まだ見ぬ境地へ
私、セシルは光の中にいた。どこを見渡しても白い光ばかりで、自分の影すら見えない。しかし、どこか心地の良い光でもあった。
今まで私は何をしていたのだろうか、ほとんど記憶にない。
もしかすると、長い夢でも見ているのではないだろうか。そんな気すらしてくる。
そんな光りに包まれた空間をしばらく眺めていると、ふと妙な違和感を覚えた。
真っ白な空間の奥にほんの少しの黒い影のようなものが見えた。いや、奥ではない。手を伸ばせば届くようなそんな距離だ。すべてが真っ白で光り輝いているこの空間では距離を正確に把握することは不可能なようだ。
「……」
その影に触れてみると何かが自分の頭の中に話しかけてくる。しかし、何を言っているのかは聞き取れない。
私はその影を引き寄せることにした。すると、声もはっきりと聞こえてくる。
「一体私は何者なの? 魔族でも人間でもないの? どっちでもないなら、これからどうやって生きていけばいいのよ?」
自分の声と似ているが、明らかに自分とは話し方が全く違う。
嫌悪感を感じるものの私はその不安に包まれた声に話しかけることにした。
「大丈夫?」
「……大丈夫そうに見えるかしら」
「見えないわね。でもそうやって自問しているだけだと答えは見つからないでしょ?」
「そう、だけど」
この状況を変えるにはまずじっくり彼女の言葉を聞くべきだろう。
フラドレッド家の分家にあたる屋敷に住んでいた頃を思い出す。自分に残されているのはその屋敷で一人自主訓練をしていたことだ。それ以降の記憶はまったくない。いや、正確には何かが邪魔しているのだ。
記憶の引き出しを何かで塞がれているような、そんな感じだ。
「話してみて? 何があったのか」
「話して解決するわけ……」
「状況は変わるわ。一人で抱え込むよりも、二人で考えた方がいいのよ」
「……気がついたら私は魔族の街にいたの」
そう言って彼女は自分のことを話し始めた。
ゆっくりと彼女の言葉が自分の脳内へと流れ込んでいく。
彼女が魔族に育てられたこと、魔族のためにすべてを捧げると誓っていたこと、そして、自分が何者なのかわからなくなったこと。
答えのはっきりしないことほど不気味で怖いことはない。彼女の悩みはここで解決することではないだろう。それでも私は彼女の助けになりそうなことを必死に考えた。
「自分が何者かわからない、のね」
「ええ」
「答えがわからなくて、怖い?」
「……そうね。これからどうやって生きていけばいいのかわからないから」
生きる意味があった。自分が生きている意味があるとしたら、それはとても安心するはずだ。おそらく以前の彼女は魔族のためにと思っていたのだろう。
しかし、自分の記憶が蘇ると同時にその全ての意味が崩壊してしまった。生きる意味を失ってしまったのだ。その瞬間、突如として不安に襲われる。大切なものがなくなったときのような消失感、答えを知りたいという焦燥感、答えにたどり着けないという恐怖感。あらゆる感情が彼女を襲っているのだろう。
そのとき、私はある言葉を思い出した。
「不安に思ったり怖いと思ったり、感情を感じるってことは自分が生きたいって思ってる証。そう私の知人が言っていたわ」
私が恐怖で立てなくなった時に小さき盾であるアレクという人が話してくれた。
彼はエルラトラムで最強を謳っている人物だ。そして、それを語れるほどの実力がある。私と同じぐらいの歳なのに、一体どのような人生を歩んだらあのような強さになるのだろうか。
エレインと同じく、彼ら小さき盾の人たちも謎だ。
「生きたい……。でも意味なんて持ってない。そんなのダメよ」
「世の中には無意味に見えるものはたくさんあるわよ?」
「無意味に見えるもの?」
「あなたにとって意味がないと思っても誰かからすれば意味があるかもしれないってことよ」
世の中には無意味に見えるものがたくさんある。だけど、他の人からすれば意味のあるものにもなる。自分という主観では気付くことのできないが、別の視点からすればきっと意味のあるものだってある。
人間一人の意味なんて世界という目で見ればほとんど無いに等しい。一人の人間が死んだところで世界が大きく変わることはないのだ。結局、意味があるかないかというのは見方次第だということ。
「それに、全ての人が意味があって生きてるなんて思ってないわ。無意味な人生だなと思ってる人もいるのよ。でも、そんなのは主観であって本当はどこかで誰かを救ってるかもしれない」
「でも……」
「生きたいなら生きればいいの、ただそれだけよ。そこに意味なんて考えたところで人生になんの変化はないもの」
感情がはっきりしているのなら生きればいい。
生き続ければきっとなにかが見えてくることだろう。私はそう信じている。
アレクが伝えたいことはそうではないかもしれないけれど、私にとってはそう解釈している。
「……焦っていても仕方がないのね。人生はまだ長い、ゆっくり考えればいいか」
すると、その小さな影は光に包まれてゆっくりと消えていった。光の中に溶け込んでいくように穏やかに。
◆◆◆
俺、エレインはベッドの上で目が覚めた。
横には相変わらずリーリアとルクラリズがいる。
あれからいろいろあった。地下通路での死闘から一日経った今、エルラトラムは平穏に包まれていた。
防壁付近に群がっていた下位の魔族はいつの間にか撤退を開始していた。国内に侵入していた百体ほどの魔族の群れもなんとか殲滅することが出来たようだ。アレクとレイ、そしてリーリアに感謝するべきだな。
国内の魔族があれ以上に暴れていればきっと防壁は突破され、エルラトラムは大打撃を受けていたことだろう。最悪、滅亡していた可能性だって高い。
それにしても、丸一日俺は寝てしまったようだ。
カーテンから溢れる光はオレンジ色に輝いている。時計を見ればすでに四時を過ぎていた。
「エレインしゃま……無理はダメでしゅ……」
左隣に眠っているリーリアは昨日のことを夢で見ているようだ。微かに揺れる彼女の茶髪は琥珀色の輝きを放っている。
両腕に怪我を負った俺に彼女が駆け寄ってきたときのことを思い出す。あのとき、彼女は目元に大きな涙を浮かべていた。魔剣スレイルでも抑えきれないほどの不安が溢れてしまったのだろう。
あれから寝る直前まで抱きついたままだったな。それほどに心配していたということなのだろう。
「すぅ……」
そして、右隣に眠っているルクラリズは天使のような寝息を立てていた。
その白銀色の髪は夕焼けの光に照らされ、オレンジサファイアのように輝いている。
「んっ……エレイン?」
そうしてゆっくりと目を覚ました彼女の目は透き通る紫水晶のようだ。
理由はわからないが、大きな閃光が走ったあのときから彼女の目はオッドアイから薄紫に変わっていた。
最悪なことにあの閃光に紛れてゼイガイアを逃してしまったのは俺のミスではある。それにルクラリズが止めなければきっとこうしてベッドの上で今も生きていたとは思えないからな。
どうやらルクラリズに助けてもらったということらしい。
そんな事を思い返していると扉がノックされた。
「エレイン、起きてる?」
ノックをしてきたのはカインのようだ。
「ああ、今起きたところだ」
俺はゆっくりと起き上がり、彼女へと返事をする。
「あの、セシルが目を覚ましたわ」
「そうか。今行く」
ゼイガイアを逃した俺はルクラリズとともにセシルとミリシアの方へと向かった。
そこにはアレクとリーリアがいた。
セシルはリーリアの魔剣によって固く縛られていた洗脳から解き放たれていた。あとは自分の意志で最後の呪縛を取り除く必要があるが、目が覚めたということは無事に意識を取り戻すことが出来たということだ。
「……エレインしゃま?」
「セシルが目を覚ましたらしい。様子を見てくるだけだ」
「わ、わたしも……」
「リーリアは眠ってて大丈夫だ。昨日は大変だったからな」
そういって俺は彼女をもう一度寝かせ、布団をかけるとすぐに目を閉じた。
部屋を出てセシルが寝ていた部屋へと向かうことにした。
カインに案内され、部屋へと入るとセシルは俺の方を向いた。
「っ! エレインっ」
「大丈夫そうか?」
「……うん。変な夢を見たけれど」
「自分になにがあったのか、覚えてるか?」
「覚えてるわ。思い返すだけでも気分が悪くなるわね」
魔族の街での生活は人間にとってはかなり過酷だったのだろう。それでも彼女はその記憶に屈することなく意識をしっかりと保っている。本当に強い心を持ったものだな。
「それで、これからのセシルの境遇なんだが……」
「特殊施設に収容、仕方ないのはわかってるわ」
「いや、小さき盾の管轄で活動をしてほしい」
俺がそういうと彼女は目を丸くして俺を見つめる。
「もちろん、特殊施設の方がいいというのなら……」
「そんなこと何も言ってないでしょ。小さき盾と一緒に過ごせるの?」
「ああ、保護観察も含めてな」
魔の力を持っている上に洗脳されていた。その洗脳で植え付けられた人格がまた暴走してしまう可能性も含めて小さき盾とともに活動しておく方が安全だろう。それに彼女もそれを望んでいるはずだしな。
それに俺と同じく特殊な称号を得るに値する潜在能力もあるからな。
観察期間を過ぎれば場合によって、俺と同じような名誉を得れるかもしれないな。まぁそれは今考える必要はないか。
今しばらくは魔族のいないこの平穏を楽しむとしよう。それにしても、両腕がここ数日間は痛むことになるだろう。仕方ないとはいえ、もう少し本気で挑むべきだったか。
こんにちは、結坂有です。
今回でこの章は終わりです。
いかがだったでしょうか。
セシルはこれからどのような人生を送っていくのでしょう。
それでは次章もお楽しみに……
評価やブクマもしてくれると嬉しいです。
Twitterではここで紹介しない情報やたまにつぶやきなども発信していますので、フォローお願いします。
Twitter→@YuisakaYu




