2話 願いは断る
目の前が一瞬暗くなったかと思えば、瞬きした刹那に視界が変わる。
頌路はいない。校舎もない。目の前には不安そうな二足歩行の狐……。
「勇者様の召喚、成功です!」
湧き上がる歓声、大喜びで舞う狐。
まず目につく茶色の毛並み、突き出した鼻、細長い釣り目。
うん、狐だ。狐ではあるが、人間のような髪の毛が体毛とは別に生えており、ローブを纏い、杖を持っている。
獣人というタイプか。
言葉も通じるようだし、変な異世界ではなさそうだ。
ぐるりと回りを見渡せば、石造りの建物の中だと判別できた。
足元には複雑な魔法陣が書かれている。既視感の強いそれは、何度も見た魔法陣と一致していた。
魔法陣の周囲には狐を含め7人の毛深い人物がおり、各々が様々な表情をしている。
中には青い顔で隣の人物と話している者や、俺ではなく狐の顔を見ている者もいる。
全員が二足歩行の獣で、犬や狸に人間のような髪が生え、服や鎧を身に着けており、槍を携えたり帯刀している者までいる。
やはり召喚された事に間違いはないようだ。
邪神と戦った最後の召喚から戻ったのが高校3年の初秋……ということは大体10カ月か。
例年より少し早い召喚だったが、そろそろだという覚悟はあった。
まるで、桜の満開時期でも予想しているかのように考えている自分に対し、失笑してしまう。
「おお、勇者様がほほ笑まれたぞ!」
獣人の一人がそう言うと、視線が俺に集中する。
狐がコンコンと咳をすると、恭しく申し立ててきた。
「勇者様、突然の召喚をお詫び申し上げます。召喚などと言われ、さぞ驚かれていることでしょう」
特に驚いてはいない。慣れたものだ。
憮然とした態度の俺を見て、狐は俺があっけに取られているものと察したらしい。
「この度は勇者様にどうしてもお頼みしたい事があり、お呼び致しました。どうか、私達の願いを聞き届けてください」
「断る」
「そこを何とか」
「断る」
「そこを何とか」
「……」
これだよ。断ろうとしても絶対に話が進まない。
断り続けても当然帰れないし、このまま断り続けても居心地が悪くなるばかりだ。
既に別の異世界で経験済みなので、さっさと話を進めたいが……。
しかしあまりにたやすく受けるとロクな事にならないのも事実。
最初に断るのは通過儀礼と言える。
これだけ断ったのに、狐は恭しい態度を変えない。よく出来た人間……いや、狐のようだ。
ただし周囲の雰囲気は断り続ける俺に対し、剣呑になりつつある。
だが。
「断る」
これまでで一番力強く言うと、突然狐が近づいてきて、目の前で仰向けに倒れ込んだ。
「この通りです。もう勇者様しか頼れないのです」
この通りと言われてもな。
動物で言うところの服従のポーズ。
……ああ、人間に置き換えれば土下座に当たるのか、このポーズは。
「わかりました。お話だけは伺いましょう」
あまり時間をかけても仕方がない。
こうしている間にも日本の時間は同じだけ進んでしまうのだ。
「ああ! ありがとうございます!」
狐が軽やかに立ち上がり、今にも泣きそうな顔でお礼を言ってきた。
* * *
王様の話を聞いて欲しいとのことで、謁見の間に案内してもらった。
その途中で、この世界について大まかな話を聞いた。
この国は猫王が統治する『デニャー』という国らしい。
周辺諸国では最も大きな国で、戦争に勝ち続けている強国なのだそうだ。
そして俺のように毛の少ない、いわゆる人間はいないらしい。
それぞれの種族にも狐だとか、犬だとかの固有名詞があるようだが、いちいち覚えるのは面倒だし、見たまま、狐や犬で通して問題ないだろう。
――となると、戦争に加担しろとか、そういう話かな――。
自分の中で、こうではないかと予測を立て、覚悟を決める。
幸いにもこの異世界では身体が軽い。日本よりは機敏に動けるだろう。
デニャー王国は中世にあるような洋風の城がそびえ立ち、その両隣には物見の塔が建っている。
この塔の地下に俺は召喚されたらしい。
狐は自分を、魔法使いのシュッテと名乗ったが、多分これ以降の付き合いはないと思われるので、記憶の隅に封印した。
こうして俺は今、謁見の間で王様を待ち続けている。
呼んだ癖に出てこないとは随分な王様だ。
謁見の間は非常に広く、王様が座るであろう玉座の前には10段ほどの階段があり、一足飛びで近づく事はできないようになっている。
この広さなら乱戦になっても戦えそうだと考えられ、割と小競り合いや暗殺者の侵入が頻繁に起こっている可能性を示唆している。
待っているが、王様はなかなか来ない……。
立っているのが辛くなり、座ろうとすると魔法使いが耳打ちしてくる。
「勇者様、座っては失礼です。敵意があると思われますよ!」
普通、立っている方が敵意があると思われそうなものだが、この国……この異世界ではそういうものらしい。
変わった常識にも慣れたものなので「そうですか」と立ち直す。
それからさらに数分後……。
「王様の~御な~り~!」
玉座の奥から豪奢な恰好をした老猫がゆっくりとした動きで現れた。
――これは。
豪奢、と一言で済ませてもいいものだろうか。
金銀財宝に彩られた服装は、顔以外が宝石で出来ているかのようだ。
存外に趣味が悪い。
――猫に小判……。
最初の印象をことわざで表すならば、まさにこれだ。
いやいや、猫に見えるが、日本の猫と同じではないだろうし、決して日本と同じ考えではいけないのだが。
……などと考えつつも、それでもどこか他人事であった。
隣で姿勢を正した魔法使いを見て、軽く我が身を振り直す。
「勇者よ、よくぞきた……」
王様の声が響いた。決して力強い声ではないが、謁見の間は音が反響するように計算されているのか、それとも魔力的な何かのせいか、かなり距離が離れているにも関わらず、しっかりと耳に聞こえた。
「儂がこの国の王、ポチ・ハチ・デニャーである」
犬かよ。いや、猫だよね?
「この度は我らが召喚に応じてくれて感謝する」
無理やり喚ばれたんだけどな。
「そこの魔法使いに聞いたと思うが、この国は他国から狙われておる。
そんな中で、重大な事件が起きたのじゃ」
高い位置から、ねめつけるような王様の視線。
正直言って気分は良くない。
「しかし、儂の国にはそちらに割く戦力がない。
そこで一騎当千の名高い異界の勇者を呼び出すに至ったわけじゃ」
「わかりました。その事件とは何ですか?」
「うむ……」
そういうと王様は言い出しにくそうに自分の髭を撫で始め、うなりだした。
いやに口ごもる王様だな。
俺としては送還条件を満たして早く帰りたいんだが……。
「実は……儂の娘、この国の姫が攫われたのじゃ」
誘拐者からの奪還か。確かに地味に骨を折る作業になりそうだ。
「姫の居場所は突き止めてある。
しかし、儂らが手を出そうとすると国軍を出さねばならん。それほどに凶悪な相手なのじゃ」
なんだ、場所はわかっているのか。
俺は少し安心していた。
「その、誘拐犯は誰なんですか」
王様はたっぷりと時間を取った後、意を決したようにその名を告げた。
「ドラゴンじゃ」
――ドラ、ゴン……?