第2話 変身
「『やつ』っていうのは、どんな相手なの?」
「すごく背が高くて、天井や壁を這ってくるんだ。目がたくさんあってすごく怖いよ、僕、数えたんだ。目は八個あったよ」
そのとき、「シャー!」という鋭い声がして、頭上から影が降りてきた。
ジャンヌは目の端でその動きを捉え、マサミチを突き飛ばしたあとに相手の攻撃をかわした。
目の前に降り立ったその姿を見ると、身長二メートルほどはあるだろう。マサミチの言うとおり目は8個あり、口は縦に割れている。胸板や腹筋はたくましく、全体的にグレーらしい体色をしている。半分獣、半分人間のような見た目だ。
「なんだ、このケモノ人間みたいなやつは……!」
「ジャンヌ、クモ男だ!」
マサミチがクモ男と呼んだそれは、また声をあげ、ジャンヌに殴りかかってきた。攻撃を避けたが、今度は首を掴まれる。そして、軽々と持ち上げられた。ジャンヌの両足が宙に浮く。首がどんどん締まり、呼吸が苦しい。
「う……このまままじゃ、殺される……三途の川が見えるわ」
「ジャンヌ、言ってる場合じゃないよ。いつもみたいに変身して!」
「ええ……?」
いつもみたいに、と言われても、その「いつも」が思い出せない。そのとき、マサミチが叫んだ。
「『変身!』って言ってごらん!」
「意味不明なんだけど! 変身!」
ジャンヌは、自身の全身にパワーが漲るのを感じた。雄たけびをあげながら、首を掴んでいる腕を引き離していく。
「お返しだ!」
相手の顔面を殴ると、筋骨隆々なクモ男が、いとも簡単に吹っ飛んだ。やっつけたかと思ったが、すぐに起き上がる。
クモ男の目を見て、ジャンヌは自分の姿を確認した。変身したことで、視力も飛躍的に向上し、相手の八個の眼球に反射する自分の姿すらも見えるようになったのだ。
今のジャンヌは、全身を白く美しい羽毛に包まれ、両腕両足は鳥のかぎ爪のように鋭く先の曲がった形状になっていた。顔は人間の女性に近いが、髪は胸を包む羽毛から繋がって一体化しており、頭の両側が小さい羽のごとく飛び出ている。
何より目立つのは、背中に生えた巨大な翼だ。
ジャンヌは自らの手を見た。薄だいだい色だった両腕は、黄色いかぎ爪に、そして、爪の先は獲物を裂くような、黒く曲がった形になっている。
「これが、私? 全身にパワーが漲るのが分かる」
「いいぞ、ジャンヌ! その調子」
マサミチが、柱に隠れて応援している。
クモ男は殴り掛かってきた。人間よりだいぶ素早いが、今の動体視力なら簡単に見切ることができる。ひょいひょいと避け、ジャンヌは腕を一閃した。鋭い爪が相手の胸板に傷をつけ、緑の血が飛び散る。
「なに! この血……、あんたも私と同じ血の色だ。あんたは何者なんだ? 地球外生命体? 突然変異の新生物か? アブサンの飲み過ぎか? 教えろ」
「シャー、シャー……」
クモ男は、言葉にならない声で威嚇するようにうなるだけで、会話が成り立たない。
「おい、五体満足なうちに答えることを薦める」
「ジャンヌ、クモ男とは会話できないよ。たぶん、本体から命令されているだけで、自分で考えたりするのは苦手なんだ」
「本体?」
ますますワケが分からない。
クモ男はまた叫び、縦に割れた口から糸を吐きだしてきた。糸はグルグルに巻き付き、ジャンヌの両腕を縛った。引き離そうとするが、ぴったりとくっついたまま、糸を引きちぎることができない。
「ぐっ、なんて強力な糸だ」
「シャー!」
「ジャンヌ、クモの糸は鋼鉄の数倍の強度らしいよ。図鑑で読んだことがある」とマサミチ。
「身にしみているから、そこでおとなしくしていなさい」
クモ男は、両腕で糸を引っ張ってきっている。このままでは、近くまで引きずられて、全身グルグル巻きにされる。そのあとは食われるか?
「マサミチ、こいつは人間なのか?」
「違うよ。本体の命令で動いている人形みたいなものだと思う!」
「よし」
それなら、遠慮なく攻撃できる。ジャンヌは両腕に力を込めた。
「お前が来い」
足の爪をアスファルトの地面に食い込ませ、両腕を一気に引いた。クモ男の体が宙に浮き、ジャンヌの方へ吹っ飛んでくる。そのまま、頭突きを放つジャンヌ。
盛大な音を立ててクモ男の頭はスイカのように割れ、体ごと地面にへばりついた。首から上は、原型も留めておらず、緑色の血を垂れ流している。しばらくピクピクと動いていたが、そのうち動かなくなり、ドロドロと溶けてしまった。
「サンシタめが」
ジャンヌは両腕の糸を引きちぎった。さっきは鋼鉄の紐のように固かったが、クモ男が倒れたからか、簡単に千切ることができた。
「相変わらずメチャクチャな戦い方するよね」
マサミチが陰から出てきた。
「マサミチ。マサミチって呼ばせて貰うわね。君が知っていること、教えて……」
ほしいの、と続けるつもりが、マサミチはいきなりジャンヌに抱き着いてきた。向けてきた瞳には、滴が溜まっている。
「ジャンヌ、生きていて良かった。僕、本当にもうダメかと思った。生きていて良かったよ……」