7話 モゴリーの後悔
コツン、コツン……コンッ。
勇者より、三個の石が投げてよこされた。
これは予め決めてあった突入の合図だ。
「三個という事は、かなり安全なんですね」
苦楽を共にしてきた僧侶リッスが、投げられた石の意図を察する。
「留守なら勇者自身が出てくる手はずになっている。
石を投げたということは、ドラゴンはいるということだ」
改めて気合を入れなおすように、言葉を出したつもりだが、リッスは逆に緊張してしまったようだ。
いかんな、どうも私は口下手らしい。
そろりそろりとした足取りで、洞窟に潜入する。
洞窟は思ったより広く、高さも随分とあるようだ。
奥に進むにつれ、ドラゴンの寝息が聞こえる。
驚く程静かに、そして背筋の凍る息遣いが洞窟内に響く。
ふと、視界の端に動く物体を捕らえてみれば、突き出た岩壁の上に勇者が。
あいつ、いつの間にあんな場所に。
大きく手を振って、私たちに急げと指示しているらしい。
「……モゴリー、あれ」
何かに気付いたリッスが、小さな声を出す。
洞窟内にて眠る巨大なドラゴン。
その奥に倒れているのは……姫!
おいたわしいお姿を発見し、駆けだしそうになるが、万が一ドラゴンを刺激しようものなら、私たちはただでは済むまい。
静かに、しかし可能な限り素早く。
ドラゴンの顔の前を通りすぎ、巨大な足を横切って、しっぽの先へと……。
「姫……!」
やせ細り、猫とは思えないほど毛につやがない。
いつも豪奢に着飾られていたはずが、全ての金銀をむしりとられたかのように哀れな姿をしていらっしゃる。
その上、首輪と鎖で結ばれ、まるで家畜のような虐げられ方だ。
「リッス」
「はい、すぐに……」
リッスが姫に駆け寄ると、姫の首輪を見て、その顔が青ざめる。
「これは……呪いの首輪です。先に解呪しないと、姫をお救いできません」
「なんだと、こんなもの……!」
首輪そのものは外せなくとも、首輪と鎖ならば外せるはずだ。
私とて、選ばれしデニャー王国の戦士!
「ぐぬぬ! ……うおっ!」
じゃららら!!
力の限り引っ張った鎖が、唐突に指から離れ、激しい音を立てる。
「ダメです、やっぱり解呪しないと」
「そんな悠長なことを言ってる場合、じゃ……」
背後に感じる巨大な気配。
振り向けば、直立する二本の前足が圧倒的な存在感を放つ。
ドラゴンが……目覚めてしまった。
「俺に任せろ!!」
勇者の声だ。
遠目に見える姿は、無様にも短剣をぶんぶんと振り回している。
あいつ、やはり私たちの為に死ぬ気で……!
ここであいつの犠牲を無駄にするわけにはいかない。
「リッス、まだか!」
「解呪しています、待って……!」
姫の首輪にかけられた呪いをリッスが必死に解除している。
ドラゴンとは呪いの類も扱える生き物なのか。
私たちはとんでもない相手に関わってしまったのではないか?
「――――!!」
洞穴に響き渡る咆哮。
ドラゴンの牙が勇者を襲っている!
あいつは最初から一人でやるつもりだと言っていた。
だが、本当にあんなナイフ一本で挑むとは……。
奴は死ぬ気だ。
私は奴がどうなろうと構わないが、リッスが悲しむ。
リッスが悲しむのだ。
――くっ、せめて我が国に伝わる聖剣、ニャン=デーモン=キレールさえあれば……。
悔やむのは今更だ。
勇者が私たちを信じなかったように、私も勇者を信じてはいなかった。
リッスがバカ正直に信じ込んでいたが故に、私は彼に対して信を置くことができなかったのだ。
今考えてみれば愚かであった。
彼は今まさに、一人でドラゴンに立ち向かっている。
まさしく真の勇者だ。
「呪いが解けました! モゴリー、姫を!」
「ああ!」
姫を抱きかかえ、出口へと向かう。
ドラゴンは勇者を追い、地団駄を踏んでいる。
そんなドラゴンの足元を縫うようにして、私とリッスは洞穴の入口へと向かう。
入口が見えた、その時――。
「勇者様ーー!
お姫様は救い出しましたーー!」
隣のリッスから発せられる大声。
「……!!」
よせばいいものを!
その大声は勇者に届くどころか、洞穴を反響し、ドラゴンの意識までをこちらに引き寄せてしまった。
「――!」
ドラゴンが、しかとこちらに顔を向ける。
口角からは火花が散り、灼熱のブレスを吹き付けようとしている。
リッスを……守らなければ!
横を走るリッスの顔が、驚愕に染まった瞬間――。
洞穴内の温度が、急上昇した。
だが。
覚悟していた火炎の直撃はない。
「リッス、今だ!」
何が起きていようと、僥倖であることに変わりはない。
姫を抱え直し、洞窟の入口へと退避。
「はぁ、はぁ……」
「モゴリー、私たち……」
「リッス、姫を頼む。
私は、奴を助けにいく」
「モゴリー! 勇者様を、お願い!」
リッスの願いを受け、再び洞窟へ。
激しい戦闘の音が響いてくる。
勇者はまだ存命のようだ。
あんな短剣一本でドラゴンをどうにかしようなどと、やはり無謀なのだ。
ここまで我が国に命を捧げてくれた奴を、このまま見捨ててなどおけない!
そうして勇んで踵を返した私だが、時すでに遅く、戦闘の音はぴたりと停止。
皮を剥ぎ、肉が裂かれる音。
その時見た全てを、私は決して忘れることはないだろう。
「勇者……」
洞窟の奥に私が辿りついた時、戦闘は既に終了していた。
ドラゴンは横たわり、勇者は短剣を首筋に刺して身体ごとアスレチックのようにスライダー。
「何……してる……」
その手を止めることなく、勇者は何もなかったかのように答える。
「遊んでるように見えます?」
見える。
いや、見えない。
違う、そうじゃなくて……。
「倒したのか……ドラゴンを……?」
「はい、まあ、神経締めですね」
神経締め? 聞いたことがない。
「す、すまない。少し理解が追い付いていない。
順を追って話してくれないか」
「え、話すと説明が長くなるんですけど」
嫌そうな顔をしながらも、話してくれた事実は驚愕に値するものだった。
――奴の話をまとめると、まず、ドラゴンが目覚めた時、無様にも短剣をぶんぶんと振り回していたのは、ドラゴンの気を引くためらしい。
あの手のドラゴンは鼻先を飛ぶ、羽虫の行動を極めて嫌う傾向にあるため、それを再現したのだとか。
その時点で既に常識を超越しているのだが、さらに驚いたのはあのブレスの対処方法だ。
あのブレスは、完全に私たちに狙いを定めており、身をかわす方法などなかった。
私など、姫よりも親友を守ろうとしてしまったぐらいには、覚悟を決める状況だったのだ。
それを……勇者は、ドラゴンにくしゃみをさせることで空振りさせたというのだ。
奴の話によれば、ドラゴンの鼻腔の入口付近には、異物が入った時にそれを外に出す作用のあるツボがあり、そこを刺激することでくしゃみが起こる。
短剣を突き刺した位置に意識が向くので、洞窟の天井に向けてブレスを吐き出させたというのだ。
「……」
信じられない、まるで作り話のような事を実に淡々と語る勇者。
「あのタイプのドラゴンは直接火のブレスを吐くわけじゃありません。
奥歯を火打石代わりにして、自身の息に引火させるタイプです。
なので、一瞬だけ燃えたってわけです」
「……」
「それよりこんな洞穴で、炎が爆発するバックドラフト現象が起きなかった事が一番の幸運でしたね。
まあ、異世界だし、何が起きても起きなくても不思議ではないんですが……」
後半は何を言っているのかわからなかったが、話しながらもその手を止めることなく、淡々と説明を続ける勇者に、私は畏敬の念を禁じえなかった。
「ところで勇者……」
話の最中も、こいつの手は止まらなかった。
しかし、常識外にいるこいつに聞くのは少し憚られて。
「おっ、お前は」
私が聞いたところで理解はできるのかと。
逡巡した、私の口からようやく出た一言は。
「何を、してるんだ?」
結局最初の質問であった。
勇者は平然とした、いや、いつも通りのぼーっとした顔で、私の質問に対し、少しの間も置かずにこう答えた。
「ドラゴンさばいてます」