戦前の心理戦
俺、トレドゲーテは天界の城で一人のんびりと過ごしていた。
天界はエレインたちの活躍もあって非常に平和な状況を保つことに成功していた。もちろん、魔族の数は少ないものの、全滅したわけではない。だが、それらも時間の問題でいずれ全滅していくことだろう。
なぜなら、彼らが生き残るための人間も、邪神から力の供給もないからだ。
「トレドゲーテよ」
「なんだ」
城のテラスで一人昼寝でもしようかと目を閉じていたところ、老人が話しかけてきた。
彼は天界で一番の権力を持っている神、シーアゼルだ。特徴的な腰近くまである髭を持っている彼はすぐにでもわかる。
「下界での様子を診てきての」
「そうか。エレインのヤツは頑張ってたのか?」
「ほほっ、彼か。確かに頑張っていたの」
なるほど、俺としてはエレインが下界でも暴れていると知っただけでも十分だ。彼はこれからより強くなっていくことだろう。俺と同じく、神を超える力すらも手に入れるはずだ。まさしく息子の成長を見守る親の気分と言ったほうがいいか。
どちらにしろ、俺はエレインに超えられる存在。彼の最後の壁という存在で有り続けることにしようか。
「下界の人間たちともよろしくやってるのなら俺としてはなにも問題はない。他の情報は他の連中にでも共有してくれ」
実際、下界の調整は城の中にいる超特殊能力を持った神たちが勝手に会議でもして決めているからな。俺自身はもうどうでもいいことだ。
ここ天界での俺の役目はただただ戦うだけの存在だからな。
「……他の神たちとも話し合った結果、ここに来たんじゃよ」
「戦いの相談か?」
「そうではないの。ギャザリ・ヴェルセルクは知っておるの」
「そいつがどうしたんだ」
ギャザリ・ヴェルセルク、武神と呼ばれていた存在だ。今となっては圧倒的な魔族の量で死んでしまった。あれは激しい戦闘だったな。億を超える魔族に素手の彼が単騎で戦っていた。
事態を聞いて駆けつけたときには彼自身も、魔族すらもいなくなっていた。俺が天界に召喚されてすぐであった友人でもある。まぁ今となってはどうでもいいことだがな。当の本人は死んでいるのだから。
「……下界におったのじゃ」
「アイツが? あの撤退戦で死んだはずだろ」
「一度はな」
「詳しく聞かせろ」
神は人間とは全く違う。人間は生命活動がなくなればもう生き返ることはない。しかし神に生命活動などない。存在という力のみで自身を保っている。
もちろん、その存在が消耗されていくことで自身は徐々に衰退していくのだ。普通であれば存在が消えてしまうほど消耗していくことはないが、魔族との戦いは熾烈を極めていた。影響力の少ない弱い神であればすぐにでも消えていく、つまり死んでしまうのだ。
あの時、武神であるギャザリの存在は消えたはずだ。それは俺も、目の前にいるシーアゼルも確認したからな。
「魔族は自ら喰った神の能力、存在を吸収できるということは知っておるか?」
「知ってはいるが、アイツが喰われるなんてこと……」
「このわしとて想像はできないの。しかし、可能性としてはゼロではないぞ」
アイツの肉体は天界の中でも強靭な肉体だ。通常の攻撃はもはや通用しない。俺の剣撃ですら傷付ける事ができなかったぐらいだからな。
しかし、億を超える魔族に継続されて攻撃されれば喰われてしまうことだってあるのかもしれない。
「まさか、アイツを喰らった魔族が下界にいるのか?」
「いたの。長い間、下界のどこかに隠れておったみたいでの。このわしを欺くとは、ギャザリと同じく小癪なやつじゃ」
「どこにいる。教えろ」
「どうするのじゃ?」
「あんたがわざわざ俺のところに来たってことは、つまりそういうことだろ」
「……下界不干渉の掟、それはわかっておるの?」
天界にいる連中が下界の出来事に関わることは固く禁止されている。精霊の掟なんかよりもより強力だ。それら天界の掟は特例を除けば絶対遵守される。守られなければ、神の総意によって直ちに存在を抹消されるからだ。
俺自身もここに定住する条件としてそれらの神の盟約を結んでいる。当然ながら、掟を破れば盟約によって消えてしまうのだ。
「影を送る、それしかできないか?」
「そうじゃの」
「あくまで緊急性はない、そう判断したのだな」
「下界で暴れているからといって天界の平穏を崩すとは考えられないからの」
以前、エレインたちをここに一時召喚したのは天界の危機だったからだ。天界を救ったその見返りとして、集まっていた魔族を俺の力で一掃してあげたのだ。
しかし、今回は下界の危機。天界の危機とは直接的に関係のないことだ。
「ギャザリの力を持っているのだとしたら、脅威ではないのか? 盟約は失効、そいつは自由な身なのだろう?」
「……その魔族と話してくるとよい。そのことは先ほど話し合いで決めたことだからの」
「話をするだけで、殺すことはできないということか」
「今のままではな」
それもそうだろう。シーアゼルの言うようにそいつが下界にいる以上、天界の平穏は続く。それに、ただ見つかったと言うだけでそれ以上の情報がないから脅威性の判断が難しいと言ったところだろう。
少なくとも今のままでは俺たち天界にいる存在がそいつに手出しは出来ないということだ。
「まぁ話をするだけで状況が変わるとは思わないが、行動しないよりかはマシか」
「下界での滞在時間は五分程度とする。それでいいかの?」
「問題はない。ただ話をするだけだ」
「……では、さっそく始めるとするかの」
そう言って彼は踵を返した。
俺は彼の背中を追いかけて、転界装置へと入る。
ここに入ることで天界から下界に転移、つまり転界することができる。しかし、盟約によって今ある存在全てを下界へと送ることは制限されているようだ。
「下界では暴れないように、じゃぞ」
「わかってる。早くしてくれ」
俺がそう言うとシーアゼルは装置へと力を込める。特殊な力が俺の周囲へとまとわりつき、意識を下界へと移動させる。
そして、しばらくして光が晴れると下界のとある場所に俺は立っていた。それと同時に強烈な魔の気配が漂ってくる。
エレインから聞いた話だが、今の下界は大きく分けて人間領と魔族領があるそうだ。ここまで魔の気配が強いということはここはおそらく魔族領のどこかなのだろうな。まぁシーアゼルの情報では地球の七割以上を魔族が占領していると言っていた。
絶望的とも取れるが、最悪な状況と言うわけでもない。俺が下界で過ごしていた時代は人間と魔族が混在していた。どこに魔族がいて、どこに人間がいるのかわからなかったからな。大規模戦闘は少なかったものの、歩けば魔族の虐殺行為を見ることができた地獄の時代だ。今はそれぞれの領地を持っているらしく、当時と比べてまだ平和なようだ。まぁ最初に領地を切り分けたのは俺なのだがな。
今はその事を考えている場合ではない。
俺が下界に滞在できる時間は五分程度でゆっくりはできない。
「アイツの気配は……」
俺は目を閉じてギャザリの気配を思い出す。
刺々しいあの気配は今でも鮮明に覚えている。彼の気配を感じ取るのにそう時間は掛からなかった。
俺はその気配へと光の速さで移動する。
瞬きするまもなくその気配へとたどり着いた。
「っ!」
「よう、ふざけた魔族」
「……貴様」
「ギャザリを喰ったお前ならわかるだろ。俺が何者か」
俺がそう言うとその魔族は俺を睨み返してきた。
その横には妙な人間を引き連れていた。いや、人間ではないか。魔の力を何らかの方法で移植されているように思える。下界の魔族、一体何を考えているのやら。
「天界の男が俺になんのようだ」
「今から殺されるかもしれないってのに随分と余裕だな」
「ふっ、笑わせるな。下界不干渉の掟、神を喰らったときに最低限の記憶も手に入っている」
つまりは神という存在の力だけでなく、その神の記憶も引き継がれているということのようだ。
確かに今の俺は実体を持っていない。いわば、影の分身だからな。見ることや話すことができたとしても直接攻撃は不可能だ。
「だが、不思議だと思わないのか?」
「なにがだ」
「この俺が悠長にこんなことをしているってことにな」
俺がそう言うと彼は目を細めて警戒を強めた。
「……セシル、少し下がっていろ」
「ええ、わかったわ」
「そいつがセシルって言うんだな。エレインから聞いたが、かなりの実力者らしいな」
「っ!」
「アイツも俺に似て女を引き寄せる魅力でもあるらしい。まったく困った遺伝だ」
言葉を続けるとセシルという女性は頭を押さえてしゃがみこんだ。激しい頭痛が起きているのかもしれない。
洗脳された人間ほどわかりやすいものはない。所詮は動物も人間も同じ。目を見ればわかる。
今の彼女は強い洗脳で思考が汚染されている状況、自意識と言うものを抑えつけられているのだ。だから彼女のその目には人間的な思考がない。
「……要件を言え。そんなことをしている場合ではないのだろう」
すると、目の前の魔族はそう強く俺に言ってきた。
話題を変えようとしている辺り、洗脳をしたと俺が気付いたと判断したのだろう。そして、洗脳した人間を手放したくないとも考えている。重要だと思う持ち駒を最後まで大事そうに持っているのと同じようにな。
ギャザリのやつも似たような考えだった。選択肢をなるべく削らないように立ち回っていたからな。それが自己犠牲に繋がるとわかっていても、選択肢の多さを優先するような男だった。
ただ、もう少しセシルに揺さぶりをかけても良かったのだが、時間という縛りがある以上は仕方ない。今回の主な任務は目の前の魔族を誘導させること、つまりエレインと戦わせることだ。彼ならこの魔族に勝てるはずだからな。いずれ神を超える男、この魔族一体ぐらいなら倒せないとな。
「まぁいい。天界で俺たちは邪神の封印に成功している。それが意味することはわかっているな」
「……それがどうした」
「強がりか? 事態の重さに気付いてないわけはないだろう」
「人間の隷属化はすでに始まっている。母なる神の存在がなくとも俺たちは生きていける。魔族はもう巣立ちの状態と言えるだろう」
邪神からの圧倒的な支援はもうない。だから、天界にいた魔族は一瞬にして弱体化した。しかし、下界の魔族は勢力を増し続けている。それは継続的に人間を糧にしているからだ。
そして、洗脳した人間を使うことで魔族は生き続け、勢力を伸ばすことができる。独立する段階に入ったということらしい。確かに順調に行けばその計画は成功することだろう。
「だが、その計画は失敗に終わる」
「この俺の作戦に狂いはない」
「本当にそうなのか? エレインというイレギュラーな存在を忘れていないか?」
「うっ!」
そうエレインの名前を言うとまたセシルが声を上げて唸る。
ギャザリが最も嫌うこと、失敗するという未来を提示することだ。目の前の魔族も同じく完璧主義、不確実性は摘み取りたいと考えるはず。
「その男がどうしたと言うんだ。たった一人でこの計画を狂わすことなど不可能」
「そう考えるのは自由だがな。”かつての俺”という存在を忘れるな」
「くっ」
「すでに彼は動き始めてることだろう。それを知った上でどう判断するかはお前次第だがな」
もちろんこれはハッタリだ。
実際にエレインが裏で動き始めているなんて情報は聞かされていないし、まず彼もそこまで動けていないはずだ。
しかし、今の魔族に彼の動きを把握する術はない。
「……そんなことをわざわざ俺に伝えるのはどうしてだ? 敵に塩を送ることに意味などないはずだ。俺をなにかに誘導させようとしているように見える」
「どうだろうな」
俺はそう言って彼に背を向けた。わかりやすい行動こそ、相手は不審に思う。不審に思えば思うほど、不安に駆られる。そして、間違った判断に舵を切る。
情報は多いほうが良いとよく言われるが、不必要な情報はかえって判断を揺るがすのだ。そう、不必要な情報ほど厄介なものはない。
「貴様、俺のことを……」
「戦いは詭道なり、そうだろ?」
「わざわざ戦況を混乱させて、貴様ら天界になんの得がある?」
「ただの気まぐれだと思ってくれ」
俺がそう言うと背後にいる魔族は俺へと詰め寄ってきた。自分をバカにされたようで気に食わなかったようだな。
それも当然だろう。魔族という存在を否定されているわけだからな。プライドが高いヤツほど、自己を否定されるのを嫌う。
「どこまでも、貴様ら天界の神々はっ!」
「気まぐれだからな。俺も帰るとしよう。城で美女が待っているからな」
そういって俺は光の速さでその場を後にした。
これから下界がどうなるのかはわからないが、俺ができることは十分できたはずだ。我が子孫がどう動くかで後の結果が決まる。
まぁアイツならきっとやり遂げるだろう。なぜなら、この俺の遺伝を継いでいるのだからな。
転界してからきっちり五分後、俺は天界へと戻ることにしたのであった。
こんにちは、結坂有です。
今回は少し長くなってしまいましたね。
半分に切り分けるという事もできましたが、流れが悪くなると考え繋げて書くことにしました。
果たして、この後の展開は面白くなっていきそうですね。
それでは次回もお楽しみに……
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