8話 その時、光に包まれて
ドラゴンという生物は非常に巨大だ。
こんな巨大な生物をハンターナイフ一本でさばき続けるのは相当に無理がある。
今回はくしゃみをさせる事に成功したので、顎がぐらぐらしているドラゴンの眉間にある窪みへ、ハンターナイフを全力で一突きした。
ここはドラゴンの数少ない急所のひとつで、顎の力が抜けている時だけ出現する急所。
眉間の急所を突かれたドラゴンは身体に力が入らなくなり、静かに息絶えるというまさに必殺の急所だ。
とある異世界の猛者によると、これはドラゴンの神経締めとかいう高等テクニックらしい。
経験上、問題はないとは思うが、念のために首筋の急所も突いておいてある。
神経締めの効果はあったようで、力の抜けたドラゴンは、巨体からは想像もできないほど、ふわりと地面に倒れこんでいた。
恐らく、この異世界の環境が影響しているのだろう。
ドラゴンの監視時に気が付いたのだが、俺のジャンプ力も数倍の高さまで飛べようになっている。
ただし、素早く跳躍できるわけではなく、まるで無重力のようにふわり、とだ。
そんなドラゴンも、どんな因果か、重さは十分にあるため、横向きに倒れてくれたのは僥倖という他ない。
俺一人では到底動かせそうにないからな。
さて、美味しく食べるには他にも色々しなければいけない事があったかと思うが、今回は別に食べるために倒したのではない。
純粋な脅威の排除、語弊を恐れない言い方をすれば殺戮である。
ドラゴンを食材・材料等ではなく排除すべき脅威として見た場合、みっつの危険がある。
まずは生きている時の戦闘力。
その巨躯から繰り出される攻撃、ブレス、踏みつけともいえぬ歩行ですら、どれをとっても一撃必殺の代物だ。
次に上手く倒した後。
ブレスを吐くタイプのドラゴンにありがちなのは、放っておくと周囲に毒をまき散らし、環境を変えてしまうことにある。
今回のドラゴンは毒こそないが、可燃性のブレスを吐いていたため、どこかでガス抜きを行わなければ、この洞穴内では問題が発生する可能性がある。
最後に死体の処理。
正しく処理しなかった場合、精霊体にも近いドラゴンは幽体となり、自身の身体から離れず、再び乗り移ってしまう。
この状態をイモータルドラゴンと呼ぶ。
あるいは、ドラゴンの死体のみが別の要因によって動き出すいわゆるドラゴンゾンビという状態になってしまうのだ。
なお、ドラゴンゾンビの肉は食べると甘くとろける食感らしいが、食べて数十分で激痛にもだえ苦しむそうだ、絶対にやめた方がいい。
というわけで、このみっつの危険を排除するまで、俺の戦いは終わっていないと言っていいだろう。
加えて、類似しているとはいえ、人間と獣人が異なる存在であるように、ドラゴンも似た別種である可能性がある。
単純に俺の想定外の事が起きても不思議ではないということだ。
念入りに処理をしておく必要があるだろう。
「よっと」
ドラゴンの皮は厚いが、内側からなら案外たやすく切れるものだ。
もちろん急所である首筋の内側から、皮に切れ込みを入れる。
そして、皮を剥いでいくのだ。
皮を剥ぐ時は、勢いをつけて、ぐっと!
モゴリーのどこか冷たい目線を受けながら、俺は説明しつつ、ドラゴンをさばいていった。
……ところで救出された猫姫は、衰弱が激しいらしく、近くの村まで持ちそうにないとのこと。
リッスの献身的な治療法術とモゴリーの快適な環境づくりが、少しずつ姫の体力を回復しているようだ。
――数日後。
宵の口、俺は洞穴の入口から山を見下ろしていた。
眼下に広がる一帯の緑。実に目に良さそうだ。
洞穴内からは、濃厚な臭気が漂い、もはや入ろうという気にはなれない。
どこまでさばいたのかというと……、実はドラゴンの皮剥ぎが完了した時点で止まってしまっていた。
5枚にでもおろそうかと考えていたところ、肉が思いのほか硬くなってしまい、切れ味の鈍ったナイフでは到底さばききれなくなっていたのだ。
神経締めが失敗していたのだろうか、それとも必要な工程が不足していたか……。
とにかくこのままでは危険であるため、モゴリーに後の対処を頼んだ。
「……わかった、王に伝えよう」
「お願いします」
そもそもこの世界のために、そこまでしてやる必要があるかという自問は何度も行ったが何故だか"助けてしまう"性分だから仕方ない。
「ブラックダイヤはなかったな」
「まあ、ないでしょうね」
「お前は知ってたのか?」
もはや何を言われても驚かないと言わんばかりのモゴリーは俺の言葉に耳を澄ませている。
「可能性は色々とありましたが、最初から絶望的だとは思っていました」
「なぜだ?」
「お姫様の姿は、いつもあんな肌着だけなのですか?」
「そんなことはない、いつも金銀を着飾られた豪奢なお姿でいらっしゃる」
「それですよ」
「賊か!」
盗賊などに襲われたのなら身体が無事なわけがない。
「違います、俺はあのドラゴンは草食だと思ってたんですけど、それが間違った見立てだったみたいなんです」
「つまり……どういうことなんだ、勇者」
今日に限ってやけに察しの悪いモゴリー。
あれから数日経つというのに、毎日ドラゴンの皮剥ぎ死体を見に行っては唖然として戻ってきている。
ちょっとしたパニックにでも陥っているのか、大丈夫かゴリラ。
「つまりですね、あのドラゴンは草ではなく『財宝』を食べるドラゴンだったんですよ」
「財宝を食べるドラゴン!?」
「はい、ドラゴンは肉食も多いですが、基本的には雑食です。
草食に見えるタイプの中には、強靭な顎を持ち、硬い甲殻類などを食すタイプもいるんです。
昔、コランダムドラゴンという宝石を食べるタイプのドラゴンに会った事がありまして……」
得意分野の話になって言葉の止まらない俺。
開いた口の塞がらないモゴリー。
あ、ダメだ、これ話を聞いてない人の顔だ。
「勇者様! 姫様が!」
――姫?
そう言えばそいつを助けるのが当初の目的だったことを思い出した。
「姫様がお目覚めになりました!」
リッスに呼ばれ、モゴリーと共に足早に急ぐ。
大きな葉で作られたモゴリー特製ベッドを見れば、横たわっていた猫人の、長い睫毛の瞳がゆっくりと開く。
「……か……」
何か言いたそうにしているが、喉がかすれて声が出ないのだろう。
すぐにモゴリーが水を口に含ませる。
「あり……がとう……」
猫姫のか細い声がしっかりと俺の耳に届いたと同時に……
俺の体は青い光に包まれた。
「あ、お別れみたいです。それじゃ」
別れはいつも突然にやってくる。
送還条件を満たせばいきなり送還されるのが召喚というやつだ。
よって、別れの挨拶は短く。心に余韻だけを残しながら。
突然の事に驚き慌てている二人の顔を見ながら、俺は「まあ、悪くなかったな」と幾分晴れやかな気持ちでいた。
* * *
――しんと静まり返った中庭。時刻は夜。召喚前と一切変わらぬ服。
人気のない校舎は幾分か不気味で、さっきまでの熱がうそのように引いていく。
いつもながら、まるで夢のようだ。
さっきまでリッスとモゴリーという獣人達と一緒にいたのだ。
全く知らない異世界で、俺はドラゴンをさばいたりしていた。
「よっ……とと」
とんっと軽くジャンプして見れば、イメージと違い、全然飛ばない。
若干浮いた身体は、重力に引っ張られ、無様にもドスンと着地した。
足が地面に吸い付くような感覚がして、痛い。
身体を少し動かしてみると、まるで運動不足かのように身体は固く、重かった。
「……帰るか」
久しぶりの身体の感覚を確かめるように、ゆっくりと帰路へついた。