隣国での出会い
舞踏会の音楽と喧騒から抜け出しバルコニーに出ると夜風が心地よい。
長椅子に座り上着を脱いで、わざと大きめの声を出しため息をついた。
「はあー」
自国では出来ない息抜きだ。
「ご気分でもお悪いのですか?」
声をかけられて目を上げたクリスティアンは思わず息を呑んだ。
夜空に輝く星を背に金色に輝く女性が自分を見下ろしていた。
もちろんよく見ると彼女が金色だったわけではない。茶色の艷やかな長い髪が会場から漏れる明かりのせいで金色に輝いていたのだ。
柔らかくウェーブする髪に形どられた彼女の可愛らしさに心を奪われる。
陶器のように白くきめ細やかな肌と華奢な身体。
大きな瞳と形よい弧を描く眉からは意志の強さを感じる。
柔らかそうなふっくらした頬と小さくぷくりとした口唇は少女のようだ。
可愛らしさと美しさが見事な調和を成した愛くるしい容姿から目線を外せなくなってしまった。
天使が見知らぬ自分のために心配そうに顔を歪めている。
「あの…大丈夫ですか?」
「……失礼。大丈夫です。少し飲みすぎたようで夜風にあたっていました。」
「そうですか、それなら良かった」
「よろしければどうぞ」
そう言うと彼女は手に持っていた水の入ったグラスを差し出した。
クリスティアンは身についた癖で無意識に一瞬戸惑ってしまった。
すると彼女はふっと笑い、その水を自ら一口飲んだ。
下から女性の喉元を見上げることはあまり経験がない。
口から喉に水が通っていくと彼女の白い肌が僅かに上下した。その瞬間、クリスティアンは身体がゾクリと疼くのを感じた。
「ふふっ、毒は入っていませんよ」
彼女は微笑むともう一度グラスをクリスティアンに差し出した。
突然の身体の疼きを意識から外し平静を取り戻すとクリスティアンはそのグラスを受け取った。
「では、頂こう」
「リリー!リリー!」
青年がホールの方からやって来た。
「テオデュロ!」
「ここにいたのか。リリー、そろそろ帰ろうか」
「ええ」
リリーと呼ばれた女性はクリスティアンに会釈をし青年に駆け寄って行った。青年もクリスティアンを一瞥すると軽く会釈し、彼女に何か囁くと彼女の腰に手を回し微笑みながら去って行った。
「殿下!お水をお持ちしました」
エヴァンがグラスを差し出そうとして首をかしげた。
「ん?もうお持ちでしたか?」
「ああ、うん…まぁ」
ーーー他国の、しかも恋人か婚約者がいる女性だ。二度と会うことはないだろう。
それにしても…女性に、しかも初対面の女性にこんなに魅了されるとは。
見知らぬ男に口をつけたグラスを差し出せるほど子どもなのか?
いや、彼女は自分の一瞬の躊躇を見逃さなかった。そしてその意味を瞬時に悟った。
子どもなのか大人なのか…少女なのか女性なのか…
わかることは彼女のどこにも、男に…自分に媚びようとする意志を感じなかったことだ。
ーーーふっ、面白い出会いもあるものだ。
なぜか自分の心がふわりと軽くなっているのを感じた。
ーーーゾクリとしたりふわりとしたり…俺は疲れているのか?
クリスティアンは彼女に渡された水を口に含みゴクリと飲み干した。
「そろそろ失礼いたしましょうか、殿下」
「ああ」
2人は舞踏会の主催者である隣国フィデル王国陛下と、本日婚約を発表した第一王太子殿下に挨拶をし城を後にした。
ーーーーーー
馬車が走り出すとほどなく足止めされた。国と国の境目である検問所で前を行く馬車が数台、通行証の確認を受けている。
クリスティアン達を乗せた馬車と護衛兵達の一団は検問所の憲兵達の最敬礼で見送られた。
「闇が深いな」
「夜の森は気味が悪いですね」
遠くに光の塊が見えた。
「ヴェルニーチェ侯爵邸ですね」
ここは彼の父を国王とするザカリアス王国の東の果ての果て、広大な森を領土に持つヴェルニーチェ侯爵領。
ここからザカリアスの王都へは数時間かかる。逆に隣国フィデル王国の王都へは数分だ。
クリスティアンもフィデル王国に招かれた時しかここを通ることはない。それも1年に一度あるかないかだ。
ゆえにクリスティアンには想像も出来なかった。
まさかこれから先、自分が何度もこの地を訪れることになろうとは。