19.ガルムンド-4
気持ちいい返事に気分を良くした好好爺は、ビアを書庫の長テーブルに案内すると、別の棚から本を一冊取り出し彼女に差し出した。
「まずはこちらから読むのが一番でしょう。どうぞページをめくりください。……ええ、そのページです。」
モールが指したページには、絵が四つ載っていた。左ページに大きな地図、そして右には国旗のようなエンブレムが三つ。
「左の地図はフィリンヘルム西大陸。我らが住まう大地の名前です。このフィリンヘルムには、三大国と呼ばれる三つの巨大な国があり、またそれを取り巻くようにいくつもの小国が点在しております。……右ページは、三大国それぞれの国旗です。上から、我らがローアルデ中立国…………」
それから、モールはこの国、ひいてはこの大陸の歴史について分かりやすく教えてくれた。彼の話を要約するとこうだ。
まず、先述の通りここはフィリンヘルム西大陸という場所に位置する国らしい。フィリンヘルムはたくさんの国で構成されているが、その中でも一際大きな三国がその統治を担っている。三大国と呼ばれるそれらは、名をローアルデ中立国、ルタリスク魔導国家、ガルムンド帝国という。
我らが国、ビアが召喚されたこの地は、三大国の一つ、癒を司るローアルデ中立国。肥沃な土に恵まれ、緑生い茂る豊かな地。豊潤な大地を持つこの国は、別名“恵の国”とも呼ばれている。その土地柄もあいまって、穏やかな国民性がよく知られている。自らを“中立国”と銘打ち、他国の諍いに一切関与しないことを掲げるところからもその性格は垣間見えよう。
恵ではなく癒を司る所以は、各国で行われる召喚の儀にて、ローアルデが歴代で一番聖女の召喚数が多いからである。
もっとも、聖女の召喚数こそ負けるものの、召喚の儀自体の成功率の高さは、第二の大国、ルタリスク魔導国家が群を抜いている。
かの国はその名の通り魔法に優れた国である。また、智を司る国だけあり、大学や研究所など学問に優れた機関を多く持ち、学術都市の発展がめざましい。知的で冷静な国民性からフィリンヘルム一理性的な国と言われている。
そのルタリスク魔導国家と対を成すのが、第三の大国、ガルムンド帝国。
戦を司るこの国は、非常に好戦的な軍事国家だ。身体能力に優れている者が多く、魔物との戦闘ではその特性が存分に生かされる。その代わりと言ってはなんだが、魔術は弱い傾向にあり、召喚の儀の成功率は低い。ただし、一度成功すれば魔物の群勢を一掃するほどの戦力を持つ戦乙女の召喚率が高く、フィリンヘルムで一番魔物討伐に貢献している国といえよう。国柄同様、国民も苛烈で気性の荒い者が多く、血気盛んな国である。
「……国旗の絵を見てください。それぞれ異なる色をし、また大きく動物が描かれておりますでしょう?ローアルデは翠と一角獣、ルタリスクは蒼に梟、そしてガルムンドは紅と狼。……これは各々の国を表す象徴となっております。」
モールが右のページを指差す。彼の言った通り、それぞれの全く違う色の国旗に、文様のような絵柄でそれらしき動物が描かれていた。
(……ガルムンド………紅と…狼……)
ふと、昨日の二人組の言葉が頭をよぎった。
(犬、ってよく繰り返してたわね。それに、ヤケンノチ……何のことか分からなかったけど、“野犬の血”ってこと……?)
狼と、犬。――何か関係がありそうだ。
「……あの、……変なことを聞きますが…その、“犬”とか“野犬の血”というのは、ガル――」
「その言葉を、一体どこで聞きましたかな?」
ビアが話終える前に、モールが低い声を重ねた。あまりにも冷え冷えとしたその声は、先日芽吹いた緑たちが一斉に枯れるのではないかと思うほど冷たい。
「ビア様、もう一度聴きます。その言葉を一体どこで聞きましたか?」
好好爺とは打って変わった態度にビアは戸惑う。この状況で答えないという選択肢はまずないだろう。
とても誤魔化せる雰囲気ではないが、かといって昨日の出来事をありのまま話すのも憚られる。名ばかりとはいえ救国の乙女である自分に騎士団員が暴行を働きかけたなど、とんでもない一大事だろう。あの二人を庇うわけではないが、大事にはしたくなかった。なにより、ビアがこっそり城を抜け出していたことが露呈してしまうのも困る。
固まるビアの様子が気の毒になったのだろう。もしくはびっくりして声も出ないと捉えられたか。いずれにせよモールは一つため息をつくと、困ったような苦笑を浮かべた。
「……そういえば貴女は最近、厨房に出入りしておりましたね。おおかた、ノイマン様と話でもしている時に、口さがない役人か何かの話が聞こえてしまったのでしょう。」
厳密には違うが、割と正解に近い。そしてテオドアの名前がすぐ出てきたことにビアは驚いた。
「……いいですか、ビア様。その言葉は今後ニ度と口にしないでください。それはガルムンドの混血者に対する蔑称にございます。」
「蔑称……ですか?」
ビアが繰り返すと、モールはまた大きくため息をついた。




