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10.第八部隊-2

***


「よ…い……しょっ………」


 窮屈な穴に身体を滑り込ませ、なんとか城の反対側へ抜ける。服は少し汚れてしまったが、これくらいなら誰かに言及されても適当に誤魔化せるだろう。


 ビアの両足が柔らかな大地を踏みしめる。野芝の感覚など一体いつぶりだろうか。じんわりと感慨に浸りながら顔を上げると、そこには初めて見る城の向こう側の世界が広がっていた。

 

 この世界にきてからずっと、恋焦がれていた世界。


 ビアの胸がトクンと高鳴る。あたりに人気がないことを確認すると、ビアは今一番行きたかった場所に向かって駆け出した。


(まずはやっぱり、川を見なくちゃ!!)


 下流は寄宿舎のすぐ側を通っており、人に見つかる可能性がある。ビアはあえて木々生い茂る上流を狙うと、せせらぎの音を頼りに茂みを掻き分けていった。草木の間を縫うようにズンズン進む。すると五分ほどですぐに川らしきものを視界に捉えられた。


(あ、あった!!……って…え、えええ!!??)


 茂みを抜け、川の前に飛び出た時、ビアは感動するより先に、目の前に広がる光景に仰天した。なぜなら――


 ずぶ濡れの男が一人、パンツ一丁で洗濯をしていたからだ。



 

「……うう、さっぶい……ジミルの奴、いつタオル持ってきてくれんだよ、遅えよ……ああもう嫌、さっぶい、死ぬ。……ぶえくしっ!!」


なんか独り言を言っている。そりゃあそうだろう、暖かくなってきたとはいえ、まだ春先なのだから。


「せめて川下で洗濯させてくれよ……くそっ、婦人会の連中どもめ……あいつらが風紀だなんだって騒ぐせいでこんな木陰で水も冷てえ場所で洗濯する羽目になって……ううっ…あっちなら寄宿舎もすぐなのに……」


 今度は恨み言が始まった。なるほど、そういう理由でここにいたのか。それにしてもなんで洗濯なんてしてるのだろうか、この男……


「……これもう水ん中の方があったけえんじゃねえの逆に?絶対そうだろ。おし、もっかい入ろ。せーのっ!!」


 どぼんっ!!


 水が鈍い音を立てて跳ねる。上流は小さな滝壺のようになっているので、他の場所より水深がある。頭のてっぺんまで潜った男が、再び水面(みなも)から顔を覗かせた時、ビアはそれまで後ろ姿しか見えなかったその男の顔を初めて目にすることができた。

 真っ昼間から下着一枚で洗濯に勤しんでいた男、それは……


「「あ。」」


 濡れてより漆黒に近づいた黒鳶の髪、吸い込まれるような真っ赤な瞳。

 テオドア=ノイマンとの二度目の邂逅は、思いのほか早く実現した。


***


 テオドアはビアの姿を視界に捉えると、昨日同様、びっくりしたハムスターのようにしばらくの間フリーズしていた。


「あ、あのぉ……」


 たまりかねたビアが声をかけると、これまた昨日同様、びくりと大袈裟に身体を跳ねさせる。どうやら我に返ったようだ。テオドアはあたふたしながら川から上がろうとし、己がパンツ一丁だという現実を思い出すと、そのまま水中に引き返した。



「……やあ、また会いましたね。綺麗なお嬢さん。こんなところに何かご用ですか?」


 気を取り直したテオドアが、また爽やかなキメ顔でこちらを見つめてくる。肩肘を川べりにつき、もう片腕で髪をかき上げる仕草はなんとも色っぽい……鼻さえ垂らしていなければ。やや大袈裟なテノールボイスもその色気を一層引き立てている……鼻声だが。

 水も滴るいい男は、鼻水も一緒に滴らせながら、こちらに優しく微笑みかけてきた。



 さすがのビアも、二度目は我慢できなかった。


「……んっふふっ……あはははは………っ!!」


 一度声が漏れてしまえば、もう止まらなかった。ビアは相手が目上の人間ということも忘れ、腹を抱えて笑っている。

 幸い、テオドアが気を悪くした様子はない。むしろ笑いが止まらないビアを見て安心したようだ。彼は今度こそ川から上がると、先ほどまで洗濯していたずぶ濡れのシャツとズボンを身につけた。ビアに気を遣ったのだろう。


「お嬢さんも洗濯に来たんですか?」

「あ……いえ、私はたまたまの通りすがりで。騎士様こそ、なぜこのようなところで洗濯を?」

「………午前中に近くの森の巡警があったんですけど、そこで派手にすっ転んでしまって。場所が悪くてそのまま泥沼へドボンしちゃったんですよ。騎士団(うち)はそういうことが日常茶飯だから、ひどく汚れた時はメイドに洗濯を頼む前に、まず自分でだいたいの汚れを落とすよう言われてるんです。」


 なるほど、そういう事情があるのか。夏場に水浴びをする騎士たちがいるのは、洗濯のついでなのかもしれない。


「お仕事お疲れ様です。……またぜひ厨房にいらしてくださいね。明日からしばらく炊事担当なので。」

「ありがとうございます。………あの、えーっと?」

「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。ビアと申します。」

「ビアさん、ね。そんじゃ、お言葉に甘えてまた近々伺っちゃおうかな。」


 そう言うと、テオドアは白い歯を見せてニカッと笑った。こちらが彼の本来の笑い方なのだろう。今までの爽やかな笑顔も悪くはないが、ビアはこっちの無邪気な笑い方の方が好きだと思った。

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