ヲタ、推しと入れ替わる
寒空の下、直人は電柱の陰に立っていた。
夜、辺りには会社帰りのサラリーマンやOLが行き交う中、赤い紙袋を手に抱え、その場から動かない青年はいかにも怪しいが、彼にはそうしなければならない事情があった。
アイドル姫野千早(公称23歳)の熱烈なファンである直人は、誕生日プレゼントを渡すため、自宅マンション近くの物陰に潜み、彼女の帰宅を待っていたのである。
(なんかストーカーみたいだな、俺……)
なんかではなく立派に〝迷惑ヲタ〟なのだが、彼にも言い分があった。
事務所にプレゼントを送っても本人の手に渡るかさえわからない。迷惑と思われても、直接、彼女に受け取ってもらいたかった。
びゅうと風が吹き、直人はダウンジャケットの襟を引き上げる。
(にしても寒いな……千早ちゃん、まだ帰ってこないかな……)
そう思っていると、タクシーがマンションのエントランス前に停まった。中から帽子を目深に被り、マスクをした若い女性が降りてくる。
(千早ちゃんだ!……)
プレゼントの入った赤い紙袋を手に駆け出した。そのとき、別の方向からパーカーのフードを目深に被り、マスクをした若い男が寄ってくるのが見えた。男の手の中で何かがキラッと鈍い光を放った。
(ナイフ?……)
気づいたときには直人が千早をかばうように立ち塞がっていた。突進してきた男とぶつかり、もつれ合うように三人は転倒した。直人は頭をコンクリートに打ち、ぐっとうめき声を洩らす。
キャーという女性の悲鳴が聞こえた。暗くなっていく直人の視界に、地面に落ちた赤い紙袋と、あわてたように逃げていくパーカー姿の背中が見えた。
◇
目覚めたら病院のベッドの上だった。
直人はのろのろと体を起こし、辺りを見回した。壁に鏡がかっていた。スリッパに足先を通し、ベッドを降りてそちらへ向かい、鏡の前に立った。
水色のパジャマ姿で、頭には包帯が巻かれていた。いや、そんなことよりも――
(千早ちゃん?……)
鏡に写っていたのはアイドルの姫野千早だった。見下ろすと、水色の病院衣の胸部分が盛り上がっている。触るとやわらかな手応えが返ってきた。
(オッパイ?……)
改めて自分の身体を見ると、手足もウエストもびっくりするほど細かった。
(千早ちゃんと身体が入れ替わった?……)
にわかには信じがたいが、状況はそう伝えていた。ストーカーが襲いかかってきたとき、三人がもつれ合うように倒れ、自分の意識がアイドルの中に入り込んだらしい。
数時間後、マネージャーの男性が病室にやってきた。ベッドに横たわる直人(見た目は姫野千早)に安堵の顔で告げた。
「先生が頭の打撲だけで精密検査で異常はなかったって。よかったな、千早」
「あ、はい……あの僕を……いえ、私を助けてくれた男性は?」
「彼も頭を打って病院に運ばれたんだけど、すぐ意識を取り戻して、検査で異常がなかったので、警察に事情を訊かれた後、自宅に帰ったよ。改めてお礼に行きたいって言ったんだけど、当然のことをしただけですからって……」
お礼に伺うことは暗に断られたという。千早さんに渡してください、と紙袋に入った誕生日プレゼントを託されたという。マネージャーの視線の先に、サイドテーブルに置かれた赤い紙袋があった。
「そうですか……じゃあ私を襲った犯人は?」
とたんにマネージャーの顔が曇る。
「まだ捕まってない。警察が必死に捜査しているから、そっちは警察に任せて、千早は体を治すことに専念するんだ」
直人は黙り込んだ。自分の推測が正しければ、アイドル姫野千早の意識は自分の体に入っているはずだ。
普通に考えれば、元の体に戻せ、と訴えてくるのではないか(戻る方法があるとして)。自分だったら絶対に会いに来る。なのに、会わないでもいいとは何を考えているのだろう?
◇
病院を退院し、直人はアイドル姫野千早としての生活が始まった。
姫野千早は人気絶頂のアイドルグループ九段下46の一員だったので、ダンスのレッスンでは他の同年代のアイドルたちと一緒だった。
(うわっ! すげー、芽依も、清良も、美琴も……ぜんぶ本物だ!)
女同士だから向こうもガードがゆるい。レッスンの休憩時間にはしゃぐフリをして抱きつくこともできたし、一緒にご飯も食べたし、親しくなった相手の家には〝お泊まり〟すらできた。
そして自宅に戻れば、最大の〝お楽しみ〟が待っていた。その夜も直人はショーツだけの、ほとんど裸に近い姿で鏡の前に立っていた。
(これが千早ちゃんの身体か……マジ感動……)
憧れていたアイドルの裸身を前に興奮を抑えきれない。柔らかな胸は何時間揉んでも飽きなかったし、ソファで膝をM字に広げ、手鏡でアソコを観察することも当然やった(悪いか? 絶対やるだろ)。
(ちくしょう、最高だよ、アイドルって……)
ヲタだった頃、通っている大学では、陰キャだの、ヲタクだのと陽キャ連中に馬鹿にされ、居場所もなかった。
(俺は生まれ変わったんだ……これからは美少女たちに囲まれ、ステージでスポットライトを浴びる人生を送っていくんだ……)
元の身体に戻りたいなどとは微塵も思わなかった。アイドルの追っかけばかりしている息子を両親は疎んじ、勉強もスポーツもできる弟を可愛がっていた。元の姫野千早には申し訳ないが、このまま人生を入れ替えさせてもらおう。
◇
その日は雑誌の取材だった。女性の編集者から休日の過ごし方を訊ねられても、直人はよどみなく答えられた。なにせ彼はアイドル姫野千早の大ファンだったので、彼女に関することなら本人以上に知っていたからだ。しかし――
「姫野さんは、高校生の頃、どんな学生生活を送っていたんですか?」
そう問われて、初めて直人は言葉に詰まった。その場はあいまいに答えてしのいだが、改めて思った。
(そういえば、千早のデビュー前のことはほとんど知らなかったな……)
それには理由があった。姫野千早は過去をあまり語りたがらなかったのだ。出身地も本名もいまだに非公表で、どの媒体にも載っていない。
(でも、この家には彼女の過去の情報があるはず……)
以来、直人は家の中の探索を始めた(それまでは下着を見てはムフフとするばかりで、私物は放置していた)。
本名はすぐにわかった。実家の親から送られてきた年賀状や郵便物、荷物の宛名に記載されていた。手紙の内容は年頃の女性らしい、ごく普通のものだった。男の影もなかった。
やがて押し入れの段ボールの中に高校の卒業アルバムを見つけた。郵便物で千早の本名はわかっていたので、その名前を卒アルの中に探した。
直人が漠然と思っていたのは――千早が整形をしたのではないかということだ。これだけ可愛いのだから、やっていても不思議ではない。誰でも整形するご時世だ、今さら幻滅する気はなかった。
(あんまり元の顔がブスだったらショックだけどな……あった!)
卒業アルバムの写真を見て、直人が目をみはった。
(え?……)
千早の高校時代の顔は今と違った。明らかに整形をしていた。ただし――不細工ではなかったのだ。むしろその逆だった。
(すげえ美少女……こんな可愛いコ、メジャーアイドルでもそういないよ……)
正直、今の顔よりもはるかに美しい顔立ちだったので、直人は困惑した。美人に整形するならともかく、彼女はあえて美人度を〝落とす〟ような整形をしていた。
思った。今のアイドルは〝身近さ〟や〝親しみやすさ〟が重視される。九段下46のプロデューサーも、インタビューで「クラスで一番の美少女じゃなくて、あえて二番目、三番目のコを選んでます」と答えていた。
(だから、あえて親しみを覚えられるような顔にした?……マジだったらすげえプロ根性だけど……)
この〝逆整形〟を知ったのをきっかけに、直人は千早の過去に興味を持った。自身で探すのは限界があるので、興信所に依頼して、彼女の過去を調べてもらった。
その日、テレビ局での収録が終わり、夜遅くに直人はマンションに戻ってきた。風呂に入り、リビングでパソコンを立ち上げ、局でもらった弁当をつつきながらメールをチェックする。
興信所から報告書が届いていた。資料の中身を見た直人の眉根が寄る。
(過去に詐欺事件?……)
アイドルになる前、姫野千早は地元の詐欺グループの一員だったという。彼らに騙された会社は倒産し、経営者の家族は一家心中。犯人グループは逮捕されたが、当時未成年だった千早だけは不起訴処分になっていた。
直人はネットで事件の詳細を追った。一家心中をした家族の写真も上がっていた。父、母、姉、弟の四人家族は、車で冬の海に飛び込んだらしい。そのうちの一人、中学生ぐらいの少年の顔に見覚えがあった。
(あいつだ!……)
姫野千早をマンションの前で刺そうとしたストーカーだ。一家心中で唯一生き残った息子がいた。それが彼だった。
ようやく直人は事件の真相に気づいた。
(ストーカーじゃなくて復讐だったんだ……)
どうやってか知らないが、あの息子は自分の家族を死に追いやった女が、整形して人気アイドルになっていたことを突き止めたのだろう。
(待ち伏せして彼女を殺そうとしたのに僕に邪魔されて……)
復讐を果たせなかった。一方、直人と入れ替わった本物の姫野千早は、自分が彼に襲われた理由を知っていたから「元の身体に戻せ」と訴えてこなかったのだ。
夢中でパソコンに向かう直人は、リビングのドアが開く音に気づかなかった。背後に誰かの気配を感じ、振り返った。
パーカーのフードを目深に被った若い男が立っていた。手にナイフを握っていた。恐怖に顔を歪めて直人は叫んだ。
「違う! 入れ替わったんだ! 僕はおまえの家族を騙した女じゃない!」
もちろん相手にそんな言葉が通じるはずがない。自分の容姿は完全にアイドル姫野千早そのものなのだから。
容赦なくナイフが振り下ろされた。相手は男で、こちらは華奢なアイドルだ。今度こそめった刺しにされ、直人は息絶えた。
――犯人が現場から逃走して数時間後、部屋に人が入ってきた。それは直人の姿をした姫野千早だった。血の海で横たわれる女の死体を冷たく見下ろす。
机の引き出しを開け、奥から姫野千早の預金通帳と印鑑を取り出すと、机の上にある赤い紙袋に目を向けた。それは直人が彼女に渡そうとした誕生日プレゼントだった。
それも手にとり、リビングの出入り口に向かった。足を止めて振り返り、つぶやくように言った。
「ありがとう、私の代わりに死んでくれて。あなたってファンの鑑ね」
(完)