時間という保証
「!!」
アレク、ミリシアは即座に壁から距離を取り、近くの武器を取って戦闘態勢に入る。
壁を壊したのは大柄な魔族だ。額からは二本の角、筋肉は異常なまでに隆起しており、そして深く血で染まったような赤黒い目は人間の潜在的な恐怖心を煽り立てる。
しかし、その容姿を見てもこの部屋にいる三人はびくともしない。
「あんたが、この国のトップか?」
低く重たい声が魔族から発せられる。
「私がそうです」
すると宰相は椅子から立ち上がり、一礼する。こんな時でも非常に冷静でいる。
「オレを見て怖いと思わないのか?」
「もちろん怖いですとも。怖がると怯えるは違いますよ」
「なら取引きだ」
魔族はその大きな戦斧を床に突いて、自分には戦闘の意思がないことを示す。
しかし、アレクとミリシアは警戒を怠らない。
「取引き、ですか」
「その魔剣を俺に渡せ。そうすればオレは引き上げる」
普通なら恐怖して何も話せないところを宰相は平然と話す。
「取引きになっていませんよ。取引きというのはお互いに得することを言います」
「いいのか? 今も外で人間が殺戮されているというのによ」
「私たちには確固たる決意がありますので。それにこれを渡したところで状況は変わりませんよね。あなただけが引き上げても意味のないことです」
そう、平然と取引きを断り、笑顔を作った。まるで魔族を嘲笑うかのように。
「へっ、冷静にいられるのはここまでだな!」
すると、魔族は大きな戦斧を振り上げて宰相に攻撃しようとする。アレクがそれを防ごうと動き出すが、宰相はそれを手で止めるように指示する。
「やめなさい。ここで争っても意味がありません」
宰相は一度目をつむり、考える。そして静かに口を開く。そう、宰相は大きな賭けに出たのだ。
「……一つ条件です。この魔剣を持って行っても構いません。国民も自由に殺しても構いません」
ここで魔剣を手放すのは手痛い損害だが、それ以上にエルラトラムからの応援の方が有益だと考えた。
「宰相!」
アレクがそう叫ぶが、宰相は冷静に淡々と続ける。
「どういう意味だ?」
「あなたたちの軍勢の正確な数は一二七四体、すでに侵入している魔族を合わせて一二七八体ですね」
「数なんざ数えていないぜ?」
「私たちは把握しております。その数で完全に城郭を包囲するのでしょう。それだけはしないでいただきたい」
「あ? 逃げるってのか?」
「いいえ、我々は逃げも隠れもしません。ただ、完全に囲むのをやめていただくと言うことです」
魔族は少し考える。
「いいぜ? 千を超える軍勢だ。外部から誰が来ようと制圧するだけだからよ」
「それはよかったです。いい取引きでし……ぐっ!!」
その直後、魔族の戦斧が宰相の左腹部を深く斬り込む。
「へ、取引成立なんだろ? あんたも殺していいよな?」
宰相はそれでもしっかりと話す。
「ええ……もちろんです。あなたたちは逃げなさい」
「くっ」
アレクはミリシアの手を取り逃げ出す。
「逃げんなよ!」
「いいのですか、このまま私が悶え死にしても。あなたはきっと苦痛を与えるのがお好きなのでしょう?」
「おもしれぇ奴だな、お前は。まぁあいつらが逃げたところですぐに死ぬだけだからな。今はタフなお前を苦痛で歪ませてやるとするか」
脳が焦げるような激痛の中、宰相は最後の笑顔を作る。
「私は……一歩でも近づけたでしょうか」
宰相は天を見上げるように遠くを見つめた。そこには存在していない何かを見るように。
そして、魔族は宰相の斬り込まれた腹部を手でさらにえぐり出す。
「どこまで耐えれるんだ?」
魔族のその愉悦に浸った声が響く。
ただただ、それだけだった。
部屋からなんとか逃げ出すことができたアレクとミリシアは外の惨状を知ることになる。
レストラン、商店、さらに病院などから大量の人が逃げ惑っている。剣士たちも必死に魔族に対抗しようとしているが、圧倒的な力で無残にも蹴散らされている。
「こんな……」
ミリシアが恐怖で震えている中、アレクが両手で肩を掴み意識を戻す。
「ミリシア、君はエレインのところに行った方がいい」
「……え?」
「エレインがどうなったのかはわからないけど、まだ施設にいるはずだよ。僕はここで剣士たちの応援に向かうから」
「む、無理だよ」
「僕たちに無理なんてあったかな? 魔族からあの魔剣を取り上げたんだ」
ミリシアは少し考えこむ。
「……やるべきではない方法だったけど」
「そうだね。でもこれはあの宰相が考える最善の策なのだろう? だったら僕たちはその中で抗うだけだよ。もちろん、作戦に影響が出ない程度に」
宰相の考えた策は確かに有効だとアレクも走り出して気付き始めていた。それでも国民のために剣士になることを強制されていた身としては許せない気持ちでいっぱいだった。
「本当にそれでいいの?」
「特殊な訓練を受けたと言っても僕にはこれぐらいしかできないんだ。せめて時間稼ぎぐらいは役に立ちたい」
アレクの目には焦点が定まっているようには見えなかった。すでに自分の死を確信しているような目で、何かを決意したかのように息を呑んだ。
それを見たミリシアはアレクの言う通りにすることを決める。
「……わかった。行ってくるね」
「エレインによろしく言っておいてほしい」
そう言うとアレクは双剣を引き抜いて走り出した。
「魔族は人間と同じで頭部の攻撃に弱いはず! 攻撃するならそこだよ!」
アレクは手を挙げて、反応した。そしてミリシアも施設の方へ走り出した。
◇◇◇
俺はある気配に目が覚めた。
何か嫌なことが外で起こっている。そう確信した俺は外で待機しているユウナに声をかけた。
「何が起きている?」
「私にも何のことだか……」
慌ただしく剣士の甲冑の擦れる音だけが廊下の奥から聴こえてくる。
「俺は外に出てはいけないのか?」
「ええ、命令ですから」
そう言うことなら仕方ない。しばらく俺はここにいるべきなのだろう。
そうしていると奥からこちらに走ってくる足音が聞こえた。
「あ、あの! エレインはそこにいますか?」
この声はミリシアだ。まさか、ここまで駆けつけてきたのだろうか。
「あ、えっと。知りま……いません!」
嘘を吐くならもっと冷静になってから言うべきだったな。
「いるのね。入らせて」
まぁそうなるよな。
「ダメです。これは命令ですので」
「こんな緊急事態で何言ってるの。いいからどいて」
「ちょっと……だめですってっ!」
そう言って強引に扉を開けたのはやはりミリシアだった。
「見つけた」
「見つかったな」
するとミリシアは俺に抱きついてきた。
「どうした?」
「約束、でしょ?」
確かに思い返してみればエレベーターに乗り込む時にそんな約束をしたな。
「抱きつくほどでもないだろ」
「言いたかったこと、多分私……」
しばらく沈黙が続いた。
「私、エレインのこと好き……かもしれない」
「かもしれない?」
「だって、どんなに本を読んでもわからない、から」
聞いた読んだで理解できる感情でないぐらいは知っている。圧倒的に人と接することが少ない俺たちにとってはおそらく恋愛感情はまだ理解できていない。
「とりあえず何か特別な感情が動いているのなら、好きってことなんじゃないのか?」
「そ、そうだと思いたい」
「ならミリシアは俺のことが大好きだってことだな。よく理解した」
「大好きって言ってないでしょ!」
「なんだ、違うのか?」
「違うくは……ないかも」
少しいたずらが過ぎただろうか。一日誰とも話していないとこうもしたくなるものだ。
「すまないな。意地悪して」
「そうだよ。しっかり反省してよね」
こうした告白には返事が必要だろう。そう思い俺は答えようとする。
「返事は……」
するとミリシアは俺の口に指を押さえて発言を止めた。
「返事はなくていい。この想いは大切にしたいから」
「なるほど、わかった」
片想いと言うことだろうか。俺も少し読んだ程度だが、恋愛小説のような気持ちに違いない。まぁ読んだ程度であって、経験したわけではない。実際俺はまだその感覚は理解できていない。
「私、今でも十分幸せだから」
「それならよかった。それで外では何が起こっているんだ?」
俺は外で起こっていることを聞いてみることにした。もちろん雰囲気を壊してしまう発言だが、異常事態なのは確かだ。聞かないわけにはいかない。
ミリシアは一瞬ムッとした表情を浮かべたが、すぐに表情を戻した。
「四体の魔族が国内に侵入しているの。それで今は混乱状態」
さっきから慌しかったのはそのせいなのだろう。魔族を相手にするのは聖剣を持っていない俺たちからすれば非常に厄介な相手だ。
驚異的な治癒能力、そして人知を超えた筋力を持っている魔族はとてもじゃないが、通常なら倒すことができない。
聖剣がなければ、到底勝てることはできない。だが、撤退することはできるのではないのだろうか。そう言った疑問が浮かぶ。
「撤退の準備はしているのか?」
「それが、いろいろあって撤退はしないと言う作戦なの」
無謀といえば無謀だ。勝てる戦争ではない。一人でも生存者を多く残すことが目的であれば撤退以外の選択肢はないはずだ。
上層部がそれを決めた。おそらくあの男がそうしたのだろうか。
「なるほど、大体は理解した。時間稼ぎが重要と言うことだな」
「え、理解したって本当?」
あの男が考えることだ。予想できないことではない。
地下施設での食事が非常に少なかったこと、あれは飢餓に対して耐性をつけるためだろう。食料が少ない状況下では人間は正常な判断ができなくなる。そのための訓練のようなものだ。
その時点である程度気付いていた。しかし、俺にできることは何もない。ただ訓練を達成し、試練に立ち向かうだけだった。
その結果、俺は少なくとも最高の剣士にまで成長できているのだ。それは目の前にいるミリシアも、アレクも、レイも当然最高の剣士だ。
「ああ、つまりはここで始まり、ここで終わらせるための計画だ」
「ここで終わらせるってどう言う意味?」
「帝国側が国民を減らしてでも粘ることで、他国への被害を最小限に抑えることができると言うことだ。一秒でも長く粘ることで聖騎士団も準備し、出動ができるからな」
「でも聖騎士団がくるのっていつになるの?」
「その時間については運による。さすがに俺たちにはエルラトラム側の意図は読み取れない」
正直この作戦が成功する確率は低い。だが、魔族侵攻を他国に広げないと言う意味であれば今の時点で半分成功していると言える。
あとはあの男がどのように立ち回るかで状況は変わってくる。
すでに城郭が囲まれているのであれば、他国からの救援は望めない。まぁその点については問題ないだろう。
「そ、そうなのかぁ」
そうしていると、廊下の奥から悲鳴が聞こえた。
「ま、魔族だ!」
「嘘?」
ユウナが慌て始める。
「間違いない、魔族の声ね」
ミリシアが冷静に判断する。彼女がそう言うのであればそうなのだろう。
「なら俺がどうにかしよう」
俺が部屋から出ようとするとミリシアに止められる。
「ダメ。エレインはここにいて」
「俺なら魔族を引き止められる」
「それでもダメ。応援が来るまで絶対に動かないこと、わかった?」
頑固としてミリシアは俺をここから出したくないようだ。
「いや、俺なら」
「何回も言わせないで。ここから出ないこと、約束!」
俺は疑問に思った。なぜそこまで引き止めるのか理解できなかった。
「どうしてだ?」
「死んで欲しくないの。エレインにだけは……」
その言葉を聞いてなんとなく俺も同情することができた。自分ならどうなってもいい。大切な人が少しでも守られるのなら自分が犠牲になってもいい。
つまりは自己犠牲の考えだ。とても理にかなっていることではないが、人は時に感情を優先してしまうことがある生き物だ。
続けてミリシアは言う。
「好きだから、大好きだからっ最後まで生き残ってほしいの!」
「……わかった。約束する」
その強い決意に俺はそう応えるしか無かった。今の俺が魔族を引き止められたとしても確実に生き残れる保証はどこにもない。今はミリシアの願いを聞くことにする。
それが決してよい方向ではなくてもだ。
「ぎゃああああああああ!」
悲痛な叫び声が奥から聞こえてくる。
「ど、どうしよう」
ユウナがその声に動揺している。
ミリシアが考えこむが、すぐに口を開いた。
「私に考えがあるの。協力してくれる?」
そう言ってミリシアはユウナに耳打ちする
そして、ミリシアが二言だけ話した直後に魔族がやってきた。
ユウナが慌てたように騒ぎ立てる。
「お、お姫様……こちらに!」
「ええ、わかったわ」
そう言うと二人は俺の部屋から走り去っていった。もちろん、それを追うように魔族も走りだす。下手な演技だが、知能の少ないあの魔族には十分効果的だったようだ。
結局、ミリシアの本性はわからなかった。時々態度が変わるのも五年も一緒にいるが理解できなかった。
彼女の演技のおかげで隠れていた俺は見つからずに済んだ。
ただ、走り出す瞬間のミリシアの目に溜まった涙だけが、俺の脳裏に焼き付いた。
こんにちは、結坂有です。
強力な魔族にもやはり時間という弱点は人類と変わらないようです。
そして、エレインはこれからどうするのでしょうか。
それでは次回もお楽しみに。