幕間:想定されない夢
私、ミリシアは一人ベッドに入っていた。
今私のいるベッドは自分の部屋、地下の小さな個室。若干の冷たい空気がどこからか漂って肌寒い。
「……」
隣の部屋にいるアレクはもう寝たのだろうか。
どちらにしろ、私も眠るしかない。エレインがこの国を離れて数日経った。別に寂しいというわけではない。そこまで私は彼に依存しているわけでもないからだ。
しかし、それでも不安などが急に押し寄せてくることがある。好きな人だからこその感情なのだろうか。
明日も仕事があるのに寝付けないでどうするのだ。
ばさっと掛け布団を大きく宙に押し上げる。
すると、冷たい空気が全身を包み、直後に温かい布団が私の体に覆いかぶさる。
「ちゃんと寝ないと……」
そう、私は強い意志を持って眠ることにした。
◆◆◆
「エレインっ! 待ってっ」
気が付くと私は叫んでいた。
視界に伸びる右手は傷だらけで震えている。
その奥に立っていたのはエレインだ。彼は更に奥の光っている場所を見つめており、背後にいる私には彼の表情はわからない。なによりも、彼の足元には折れた聖剣イレイラが転がっているのが気がかりだ。
そして、鉄の臭いまでする。精神的に気分の悪くなるようなその臭いの正体は自分の、いや自分を含む誰かの大量の血液だ。
地面を見るとひどくこびりついた血液によって赤黒く変色してしまった石床が広がっている。ここはどこなのだろうか。
「所詮は人間、神たる私に歯向かうなど愚かなことだ」
「……」
低く響く声にエレインは黙ったまま。
この状況がなんなのか全くわからない。
「……てめぇ、ふざけてんのかよっ」
「ベジルは黙ってろ」
「お前、あいつの言うことに従うってのかっ」
「誰もそんな事は言っていない」
ベジルとは誰のことだろうか。私の知らない男の声がする。乱暴な言葉はレイのそれに似ているが……
すると、私の後ろから足を引き摺る音が聞こえる。
「……お兄様。私はまだ……まだ戦えます」
そう言って私の横に立ったのはまたしても知らない女性。
「アイリスも下がれ」
「……ですが、このままではお兄様が死んでしまいます。死ぬなら、私が代わりにっ」
「来たところでなんの解決にもならない。こっちに来るな」
エレインのその圧のこもった声は聞いたことがある。それは彼が本気になっている証拠、初めて彼の本気を見たのは地下施設での訓練のときだ。
天井からワイヤーで吊るされ高速移動する十五体の戦闘人形、四方八方から無数の飛び交う大小様々な投擲物。それらを視覚と聴覚を失った状態で挑むという訓練。異様な内容のその訓練はエレインだけに課せられた。
当時は断ることもできたが、彼は快く引き受けた。その時の彼の表情は……なぜか笑っていたのだ。
「ですが……」
そんな彼の言葉を拒否して前に進もうとするアイリスという女性。
その直後、エレインが後ろ足で転がっていたイレイラを蹴り飛ばした。
「あがっ」
蹴り飛ばした刀は彼女の太ももを斬り裂く。折れた状態でも聖剣の刃は強力だ。
反応できず攻撃を受けてしまった彼女は膝を突き、持っていた刀も同時に落としてしまう。
「……その程度の力でこいつには勝てない」
「では、私はどうすれば……」
「何もするな」
一度も背後に振り向かない彼は一体なにを見ているのだろうか。その光の先に誰がいるのだろうか。
「エレインといったな。神と戦うのか? それとも降伏するのか?」
「想定外なことばかりだったが、この方法なら勝てると思ってな」
「ほう、それは一体なんだ」
その謎の声にエレインはとある構えを取った。それには私にも見覚えがある。腰を低く保ち、腕を交差させ剣を地面に水平に保つその構えはきっとあれだ。
「普段は構えを取らないが、今回ばかりは仕方ない」
「待って、エレイン。それは……」
「覚悟しろよ」
止めようとする私の声など彼には届いていない。いや、届かないのだろう。
なぜなら、あの構えは捨て身の構えだからだ。意識など自分と相手以外に向けていない。
あの異常な訓練を突破したときも同じ構えをしていた。今の彼の表情は見えないがおそらく笑っているのだろう。自殺願望があるというわけではない。彼はただ逃げたいだけなのだ。
「面白い。私もそれと同じ構えをして死んでいった男を一人知っている」
「……誰のことだか」
「長きに渡り、私はここで目覚めた。こうして巡り会えたのもきっと運命。ならば……」
「エレイン様っ」
すると、私の後ろからリーリアの声が聞こえてきた。
「リーリア?」
その大きな声にエレインは振り返る。
「……かかったなっ」
その声が響くと光の先から醜い触手が何本も飛び出てきた。その触手の先端はナイフのように鋭い刃が生えている。
「っ!」
それに反応したエレインの目は禍々しく光を放ち、魔剣からは火花が飛び散る。
ジュゾォオン!
空気が震え、私の視界が真っ赤に染まる。
「ぐっ」
少し遅れて衝撃波が私の全身を突き飛ばす。
そして、視界を開けると先ほど飛び出していた触手が私の体の上で蠢いていた。
「っ!」
よく見てみるとその触手は切断されたもので私はそれをとっさに振り払った。
「リーリア、こんなところに来てはいけない」
「ですが、私は……」
「混血種が純粋な人間を守るなど、それもまた愚か」
謎の声が話している内容は全くわからない。
「エレイン……もうその戦い方はやめて」
何故か動かない足を引き摺り私はエレインへとそう話しかけた。
しかし、それでも彼は私の方へと向いてくれない。集中して私が見えていないのではない。そもそも私がいない、ここに私は存在していないみたいだ。
「はぁあ!」
直後、強烈な衝撃波が再度私の体を突き飛ばす。
声も出せず私は吹き飛ばされ、受け身を取ることすらできずに地面を転がる。全身が痛みで動かすことができない。ほとんどの骨にヒビが入ったか折れてしまったらしい。
どこまで飛ばされたのかはわからないが、エレインたちの声なら聞くことができる。
「お兄様っ」
「かはっ」
「エレイン様っ。どうして……」
グジュグジュと生々しい音が聞こえてくる。なにか硬いもので肉を無理やりすり潰すようなそんな嫌な音だ。
「これで、お前も私と同じだ」
「…………」
「いい反応だったが、女を守るためとは。やはり愚かだ」
「……愚かなのはどっちだ?」
ビジビジッとなにかはち切れる音とともに……
「ミリシアさんっ!」
◆◆◆
突き動かされる私は目を開いた。
「……」
「大丈夫ですか?」
ベッドの横で心配そうに見つめるのはユウナだ。
先ほどの現実的な光景はどうやら夢だったらしい。壮観がると途端に強烈な安堵に包まれる。
「その、かなり魘されていたようですが……」
「見てはいけないような恐ろしい夢をみたわ」
「……ミリシアさんも悪夢を見るのですね」
「私も人間よ」
神妙な目を向けてくる彼女に私はそう返した。
人間なのだから悪い夢もいい夢も見るものだ。なんなら昨日はエレインと一緒に……
「っ!」
そう彼の事を考えた直後、私の全身に鳥肌が立った。
寒さからくるものではない。心因的なもの。
ただ原因がなんであれ、私はやらなければいけないことがあった。本能が訴えかえるその欲望に私は抗えなかった。
「ミリシアさん?」
「ごめんなさい。今日は別のところで寝るわ」
「……え?」
「来ないでね」
そういった私はさっと起き上がり、地下部屋から階段を上がる。その薄暗い階段や廊下は恐怖ではなく、私を不安にさせてくる。
普段ならこういうことにはならないのだが、今日はどうしてだろうか。
だが、そんなことをよそに私の体は一つの場所へと自然に向かっていた。
「失礼するわ」
そう言って扉を開けたのはエレインの部屋、と言っても一週間以上もこの部屋には戻っていない。彼は本家に泊まることになって、そのあとにマリセル共和国に向かったのだ。
あまりの急な出来事にまだ掃除が行き届いていない。
「ひゃっ!」
いきなり入ってきた私の声に驚き飛び上がったのはルクラリズ。なぜか服を着ていないのだが、そんなことはどうでもよかった。
気が付くと私は彼女の寝転んでいるベッドへと飛び込んだ。
「えっ、えっ、どうしたのっ」
「…………」
「髪の毛が触れて……く、くすぐったいよぉ」
枕を自分の顔に強く押し付ける。深く潜り込むように。
「なにをしてるのよ」
ルクラリズの声を無視して私は一つのことに集中した。
この枕には微かに、ほんの微かにだがエレインの匂いが残っている。このベッドの柔らかさも彼の体のように感じる。そんなわけはないのに、脳内でそのように変換されてしまう。
理由はわからない。だが、これがとてつもなく心地が良くて安心する。
「…………」
「ど、どうしたの」
そう優しく話しかけてくるルクラリズ。
私は枕から顔を半分だけだして、彼女を見てみた。一瞬だけみたのだがやはり彼女は服を着ていない。下着すら着用していないのだ。
「……とりあえず、服を着てはどうなの」
「っ! 急に来てなんなのよっ」
ぷんっとそっぽを向いて机の上に置いていた服へと彼女は手を伸ばした。
すらりと伸びたその彼女の体はとても人間的だ。魔族だと聞いていたのだが、こうして裸を見るのは初めてで外見からだと人間の美しい女性にしか見えない。
今の彼女を男が見れば誰もが欲情することだろう。きっとエレインもそうなのだろうか。
そんなことを考えると怒りとはまた違ったムカムカが胸の奥底から湧き上がってきた。
「ふんっ!」
「……なんでミリシアも怒ってるのよ」
「知らないっ」
自然と出てしまった私の言葉はあまりにも子どもみたいなものだった。
すすぅっと布が擦れる音が止まると私の横に彼女が寝転んでくる。
「……狭いわ」
「私のベッドよ」
「もともとエレインのベッド」
「今は私のだわ」
どうやら彼女はこのベッドから離れないようだ。
確かにのこのことやってきてベッドを奪った私が怒られるのは当然だ。しかし、私はどうしても譲れなかった。まるで駄々をこねる子どもみたいだ。
「もう、やっぱり苦手」
「そうね。私も苦手よ」
そう言いつつも私たちは離れない。離れなれない。
おそらくルクラリズも私と考えていることは同じ。だからこそ、彼女のことを理解できる。理解できてしまうから苦手なのだ。
こんにちは、結坂有です。
いつも凛々しいミリシアの純粋で子どもらしく一途な一面も見ることができましたね。
それにしても、彼女のみた詳細かつ生々しい夢は一体何なのでしょうか。
正夢でないことを祈るしかないですね。
それでは次回もお楽しみに……
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