、万一他所から漏れたとしても、出発時間をピンポイントで割り出せるはずがない。まさかジミルは彼女にも話したのだろうか。だとしたら随分酷なことをしてくれたものだ。せっかくここまで隠し通してきたのに、何か聞かれたら一体どう答えればいいのやら……


 テオドアが足りない頭を必死に回転させる。何を話せばいいのか言葉に詰まっているうちに、しかしビアはそんなことはお構いなしに、ぐいと何かを突き出してきた。

 

 鈍い銀色をした容器だった。

 一見なんの変哲もないそれは、魔法を施された保冷容器で、テオドアも遠征で度々見かけたことがある。


「クッキーとレモネードが入ってます。……お一人かと思っていたのであまり量はありませんが、ぜひ旅の道中で召し上がってください。」

「あ、ああ。……ありがとう、な…」


 なんとなくその場の勢いにのまれたテオドアが、おずおずと差し出された容器を受け取る。ひんやりとした銀の小箱はとても冷たく、つい先ほどまでキンキンに冷やされていたのが分かった。そしてそれを差し出す両手が震えているのも。



「………その容器、実は無断で借りてるんです」

「え?」


 思わず聞き漏らしてしまいそうな小さな声でビアが呟いた。

 容器を差し出す彼女は、なぜかこちらの顔を見上げない。馬に跨るテオドアから見えるのは、俯きがちなつむじくらいで、彼女が一体どんな顔をしているかは分からない。


「……きっとお城のものだから。こ、高級な容器だろうから、返さないと怒られちゃうかもしれません。わっ、私のお給金じゃ到底弁償できないかも……」


 指先の次は声を震わせる。小刻みに抑揚するその音は、空に響くコマドリの囀りに似ていた。


「……だから……だから、…ちゃっ、ちゃんと返しにきてくださいね!!」


 この時、俯きがちだった彼女はやっとこちらの顔を見上げた。視線がかち合う。見開かれた瞳はわずかに潤み、陽光を乱反射させきらきらと輝く。マスカットのような鮮やかな黄緑は、テオドアの視線を釘付けにして離さなかった。




(……ああ本当に、酷いことをしてくれたもんだ)


 ペリドットの双玉を見つめながら、ぼんやりとそんなことを思う。話を漏らしたであろう後輩を、そして早朝からわざわざ駆けつけてくれた目の前のメイドを、これほど恨めしく思ったことはなかった。


(俺は湿っぽいのも、嘘をつくのも、苦手なんだよ)



 本当は会いたくなかった、その気持ちを認めた瞬間、喉の奥が焼けるように熱くなる。



 大きな掌を前に出し、眼下のつむじの上に置く。小さな雛鳥のような榛頭は、テオドアの右手にすっぽりとおさまってしまった。そのままぐりぐりと力強く撫でてやれば、乱雑な一つ結いは簡単にくしゃくしゃに崩れてしまう。


「おーおーまじか!!ビアったらこんな朝早くからありがとうな!びっくりしたけどすげえ嬉しいよ!…そうかそうか、城の備品なんだな。じゃあちゃんと返さなきゃな!高価なもんだったら怖えもんな〜、了解っと!」


 手のひらで視線を遮ってしまえば、彼女の眼はもう見えなかった。ひりついた喉を無理矢理開けば、いつもを真似た抑揚でひとりでに言葉が紡がれる。空元気で取り繕ったそれは調子外れの高音が混じり、我ながら不恰好だと内心笑ってしまった。


 ――でも、そう。これでいい。



「………それじゃビア、元気でな」


 最後の一言に、もう空元気は残っていなかった。


 柔らかな髪を名残惜し気に手放すと、そのまま静かに踵を返す。先で待つジミル達がこちらを見ている。そうだ、すぐに馬を出発させねば。

 リズミカルな蹄音が再び通りに鳴り響けば、ぐしゃぐしゃだった頭の中のすべてがみなかき消された。焼けるような熱さもひりつきも、もう感じない。



 後ろはもう振り返らなかった。



***

 


 薄くたなびく雲と紅藤色の空を背景にして、街道の真ん中で別れを惜しむ騎士と乙女――


 まるで演劇の一場面のようだなと、ジミルは二人を眺めながらぼんやりとそう思う。彼は人生においてそんな高尚なものを観た経験は一度も無いのだが、それでも今、己の目の前に広がる光景は、国一番の歌劇も霞むほどにドラマチックだと思う。

 ただ大変残念なことに男の方は酷い大根役者だ。無駄にでかい声で発された台詞は、中途半端に裏返り、聞くに耐えないほど耳障りだった。


(……馬鹿な口約束しちゃってさぁ……)


 そしてどうやら大根は、アドリブも苦手だったらしい。



 一観客として、しらけるヤジを飛ばすつもりは毛頭無い。次のシーンまで、ただ静かに見守るだけ。それが観客のすべきことだとジミルは十分分かっていた。

 ただどうやら、隣の男は違ったようだ。


「……おいおい、テオドアのやつは一体何を言っているのだ?」


 横に並んだクォーツが怪訝そうに問いかける。


「あの保冷容器は騎士や使用人の利用を目的とした、安価な業務用量産品だろう。あいつだってそんなこと知っているだろうに、何を適当なことを言っているのだ」


 ……左肘で大きくどついてやりたくなった。

 どうやらこの銀縁眼鏡は、その見た目通り、人の感情の機微に疎いらしい。己の思いつく何百倍も野暮な感想を、よくもまあのうのうとのたまってくれたものだ。

 万に一つそんな機会があったとしても、こいつとだけは絶対に観劇は行くまい、心の内でそう固く誓った。



「……クォーツさんともあろう方が、頭の悪い発言しないでくださいよ」

「ぬぉっ!?な、ななななんだとっ!!??」



「――――そんなこと、多分知ってたと思いますよ………二人とも」



 ため息混じりに吐いた言葉の真意を、クォーツは最後まで測りかねているようだった。頭の上に疑問符を浮かべているクォーツをよそに、ジミルはじっと二人の別れを見届ける。



 どうかこの物語が悲劇で終わりませんように。

 決して信心深くはない自分だが、そう祈らずにはいられなかった。


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