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第4話 記憶

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 混沌とした暗闇の中。ジャンヌは、水中にゆっくりと沈んでいくような感覚を味わっていた。だが、それは水中ではない。ジャンヌの封印されていた記憶、その暗闇の中へと、沈んでいっていたのだ。


 それは断片的な記憶。まず、ジャンヌは水の心地よさを感じた。自分の体が浮いている。いや、水槽の中にいたということだ。すぐ隣には、赤ちゃんほどの大きさの人間が、ぷかぷかと浮いている。なんとなく、自分と同じ姿なのだと分かる。赤ちゃんの頃のジャンヌは、水槽で育ったのだ。そして、隣には、同じように育った誰かがいる。


「もうすぐだ、もうすぐ最高の生命体が生まれる!」


 声が聞こえる。水槽のすぐ前だ。ガラス越しに、白衣を着た青年が喜んでいる。博士だ。これもなんとなくだが、この人に生み出されたか、少なくとも水槽の中で面倒をみてもらっていることは分かった。


「パパ」


 そこに、また一人やって来るのが見えた。少年、というにはまだ幼い、5歳か6歳程度の男の子。今なら分かる、この子はマサミチだ。マサミチが、もっと小さかったころだ。


「パパ、また実験しているの?」

「そうとも、もうすぐ最高の生命体が生まれるぞ!」


 博士は興奮しているらしいが、マサミチはあまり表情が変わらない。仕方ない、まだガキなのだから、興味がなくて当たり前だ。


「ふーん」


無関心そうに言うと、マサミチは水槽の中のジャンヌと隣の赤ちゃんを見た。見ながら、手に持った時計のネジを、くるくると回した。マサミチが手を離すと、オルゴール調の緩やかな音楽が流れていく。オルゴールだ。


 ジャンヌはその音楽、生まれて初めて聞く音楽になんだかうっとりして、興奮して、腕を伸ばした。その腕が、たまたま水槽のガラスに当たって、コツンと音をたてる。


 マサミチはにっこりして、ジャンヌに話しかけた。水槽の中の、返事もできぬ赤子に。


「君、音楽が分かるのかい? 君も好き?」


 マサミチが言うやいなや、博士は血相を変え、ヒステリックともいえる激しさで、まくしたてた。

「コラ! 最強の生命体に、音楽を鑑賞する必要などない! ただ冷徹であれば良いのだ。余計な情報を与えるな、あっちへ行け」


 マサミチは一瞬怯んだが、次には眉を寄せて、不機嫌さをあらわにした。


「ふんだ。パパはいつも水槽に向かって話しかけてばかり! この時計をプレゼントしてくれたことだって、もうとっくに忘れちゃったんでしょ。 パパなんか嫌いだ!」


 マサミチはそう言って走り去ると、ジャンヌからは見えなくなった。

 博士は、ジャンヌとその横にいる赤ちゃんを見て、嬉しそうにつぶやいた。


「マサミチにも、いつかきっと、私の研究の価値が分かるはずだ」



 次には、数年後と思われる風景が浮かんできた。




 ジャンヌとアシレーヌは、とっくに水槽から出て、13歳の少女くらいの大きさに成長していた。博士に言わせると、まだ水槽から出て一年ほどらしいが、急速に成長しているらしい。とっくに言葉は話せるし、大人以上の運動能力を持っていた。


 博士は二人にさまざまな実験をさせ、記録をとった。ジャンヌはそのとき、100メートルは9秒、パンチ力は10トンを超えていた。アシレーヌの能力は、それよりも上だったらしい。博士はアシレーヌをよく褒め称えた。


 マサミチがときどき寂しそうにのぞきに来て、ジャンヌといくらか話したが、博士にすぐ引き離された。ジャンヌはマサミチと話すと、やさしい気持ちになれた。よく、オルゴールの音色を聞かせてくれていたのである。


 アシレーヌはジャンヌとうり二つ、透き通るような白い肌に、くっきりとした目鼻立ちであった。ただ、毛色は全く別で、長い髪の毛は漆黒だ。博士ともマサミチとあまり喋らず、口数は少なかった。


 ジャンヌはアシレーヌのことを、「アシレーヌ」と呼んで、いくらか話しかけていたような気がするが、アシレーヌの返事はいつも「ん」「あ、そう」などである。


 あるとき、博士がどこから連れてきたのか、人間より大きいほどの犬を、ジャンヌたち姉妹の前に解き放った。闘犬の類である。黒い闘犬は口からよだれを垂らし、今にもジャンヌたちを、その牙で食い裂きそうな迫力だ。


「アシレーヌ、ジャンヌ、さあ、変身し、君たちの戦闘能力を見せてみろ!」


 博士は声をはずませて言った。


 闘犬は喉を唸らせながら、まずはジャンヌの方へ近付いて行った。当時身長150センチ超のジャンヌを見下すほど、大きな闘犬である。


 ジャンヌはすぐさま、闘犬から漂う気配を察知した。闘志、ジャンヌの体を引き裂いて喰わんとする凶暴性。


「私に敵意はない。あんたも静まれ」


 ジャンヌが言うと、闘犬の呼吸は徐々に静まり、やがてお尻を床に着けた。


「これでよし」


 ジャンヌは闘犬の頭を撫でた。闘犬はいかつい顔に似合わず、「クウーン」などと鳴いて、目を瞑った。


「な、なんだ。早く戦わんか」


 博士は少し離れたところからそう言った。やはりというべきか、不服そうだ。


 闘犬はしばらくして、ガルルと吠えながら立ち上がると、今度はアシレーヌの方を向いた。アシレーヌも闘犬を見据える。彼女の目はジャンヌと似ているが、瞳の奥に宿るものは違う。それは燃え盛る破壊と暴力の意思。「来るなら速く来い」、目でそう言っている。


 闘犬はアシレーヌに近付き、一メートルほど離れたところを、唸りながら左右に歩いた。攻める機会を伺っているかのようだ。


 一方、アシレーヌも組んでいた両腕を解いた。いつでも戦えるようにだ。


 向き合う闘犬とアシレーヌは、正に臨戦態勢。ジャンヌは横から口を挟んだ。


「アシレーヌ、あんたならその犬を手なづけられるはずだ。戦う必要はない」


 アシレーヌは、ジャンヌの方を見なかった。


「そんなことをして何になる。このオモチャがどれほど頑丈か、試させろ」


 アシレーヌはにたりと笑ったかと思うと、闘犬に向かって唾を吐いた。


「いつまでそうしている! バカ犬が!」

「ウガー!」


 闘犬は飛び上がり、アシレーヌの方へ、倒れ込むかのように飛びかかった。アシレーヌがするりと避けると、闘犬が着地した床にはヒビが入った。相当な破壊力だ。


「アシレーヌ、変身!」


 アシレーヌが言うと、その体はどんどん変化していく。目は黒一色に、長い髪は鳥の両翼じみた形へ変形し、背中からは巨大な翼が生える。服は体表の羽毛と一体化し、豊満な胸や、腕と足の筋肉、割れた腹筋が露わになった。黒鳥の姿である。


「今のがお前の最後の攻撃だ」

「ギャー!」


 また闘犬が飛びかかってきた。そこからの戦いは一瞬であった。


 アシレーヌが腕を一閃すると、闘犬の巨大な頭は、アシレーヌの腕に引き裂かれた。アシレーヌは、その頭を丸ごと抱えている。頭からは、床へドバドバと、壊れた下水管のごとく血が垂れていた。一方で、胴体は四足で立ったまま、首の部分から噴水のごとく血を噴き出している。しばらくして、胴体は横へ倒れた。


「エクセレント! 素晴らしい!」博士の一言。


 アシレーヌに抱えられえている闘犬の頭は、しばらく、「ギャン、ギャン」などと鳴いていた。


「ふん、ザコが。殺されたことにすら気付かんか」

 

言うと、アシレーヌは顔を脇に挟んだまま、圧迫して破壊した。正に割れたスイカのように、赤い汁が一面に飛び散った。


「何も殺すことはなかったのに……」

 

ジャンヌはそう言った。


「じゃああなたは試したくないわけ?」

「自分の強さをか?」

「違うわ、目の前のオモチャがどうやったら壊れるかってことよ」


 さっきまで喜んでいたはずの博士は、あまりの凄惨な光景に、口をあんぐりを開けていた。


「よ、よ、よくやった」

 

数秒か、数十秒ののちか、やっと博士はそう言ったが、何か思うところのある様子だ。


 アシレーヌは、腕を勢い良く振った。腕に付着した血が飛び散り、床に着いて音を立てる。その音を聞いて、博士の肩はびくりと震えた。


「パパ、もっと強い敵をよこせ」


 アシレーヌは、博士のことをパパと呼んでいた。



 その夜、ジャンヌは博士の部屋に呼び出された。いつもアシレーヌと一緒に呼ばれるはずだ。一人きりで呼ばれたのは、生まれて初めてのことであった。


「私は恐ろしいものを生み出してしまったのかもしれん……」


 博士は震えながら一言、そう言ったのであった。

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