23.フェリクス=ローアルデ-2
今現在、ローアルデの次期皇帝の座に最も近いのはおそらく自分だ。その自覚のあるフェリクスは、だからこそビアが召喚された時、人一倍神経質になっていた。彼女のおもりはきっと自分に任される。はたしてその時、自分はしっかり乙女を正しき道に導いてやれることができるのか。また、彼女はそれに値するほどの人物であるのか。フェリクスの背に責任という言葉が鉛のように重くのしかかった。
(……だから正直、彼女の職種が分からないと聞いた時、少しホッとした。)
そう。召喚初日、彼女の職種が不明と発覚した時、戸惑う気持ちは大きかったものの、その裏で密かに安堵する自分がいた。
げんきんなものだが、救国の乙女の扱いはその職種をに左右されるところがある。もっとも崇められるのが聖女。次にそれに近い僧侶やより魔物退治に貢献してくれるであろう戦士・魔術師系の職種。続いて前線には出ないが社会発達に貢献する職種――代表的なものでは薬師、学者、錬金術師などがあがる。ここら辺はまだ花形で、料理人や手品師などといった花形とは言い難いジョブは、人々からの扱いも少しおなざりになる。とはいっても決してぞんざいというわけではなく、国賓級のもてなしにはなるが。国の監視の目も少し緩くなる為、フェリクスとしてはどちらかというと後者の職種だと嬉しかった。
だからビアの職種が分からないと聞いた時、フェリクスの緊張の糸は一気にほぐれた。続く適正審査で花形職種の可能性が全て壊滅的と知った時は、ひさびさに熟睡できたほどだ。
(……でも、だから気づけなかった。)
フェリクスの眉間に皺が寄る。俯いた先、白い大理石の床に映り込む自分は苦々しい顔を浮かべていた。
それに気づいたのは、快眠だった翌日にビアの顔を見た時だった。
その日夕方、フェリクスは予定していた執務を終えるとそのままビアの部屋へ向かった。ビアは今日も十六時までい適正審査であったため、その後にお茶会の約束を取り付けていた。
当初予想していた通り、フェリクスは役人達からビアの監督を頼まれていた。次期婚約者候補と距離を縮めさせたいのだろう。覚悟していたとはいえ、こうもあからさまだと少し冷めるものがある。
だがさいわい、ビア本人に対して今のところ悪感情は生まれていない。職種が分からないことはフェリクスにとって好都合であったし、何度か話してみて彼女の人柄にはなかなか好感が持てた。また彼女のお喋りは面白く、特に元いた世界の話などは、こちらとまるきり違うので毎回聞き入ってしまうほどだ。最初は億劫だったお茶会も、今では日々の楽しみになっている。
この日もいつも通り、さて今日はどんな話が聞けるのかとわくわくしながら部屋に足を踏み入れたのだった。
にこやかに笑って彼を招き入れる、そんなビアの顔を見てフェリクスは凍りついた。
落ち窪んだ目にひどいクマ、どこか焦点のズレた虚ろな眼差し。頬も若干こけ、顔色も青白い。目の前のビアはひどくやつれていた。
一体なにが起こったのか。いや、そもそもいつからこんな様子なのだろうか。
(この前会った時はこんなだったか?)
前回会ったのは三日前。その時の記憶を懸命に掘り起こす。そして気づいた。彼はたった三日前の彼女の顔すら覚えていないことを。
まるで鈍器で殴られたかのような衝撃が頭の中に走った。
「……び、ビア様。最近お加減はいかがでしょうか?」
狼狽を悟られないよう努めて明るく問いかける。何気ない質問。しかしそれを聞いた瞬間、ビアの濁った瞳が見開いた。顔色がますます悪くなる。
「……ぁ、えっと……」
「……?ビア様……?」
「……ごめんなさい。……今回の審査もダメでした。」
蚊の鳴くような声でそう言うと、彼女は俯いて小さく肩を震わせた。
フェリクスは単にビアの体調について聞いたつもりだった。けして彼女の適正審査の結果を催促したわけではない。
「……ビア様、そうではなくて……」
「ごめんなさい。皆さんがせっかく準備してくださったのにまたダメでした。……次は、次は頑張りますので………」
ビアの体がどんどん縮こまる。訂正しようにもこちらの言葉はもう聞こえないみたいだ。
その様子はまるで、壊れかけの機械人形のようだった。
怯え竦み上がる目の前の女。その肩を抱こうとして、フェリクスの手が止まる。果たして自分にそんな資格があるのかと。
(こんなになるまで見向きもしなかった癖に?)
数日おきに様子を伺っていた。三日前にも会ったばかりだ。なのに、彼女がここまでやつれていたことに気づきもしない。顔だってろくに覚えてないのだから。
頭の中にあったのは、ひたすら自分にとって都合がいいか否かだけ。
(勝手に呼び出しておきながら、よくもまあ……)
勝手に召喚して、勝手に祀りあげて、勝手に期待を押し付けた。
フェリクス自身がいつも同じようなことをされてその重荷に苦しんでいるというのに、まったく同じ仕打ちをこの世界に来たばかりの彼女にしていた。それまであったであろう彼女自身の生活を、人生を勝手に奪っておきながら。
なのにまるで自分一人が被害者かのように振る舞う、そんな己の愚かさに今更無性に腹が立った。
(僕は一体、何様のつもりだったんだろうな。)
遣る瀬無い自嘲が込み上げる。ここまで自己嫌悪に苛まれたのは久々だった。
気づけば俯いていた顔を上げると、フェリクスは気持ちを切り替えるようにことさら明るい声を出した。
「……もう、この話はやめましょうか。そうだ、お菓子を持ってきたんです。せっかくなのでいただきましょう。……ああ、そういえば中庭の花壇の花が続々と芽吹いてきたみたいですよ。ビア様はご覧になりましたか?」
顔面に作り笑いを貼り付けながら、こともなげに話題を変える。
きっとこれだって彼女の為の言葉ではない。彼女を気遣う言葉を使いながら、彼女を慮る風を装いながら、本当は自分が逃げる為の方便なのだ。




