崩したくない日常
私、フィレスは議会の中を歩いていた。時刻は五時半になるころだ。マナのために夕食の食材を調達してきた私は再び自分の部屋へと戻ることにした。
部屋に戻るといつものように少し難しい本を読んでいるマナがいた。しかし、ラクアがいなくなっている。レイに頼まれてここに自由に出入りさせてはいる。今回もおそらく彼が連れて行ったのだろうか。
「……ラクアさんは帰られたのですか?」
「うん。エレインのところに行くって」
「そうですか。今日の夕食は鶏肉にいたしますね」
「鶏肉、好きなのっ!」
そう言って本を閉じて私の方を向く彼女の表情はとても嬉しそうだ。可愛らしい妹でも持ったかのような感覚になるが、今の私の年齢を考えればおそらく母娘ほどの年齢差だろう。
それにしてもラクアはエレインやレイからよく訓練の指導を受けている。そんな彼女は剣士とてもとてつもない実力を持っていることは間違いないだろう。ただ、彼女は剣術ではなく体術に重きを置いた訓練のようで剣の扱いに長けているというわけではないそうだ。それでも高い実力を持っているはずだ。
「鶏肉に加えて、旬の野菜も持ってきました。栄養は大切ですからね」
そう言って私は机の上に食材を並べる。
彼女はさまざまな野菜に興味津々なようだ。
「これ、なに?」
「それですか。玉ねぎといいます」
「じゃこれは?」
「ナスですね」
「面白いっ!」
アレイシア議長からも聞かされていたが、彼女は特殊な施設でずっと閉じ込められていたそうだ。それに出される食事が様々な野菜や肉などをミックスしたクッキーのようなもの、とても美味しそうとは思えないものを食べていたそうだ。
確かに栄養は取れるだろうけれど、食の楽しみはないに等しい。
それからエレインたちと旅をして徐々に食事が楽しくなり、今は食材を覚えることが楽しいのだそうだ。
確かにこれら旬の食材はこの時期が一番多く取れる食材で、なおかつこの時期一番美味しいとされている。彼女のことを引き受けた当時は面倒だと思っていたが、こうも毎回嬉しそうにされると私も楽しくなってくるものだ。
「鶏肉はすでに店で切られていますので、まずは野菜から切っていきます」
「野菜っ」
それから先ほどの野菜のほか、ピーマンやトマトなども切っていく。
トマトは今回の料理で重要な役目を担っている。トマトの持つ酸味は全体的に甘いほかの野菜をさらに引き立てる。
「それでは、調理を始めましょう。鶏肉と野菜の端材を茹でていきます」
「茹でる?」
「はい。これらを茹でることで出汁が取れます。今回はスープと炒めものですよ」
「美味しそうっ」
ぴょこぴょこと嬉しそうに、楽しそうに体を揺らす彼女はとても愛らしい。
それから私は手際よく料理を作っていくことにした。
議会にいるとどうしても敬語になってしまう。長くここで過ごしているはずなのに私の心はまだパベリの頃とほとんど変わっていないらしい。
いつもの自分を取り戻すにはまだもう少し時間がかかりそうだ。
◆◆◆
俺、エレインは夕食の準備が終わるまで部屋で待機していた。
もちろん、もうすぐすればアレイシアやアレクたちが戻ってくる。
「……ねぇエレイン」
すると、同じく部屋で休んでいたルクラリズが少し恥ずかしそうに話しかけてきた。
「なんだ?」
「あの、私……エレインのメイドになるってどうかな?」
そう彼女は恥ずかしそうに上目遣いで俺を見つめながら言った。
それにしても急にそのようなことを言うというのは何かがあったのだろうか。
「急だな。なにかあったのか?」
「その、色々考えてたらそう結論付いたの」
「……どんな人間として生きていくかを考えたのか」
「うん」
確かにどのような人間になるのかは彼女自身で決めるべきだ。とはいっても彼女の状況を考えるに完全に自由な存在にはなれないだろう。
市民に紛れて生きるにしても、魔の気配に敏感な市民からすれば煙たがれることだろう。それに剣士として生きるにしてもやはり同じことだ。ある程度は差別されると覚悟するべきではある。
となれば、存在を認めてくれている俺やリーリアたちと付き合っていく方が楽だと考えるのは当然のことか。
「それで、俺のメイドということか」
「そう、リーリアも信頼できるから……」
「自分の意志で決めたのなら何も言わない」
人間として生きていきたいと願う彼女が自分で考え、自分で決めたことだ。他人の俺がなにか言えるというわけでもない。
ただ、命の危険があるということは間違いないのだがな。
「エレインたちといる方が安心するわ」
「そうか。俺と付いていくということは戦いに巻き込まれることだってある。それでもいいのか?」
剣聖と言う称号を持つ俺は戦いの最前線に行く機会が多いからな。
「大丈夫。魔族を裏切ったのだからそれぐらいは覚悟してるわ」
命を狙われているというのなら戦う、そう決めた彼女の目はまっすぐに俺を捉えている。それは俺を信頼している証でもあり、覚悟を決めているという証でもある。
「そこまで覚悟していて、どうして恥ずかしいんだ?」
「えっ?」
「いや、顔も赤く、そわそわしているようだから」
「あっ、その……」
とても言えるようなことではないのだろうか。聞いたところ、俺のメイドになるという以外はない。それにそこまで恥ずかしい内容でもなかった。
一体何が問題なのだろうか。
そう考えていると彼女はゆっくりと口を開いた。
「……メイドってことは、その、いろんな奉仕をしなければいけないのよね」
「まぁそういう職業ではあるからな。なにも無理にする必要はない。自分のことは自分でできるからな」
確かに身の回りの世話をするという意味でならメイドは主人に奉仕している。
そういった職業であることにも変わりはない。
「リーリアはちゃんとしてる、のよね?」
「ああ、メイドとしては完璧だな」
「…………」
今までにない沈黙が流れる。
口は何かを言いたそうに動かしてはいるが、声として出ていない。なにかが邪魔して発言を止めているのだろうか。
「っ! 中途半端な存在は嫌っ。私も完璧なメイドになるっ」
「なにも無理して……」
「無理じゃないからっ」
なぜか投げやりになった彼女は顔を真っ赤にして背を向けた。
何をそこまで恥ずかしがる必要があるのだろうか。なんともよくわからないものだ。
すると、俺の扉がノックされる。
「エレイン、ここにいるのよね?」
「ああ」
どうやらノックしてきたのはラクアだったようだ。
「もう体は大丈夫?」
そういって入ってきた彼女は心配そうに聞いてきた。
彼女は魔族の攻撃の時、前線の支援をしていたらしい。そのことは聖騎士団団長であるアドリスから聞いたことだ。きっと彼と一緒に行動していたのだろう。
「怪我も治してもらったからな。大丈夫だ」
「そう、それならいいんだけど……」
彼女はルクラリズの方を向いた。
背を向けたまま頬を抑えている彼女は誰が見ても不自然だと思うことだろう。
「彼女になにかしたの?」
「何もしてない。メイドになるってことだけ聞いただけだ」
「エレインのメイドになるの」
「俺は別に構わないと思っているのだが、問題はリーリアだな」
メイドに関しては俺だけで決めれる話ではない。リーリアがダメと言えば、その時点でメイドとして俺の側にい続けるのは不可能だ。
仕方のないことだが、そればかりは俺が決めれることではないからな。
まぁ彼女が拒否することはないと思うが。
「エレインの……」
「なんだ?」
「なんでもない。リーリアが夕食の準備ができたって言ってたわ。そろそろ向かった方がいいわ」
そういって彼女は扉を閉じてリビングの方へと向かった。
「……」
「まだ恥ずかしいのか?」
「も、もう大丈夫っ!」
さっと振り返った彼女はまだ耳が赤く、感情が乱れているというのは誰が見ても分かる状態だ。
まぁ先ほどよりかは落ち着いているようだから大丈夫か。
「夕食の準備が出来たそうだ」
「うんっ、わかった」
そわそわしながらもしっかりと返事をした。
どこでそこまで感情が乱れることがあったのかはわからないが、ゆっくりと解决していくとしようか。
それから俺たちはリビングへと向かうことにした。
夕食はどうやら旬の野菜炒めのようだ。リーリアいわく、この時期はこれが定番なのだそうだ。
そろそろアレイシアも戻ってくるとのことで俺は次々と机に並べられていく料理を見ながら、やはりリーリアはすごいと実感したのであった。
こんにちは、結坂有です。
こうした日常がずっと続けば幸せなのですけどね。世の中、良いことだらけではないようです。
次回は午前中に更新できる予定ですのでお楽しみに……
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