裏での取り引き
私、フィレスは一人でエルラトラムの最南へと足を運んでいた。議会からもっとも離れた場所にあるこの場所は議会有志軍がほとんどいない。
とはいえ、その代わりに聖騎士団がいるため彼らが治安維持の仕事もやってくれている。もちろん、こんな辺境の地で大きな事件が起きることもなく、都市部よりも平穏な暮らしが広がっている。
そんな場所に私はとある任務で来ていた。ラクアやマナの面倒を見なくてもいいということで議会の中で長時間過ごすということがなくなったからこの任務を引き受けた。ただ、この任務はブラドから直接受けたわけではない。ほとんど独断での行動だ。
あまり長いをするつもりもなく、私は確認だけしてすぐに変えるつもりだった。
「メモに書いている場所はここね」
私は手渡された紙切れを再度目を通してから道を進んでいく。
時間も遅く、外は真っ暗だ。それに都市部と違って明かりが少なく、遠くを見渡すことができない。
しかし、私は聖剣を持っている。実力もそれなりに持っているつもりだ。よほどの相手でなければ自分の身は守ることができる。
「…………」
「………………」
遠くからかすかに人の話している声が聞こえてきた。
真っ暗でかつ風の音すら聞こえない静寂の夜だからだろうか。何を話しているのかはまだ聞き取れないがもう少し近づいてみることにした。
「……要件は済ませた」
「あいつさえ殺すことができれば俺たちは再び頂点に立てるんだ。それまでの辛抱だな」
「全くだ。あんな雑魚がこの国最高の剣士だなんてなっ」
「俺たちを見捨てた議会もあいつらを殺せば認めてくれるはずだ」
「まぁそのために手筈を整えてきた。あれは無駄じゃねぇよ」
話を注意しながら聞いていると内容が推測できてくる。しかし、まだよくわからない点がある。どうしてこんなところで話しているのかだ。
「それよりよ。本当に大丈夫なんだな?」
「何がだ?」
「何がって、そりゃあれを本当にくれるのかってことだ」
「心配するな。あいつはここに来る予定だ。あれを持ってきてな」
「はっ、信じるしかねぇってか」
具体的な内容はまだ見えてこないが、誰かと待ち合わせしているということはわかった。
それよりなにかの取り引きでもするつもりなのだろうか。少なくとも悪いことを企んでいるということは明白だ。
もう少しだけ待ってみるべきだろうか。長時間の盗み聞きは気配を感づかれてしまうことがある。それはブラドからよく言われたことだ。彼らが誰かを暗殺しようとしていることは確かだ。しかし、それだけでは情報として不十分、もう少しだけ粘ってみて……
「お前はリストに載っていなかった」
「っ!」
突然背後から低い声で話しかけられた。
とっさに私は剣を引き抜いて交戦体制に入る。
「なっ」
しかし、引き抜いた剣をフードをかぶった男が片手で握り止めた。
強力な力で私は一切剣を動かすことができない。そしてなによりも強く握りしめているのに彼の手から血が一滴も垂れていない。
聖剣の刃は非常に鋭利であのように強く握れば斬れてしまうはずだ。
「……尾行か、それとも誰かが情報を漏らしたか」
「くっ……」
その脳内に直接語りかけてくるような低い声に恐怖を抱きながらも私はまっすぐ彼の目を見返した。
「どちらでもいいことか」
「え?」
すると、男はそのまま剣を握り込んだまま歩き始める。普通に歩いただけのように見えたが、その力は強力で簡単に私の構えを引っ張って崩した。
「っ!」
剣での攻撃が難しいとなればこれしかない。私は剣を手放して一気に地面を蹴った。
いくら強力な力を持っていたとしても人間には弱点というものがある。相手は男、つまりは股間へと強く蹴り込めば悶絶するのは絶対。
「はぁ!」
ドスッと鈍い音が響く。私の足は確実に彼の股間を捉えていた。
しかし、男は微動だにしなかった。
ありえない。私の装備している脛当ては金属製、そんなもので蹴らたのなら男だろうと女だろうと関係なく強烈な痛みが走るはずなのだ。
それなのにこの男はどうしてそんな平然と立っていられるのだろうか。
「うぐっ」
「手間を取らせるな。女」
男は私の首根を片腕で握りしめる。変わらず強烈な力だが、息ができないほど握られているわけではない。
それから男は私の首根を強い力で握りしめながら歩き始めた。
「……来たか」
「少し待たせてしまったな。だが、この女がお前らの話を聞いていたみたいだ」
「わざわざこの場所を選んだのにか。議会の諜報能力も甘く見ていた」
「それで、この女はお前らの計画に邪魔な存在なのか?」
すると、フードをかぶった男が私へと目を向けた。
その目は禍々しく赤黒い光を放っていた。魔族かとも思ったが、彼からはそのような力は感じられない。
一体彼は何者なのだろうか。
「俺が拘束するから離してやれ」
男の一人がそういって私の背後へと回り込んで手足をロープで縛る。
私は何もすることができなかった。暴れたところでフードをかぶった男にすぐ取り押さえられるからだ。ここは大人しくして体力を温存するべきだろう。
「おい、女。お前はどこまで俺らの会話を聞いていた?」
「……」
そう質問されるが、私は口を開かずじっと男を見つめ返した。
ここは強い意志を持っていると彼に思わせるためだ。しかし、反抗的な態度も取るつもりはない。
何をされるかわからないからだ。
すると、フードの男が口を開いた。
「その聞き方では話さない」
「どうしてだ?」
「意志の堅い人間はそう簡単には口を開かない」
そういって男はマントの内側から妙な形をしたナイフを取り出して私の方へと近づいてくる。
「な、何をするつもりだ」
「殺さない程度で傷つける。それが一番効果的だ」
ジュクッと音がなる。
一瞬なんの音かと思ったが、少し遅れて右太ももから強烈な痛みが走る。電撃が走ったような鈍く、強烈な痛み。
「あぐっ!」
「おい、ここは一般道だぞ。そんな痕跡の残ることをしていいのかよっ」
「夜明けには雨が降る。多少血が出たとしても洗い流されるはずだ。それにこの女は叫ばない」
そういってフードの男は更に強くナイフを太ももへと深く刺し込んでいく。その奇妙な形をしたナイフは内側の肉を無造作に斬りつけながら体内へと入ってくる。
「っ!」
額から汗が大量に出てきて私の目に入る。
手で拭うこともできず、ぼやけた視界で周囲を見渡してみる。
「流石にやべぇぞ。こんなところで長居はできねぇよ」
「これでも話さないか。まぁ気にする必要はない。取り引きを始めよう」
「……気分が乗らねぇがそうするか」
「なに、お前らは暗殺をするのだろう? この程度のことで気分を害していては……」
「うるせぇ、さっさとブツを出せよ」
ぼやけた視界の中、私はフードの男を見る。
彼はマントの中から小さな箱を取り出して、男へと手渡した。
「本当に持ってきやがった。お前、何者なんだよ」
「復讐に駆られただけの男だ」
「あまり詮索はするなって顔だな。まぁ言われたとおりに仕事はする。力ももらったことだしな」
「だけどよ。そんなに強いのならあんた自身がやればいいんじゃねぇか?」
「……俺はあいつの動きが知りたい、あいつがどのように怒って、どのように動くのかが知りたい」
フードの男は独り言のようにそういった。
この男は危険過ぎる。この私では太刀打ちできそうにない。それに周りにいる男も力をもらったと言っていた。
この人たちの正体は一体何なのだろうか。
「剣聖になんの恨みがあるのかは知らねぇがな。遊びで人を殺そうだなんて思ってねぇからな」
「お前らがどう思おうが構わない。ここでお前らを殺して他の人を探すだけだ」
「……ボス、あいつの言うことを聞いておこうじゃねぇか」
「気に食わねぇが、俺たちが言えた立場ではないか」
あのフードの男がどうやら依頼主のようだ。
そして、もう一つわかったことがあった。彼らが殺そうとしている人はどうやら剣聖エレインのことのようだ。私は彼とはあまり関わりを持っていない。しかし、彼の絶大な力のことはよく知っている。
「お前らの活躍を期待している。俺は次の場所に行かないといけない」
「おい、この女はどうすんだ?」
「好きにしていい。ただ、早いうちにここを離れた方がいいとだけ言っておく」
「離れたほうがいいって……おいっ」
瞬きした瞬間にフードの男が消えた。
それも足音を立てずにだ。高速で移動したということも考えられない。一体彼は何者だというのだろうか。
「……この女、どうする?」
「そうだな」
そういって一人の男が私の顔をじっと見つめてきた。
「外の国に売れるかもしれねぇな」
「傷物だぜ?」
すると、隣に立っている男が私の体を舐め回すように見つめてくる。
「太ももはスカートで隠せば問題ないだろう。売ってしまえばあとは知らねぇ」
「……情報を漏らすことはねぇのかよ」
「この様子だと具体的なことまでは知らないだろうな。聞いていたとしても最後の方だけだろう」
確かに目の前の男が言うように私は最後の方しか聞いていない。作戦の具体的なことなどは一切知らない。
「大した金にならねぇなら、俺たちで使っちまおうぜ?」
「険しい顔してるが、薬を使えばすぐに墜ちるだろ」
「……そこにいるのは誰かね」
自分の股間を触りながら近づいてくる男たちの背後から年配の男性の声が聞こえてきた。
民間の人がやってきたのだろうか。私は最悪どうなってもいい。しかし、一般人が巻き込まれるわけには行かない。私はとっさに口を開いた。
「危険ですっ。ここから離れてくださいっ」
「なっ、この女っ!」
「あぐぅっ!」
膝をついた私の腹部へと強烈な蹴りを入れ込む。肺にある空気が一気に吐き出されるような感覚と鈍い衝動が体を突き動かす。
「……何をやっているのかね」
「ちっ、相手はただのジジィだっ!」
すると、男の一人が走り出した。
「こっちに来たのが間違いだったなっ!」
警告はしたが、年寄りの足は素早くはない。すぐに逃げ切れることはないだろう。
一般人が巻き込まれてしまう。
「ほっ」
「てめぇ!」
その直後、パコンっと小気味好い乾いた木の音が響いた。
「ってぇ! ふざけてんのかっ!」
「わしのこと、知らぬのか?」
「……ガダンド・サートリンデっ!」
「くそ、手荒なことはこれ以上できねぇ。逃げるぞっ」
すると、私の周囲にいた男たちが一斉に走り出した。
そしてしばらくしてから、杖を突く音が近づいてくる。
「……お嬢さん、大丈夫かね」
「はい。膝にナイフが刺さっただけですので」
「ほう、変わったナイフじゃの」
そういって老人は私を縛っていたロープを解いていく。
私はゆっくりと立ち上がって、ナイフを引き抜こうとする。しかし、柄の部分を触れると刺さっている内側が強烈に痛み始める。
「っ!」
「触らぬ方が良い。さ、わしの肩を使いなさい」
老人が私の方へと体を向ける。ただ、私は杖をついている人に体重を預けることはしたくなかった。杖を持っているということは体が不自由なのだろう。
「……気にするでない。お嬢さんは怪我をしておるのじゃからの」
私の心を覗いたかのように老人はそう私に言った。
足に力を入れるとそれもまた強烈な痛みが走る。耐えられないわけではないが、長時間歩くのはかなり体力を消耗することだろう。
ここはこの老人の言葉に甘えた方がいいか。
「ありがとうございます」
「いいのじゃよ。わしの家まで案内するからの」
私は彼の左肩に体重の半分を預けて歩くことにした。
サートリンデと言っていた。
セシルの祖父なのだろうか。それとも親戚なのだろうか。どちらにしろ、強い人がたまたま通りかかってくれたことは幸いだったと言える。
それから私は彼に案内されてしばらく歩くと、大きな屋敷が見えてきた。
こんにちは、結坂有です。
フィレスの視点でしたが、なにかきな臭い様子でしたね。
幸いにも通りがかりのご老人に助けられたようですが、サートリンデという名を持つ彼はどういった人なのでしょうか。
そして、次回にてこの章は終わりとなります。
それでは次回もお楽しみに……
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