14.赤-3
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雲ひとつない快晴。川の水面が太陽の光を浴びて、一際きらめくそんなある日の午後。ビアはいつものごとく、滝壺の前でテオドアを待っていた。仕事が思ったより早く終わったため、約束していた時間より幾分早く到着してしまった。手持ち無沙汰なビアは、なんとはなしに持ってきたバスケットの中をチラリと覗く。
今日のお菓子は果物入りのパウンドケーキ。パウンドケーキは今回初めて持ってきたが、テオドアの口に合うだろうか。
(レーナさんは、副隊長ならなんでも食べるって言ってたし大丈夫だよね。)
そんなふうに自分を励ますと、手にしたバスケットをぎゅっと握り締めた。
――がさり。背後の茂みが揺れる。
「……ノイマン副隊……」
ビアが振り返った先には、しかし、期待した人物の姿はなかった。
「あーやっぱいた、女!……アイツ、お高くとまってる割に、しっかりやることやってんのなあ。」
「馬鹿お前、所詮平民上がり、しかも野犬の血じゃ、理性の程度なんてたかが知れてるって。」
そこにいたのは男が二人、どちらも初めて見る顔である。テオドアと同じ隊服……いや、彼らの方がいくらか上等なものだろうか。それを着ていることから、おそらく騎士団員なのだろう。
(ノイマン副隊長のお友達かしら?それともたまたまここに来ちゃっただけ?)
後者だったら少し厄介だ、この状況をどう説明しようか。いや、それより……
(と、とりあえず、まずは挨拶)
「あ、えっと、はじめまし――」
「ねえねえ、おじょーさんさあ、犬が好きなの?」
ビアの言葉を遮って、男の一人が無遠慮に問うてきた。なぜここで犬の話題が出るのだろうか。
「い、犬…ですか?……え、ええ、まあ好きですね。可愛いと思いますが……ええっと、それが何か?」
もしかして、犬の散歩で通りかかったのだろうか。そういえば、初めてここにきた時、遠目に犬小屋が見えた覚えがある。テオドアも騎士団寮では猟犬を飼っていると言っていた。もしここに連れてきているなら、是非ともお目にかかりたい。
ビアの期待の眼差しを向ける。しかしそれとは裏腹に、男たちはその場で盛大に吹き出した。
「ぶふ……っ!!やっばいこいつ、マジでバカじゃん!!……くくっ、ダメだ笑いが止まんねえわ。皮肉が全然通じてねえの……っ!!」
「っひーっひぃ……っ!!仕方ねえだろ、犬と交わってるような女だぜ?学もクソもあったもんじゃねえだろ……あー、ほんと傑作よ……ふっ……ひひっ!!」
突然爆笑し始めた男たちに、ビアは戸惑いの色を隠せない。
なんなんだ、この二人。いきなり妙な質問をしてきたかと思えば、今度は腹を抱えて笑っている。全く意味がわからない。
(それに、なんだろう……この感じの悪さ。)
人を小馬鹿にしたような物言いや嘲笑い声。痛いほど感じる侮蔑の眼差しに、ビアはなんとも言い難い嫌悪感を覚えた。
「……んー、まあでも。顔は可愛いよなあ。」
「あー。まあ、そうだなあ。地味に胸もあるし……。生意気に良い女飼ってんじゃん、アイツ。」
ひとしきり笑い終えた後、男たちは改めてビアの方を見た。ねっとりした視線が、舐め回すかのように全身を這う。気持ち悪い。
「ねえ、おじょーさん。この服見てわかるでしょ?俺たち、第二部隊だよ?」
「……は?」
「副隊長っつっても所詮第八。平民上がりの男なんかより、俺たち貴族に媚びる方がよっぽど賢いんじゃない?」
男がわざとらしくズボンのジッパーを下げて見せる。
その瞬間、ビアの全身にぞわりと鳥肌がたった。
(まさかこの人たち、こんなことを言う為だけにここにきたの……?)
内臓を掻き回されるかのような不快感、腸が煮えくり返るような怒り。とにかく大きな嫌悪感がビアの中に渦巻く。
当たり前だろう。この男たちは、ビアが肩書き目当てにテオドアを誘惑し、隠れて情事に耽っていると考えている。そしてその上で「自分達の方が格上だから、こちらに乗り換えろ」と言っているのだ。
馬鹿にするのも大概にしてほしい。
「……失礼します。わたくし、ノイマン副隊長に御用がありますので。」
強い語気で言ってのけると、ビアはそのまま男たちの脇を突っ切った。わざとらしく「ノイマン副隊長」の部分を強調してしまったのは仕方のないことだ。
(アホらしい。こんな人たち、真面目に相手をするだけ時間の無駄よ!!)
早くテオドアを探そう。そう思い茂みを掻き分けた時だった。
急に右手首を掴まれ、後ろにぐいと引っ張られる。突然の引力に耐えかねたビアの身体は、そのまま背後に倒れ込んだ。体制を整える間も与えられぬまま、乱雑に地面を引き摺られる。
「なんだよこのアマ、ちょっと下手に出てやったらメイドのくせにつけ上がりやがって……」
激昂した男の一人が、ビアの身体に馬乗りになる。
「このっ、犬に腰振るアバズレが……っ!!」
腕を振り上げ、その掌がビアの頬をはたこうとした、その時――
「――あんたら、何やってんだ?」
地を這うような低く冷ややかな声が、頭上から降ってきた。




