第3話 両翼
ジャンヌは、マサミチの頭を撫でながら、さっきまでクモ男に追われていたのだから、この子はそうとう怖かっただろうと思った。同時に、どこか冷静な部分もある。ともかく、マサミチというこの少年は、ジャンヌに敵意はないようだ。それ以上に、ジャンヌがなぜ串刺しで目覚めたのか、知っている可能性は高い。
自身の腕を見ると、どうやら変身は解除され、人間の女性の姿に戻っているらしかった。
「マサミチ、私は今日、山奥で剣に串刺しにされたまま目覚めた。そのときには記憶はなかったのよ」
「たぶん、アシレーヌと戦ってやられたんだ。きっとそうだよ」
「アシレーヌ? そいつがクモ男の親玉か」
「そうだよ。怪人を生み出して命令できるんだ」
「そいつは何者なの?」
「君のお姉さんだよ」
話に追いつけない。ジャンヌは戸惑いながらも、情報をまとめてみた。幸い、マサミチは歳の割に賢いようである。
「えー、ということは……。まず私には姉がいる。理由はどうであれ、私や姉は普通の人間にないパワーがある。しかも姉貴は私とケンカしていて、私を岩に串刺しにした、ってこと?」
「だいたい、そうだよ。僕も串刺しにされていたとは知らなかったけれど」
「そうとう過激な姉貴だわね」
「アシレーヌはとんでもないお姉さんだよ。とにかく、僕の家に行けば分かるはず」
「へえ。で、家の場所は分かるのかい?」
マサミチが自信ありげに頷くので、ジャンヌはバイクまで案内して、後ろに乗せてあげた。マサミチの体格では、足が地面に届かないので、しっかり体に掴まっておくように注意するジャンヌ。
「分かった。お腹に手を回して、掴まれば良いんだね。ジャンヌ、こんなかっこ良いバイク、どこで手に入れたの?」
「もらったんだ」
ジャンヌはバイクのギアを一に下げると、アクセルを捻り走り出した。
マサミチの案内通りに進んでいくと、東京の街並みはどんどん都会になっていく。高いビルが立ち並び、車の通りも多い。
「誰かに見られているな」
ジャンヌが言った。
「そう? 僕には分からないや」
「さっきから視線を感じる」
そのとき、クモ男と出会う前に感じた、頭痛に似た感覚が走った。バイクの速度を緩めず、ジャンヌは口走った。
「まただ、頭痛みたいな感覚がある。少し弱い感覚だけれど。何かが近くにいるって感じだわ」
「ああ、敵の位置をサーチしたんだ」
「え?」
「ジャンヌ、君たちはお互いの居場所が近いと、分かるんだ。テレパシーみたいに。ジャンヌがそれを感じとったんだ」
「なるほどね。クモ男のときも、クモ男の位置を感じとったってわけね。じゃあ、この感じだと、相手の位置はだんだん近付いてきているぞ」
ジャンヌには分かる。何者かが、ジャンヌに近付いてきている。もしくはマサミチに。そういえば、マサミチはなぜクモ男に追われていたのだろう? 今近付いてきているやつも、ジャンヌではなくマサミチの方が狙いかもしれない。
ともかく、今の相手が敵意を持っていることはよく分かる。脳に伝わる感覚が、明確な敵意を教えてくれているのだ。
「私たちに味方は?」
「いるとしたら、僕のパパくらいじゃないかな」
「やれやれ。じゃあ姉貴……」と呼ぶのも変な感じがして、言い直した。「アシレーヌの方は?」
「アシレーヌも一人きりのはずだよ。だけど、アシレーヌはさっきのクモ男みたいに、手下を生み出す能力があるんだ」
「それって私にも真似できる?」
「ううん。たぶん無理」
「アシレーヌは座って命令するだけか。楽で良いな。とりあえず一旦遠回りするわ。人を巻き込みたくない。相手はかなり近いみたいよ」
ジャンヌはハンドルを切って、横道に逸れた。人気の少ない小道を通って抜けると、砂の地面と石段が見え、大きな鳥居の下をくぐって行く。神社のようだ。ジャンヌはその砂地の上に、バイクを停めて片足を置いた。
いつでも走り出せるように、エンジンはかけ放してある。
マサミチもジャンヌの体にぎゅっと掴まっていた。だが、神社には静寂があるばかり。相手の気配はしっかりあるにもかかわらず、何も起こらない。
「おかしいな。テレパシーによると、どんどん近付いてきているはずよ」
ジャンヌは辺りを見回して注意した。鳥居の方向、石段の方向、けれども、人影すら見当たらない。その間にも、相手との距離が縮まっていることだけは、頭痛じみたテレパシーが教えてくれている。もう、かなり近いはずだ。
そのとき、地面に人型の影が映った。マントを纏った大男のようにも見えるその影は、どんどん大きくなって、バイクにまたがっているジャンヌたちの影と重なる。
「な、誰だこの影は……」
「うわあ!」
マサミチが叫んだ。その声がだんだん遠くなる。
「なに、上空から!」
ジャンヌは上を見上げた。腕から腹にかけて翼を生やした黒い影が、マサミチの体を掴んで上昇していく。その姿は、巨大なコウモリのようである。
「ジャンヌ、コウモリ男だ! うわあ、すごく高い」
「呑気なこと言ってる場合か」
ジャンヌは、半ば吊り下げられたままのマサミチをバイクで追う。少しずつ近付いてはいるものの、腕を伸ばしても届かない。コウモリ男は、少しずつだが上昇している。このままでは、彼方へ飛んでいってしまう。
「ああ、届かない」
「ピギー!」
コウモリ男は叫んでいる。
マサミチは宙ぶらりんになりながら、ジャンヌの方を見た。
「ジャンヌ、変身して! 君には翼があるから、空を飛んで追いつけるはずだよ」
「そうか。変身!」
ジャンヌは変身した。背はより高くなり、服は体表の羽毛と一体化していく。白い羽毛に、ほとんど全身を包まれた。豊満な胸と逞しく割れた腹筋があらわになる。背中に力を込めてみると、翼が展開した。
自分の影を見ると、その大きさがよく分かる。ジャンヌ自身が両手を広げたものよりも、もっと幅のある、巨大な翼だ。
「よおし、この翼で! 飛ぶ!」
ジャンヌはバイクからジャンプし、そのまま翼を羽ばたかせた。飛行の仕方は分からないが、ぶっつけ本番というやつだ。自分の体が宙に浮くのが分かる。バイクで猛スピードを出していたから、助走の必要もない。風を一身に受けて、体がどんどん上空へ浮かんでいる。だが、このままでは追いつけない。
背中に力を込め、翼を羽ばたかせた。その瞬間、ジャンヌの体は突然左へ曲がり、神社の大木へ猛スピードで激突した。
「いて! これは、練習が必要だな」
地面に落ちたジャンヌは、コウモリ男を凝視した。翼をコントロールして、自由に空を舞うのは難しい。やむを得ない。ジャンプしていくしかないだろう。目測で、相手は地上から40メートル以上離れている。
ジャンヌは一気に身を屈めた。美しく逞しい足には、鋼のような筋肉が盛り上がる。そのままジャンプし、一気にコウモリ男に接近した。
「落ちろ」
ジャンヌは拳を振りかざし、空中でコウモリ男の腹を殴った。数センチほど拳がめり込み、相手は叫び声をあげる。
捕まえられていたマサミチは、衝撃で引き離され、空中を落ちて行った。落下して地面に衝突するまで、いくばくもないだろう。
「うわあ!」
「マサミチ!」
ジャンヌは身を縦長になるような姿勢にし、猛スピードで落下、マサミチの首根っこを掴むと、翼を広げた。羽ばたくのは難しいが、巨大な翼は、広げるだけでもパラシュート代わりになったようだ。
マサミチを地面におろし、ジャンヌ自身も地面に両足をついた。さっきまで乗っていたバイクは、煙をあげて倒れている。もう、乗ることはできないだろう。
「ジャンヌ、ありがとう。飛び方、忘れちゃったの?」
「さっきは油断しただけだ。本気を出せば飛べるわ」
「ええ、本当かなあ」
「ピギー!」
そのとき、正面からコウモリ男が立ち上がった。マサミチを追って、とことん逃がさないつもりだ。神社の中で、ジャンヌとコウモリ男は向かい合った。
ジャンヌは片手でマサミチを制し、後ろの方へ引っ込めた。戦いに巻き込まないように。
「ギャー」
相手はジャンヌへ向かってくる。邪魔者を消すつもりだ。鋭い爪が光り、切り裂こうとしてくる。
そこからの攻防は、一瞬であった。ジャンヌは相手の攻撃をかわすと、両腕を使って二発の攻撃を繰り出した。一撃目で胸を殴り、相手の肋骨を三本粉砕。二撃目はチョップで、相手の左腕を切断した。切断面から、緑色の血が排水溝のごとく噴き出している。
「ピギー!」
コウモリ男は、のたうつように引き下がった。力の差は歴然だ。
「つ、強い……」
後ろで見ているマサミチも、愕然としている。
ジャンヌ自身も勝てると思ってはいたが、あくまで油断はしない。戦闘の構えを崩さず、相手の出方を伺う。相手が近付いてきたらやり返す、カウンター型の戦術に徹するつもりなのである。
コウモリ男は両足を踏ん張るような姿勢をとったかと思うと、制止した。謎めいたポーズに、ジャンヌは戸惑う。ダメージを受け、思考停止したのか? だが、相手は何やら、声を発していた。最初は、耳を澄ませば聞こえるような小さな声であったが、次第に大きくなっていく。
「ポポポポポ、ポポポアポア……。ポポピピピピ」
「おい、てめえ何を言っている」
「ピピピピ、ピピピピピ!」
次第に、周りの木々が揺れ、地面の砂が舞うほどの振動が起き始めた。危険に気付いたマサミチは、すぐさまジャンヌに声をかけた。
「ジャンヌ、何かおかしい、下がって!」
「ポポポポ、パア!」
瞬間、コウモリ男の口はラッパのように変形し、超音波を放ってきた。空中に連続した輪が現れる、目に見えるほどの強力な音波である。
「うっ!」
音の速度は、秒速340メートルを超える。ジャンヌは回避しきれず、吹っ飛ばされた。地面を人形のように転がる。
空を見上げ、ジャンヌは自分に起きたことを理解した。超音波を受けて吹っ飛ばされ、地面を転がったのだと。全身に激痛が走る。常人ならば全治に数か月かかる、全身打撲だ。
「ジャンヌ、立ち上がって!」
マサミチの声が聞こえるが、ジャンヌの視界は次第にぼやけつつあった。