5話 魔薬
「ほぉあぁ~~……」
お肉屋を出た後、私は宿を探して三時間ほどさ迷った。
道行く人々に聞けども聞けども、あっちだこっちだとバラバラな場所を教えるので同じ道を何往復したか分からない。
実際は一番近い場所を教えてくれていただけだったのだが、移民が多いらしいこの国には宿が沢山ある。
方向音痴でなくとも、辿り着くのに少し時間がかかるだろう。
そうだそうに違いない。
長い時間歩き通しだった私は、宿を取って部屋に入った途端ベットに倒れこんだ。
ふかふかの布団が全身を包む。もう動きたくない。
歩き慣れているとは言え、どんな強靭な人物でも休息は必要だ。
固い地面で一夜を過ごして、体力を回復させる私だって例外ではない。
だらしのない声を発しながら布団に沈んだ。
足から疲れが滲み出るように広がり、その疲労は心地よい眠気へと変わっていく。
「お腹一杯食べて寝るとか最高かよ……」
お肉最高。グレドルフ国万歳。
宿探しは大変だったけど。
明日はどうしようか。
お肉を食べるのは勿論だが、普通に観光もしたい。
牧場がどこかにあると聞いたのでそこに行くのもありだ。
ただでさえ個体数が少なく、養殖の難しいキューカウを大量に見てみたい。
だが、気になることも少しある。
勇者のことと、飲み物を飲んではいけない理由だ。
水だけだと思っていたが、お茶までとは思わなかった。
どんな効果があるのだろう?
クロイドさんが注意するほどなのだから、ヤバい薬であることは間違いない。
枕に顔を埋めながらぼーっと考えていると、一瞬意識が飛んでカクンッとなった。
薬もヤバいだろうが、私の眠気もヤバい。
「全部明日でいっか~……」
明日のことは明日決めるに限る。
予定通りの一日なんて楽しくはない、と言うと一部の人達から怒られるが、私は予定調和なんてごめんだ。
何が起きるか分からないからこそ旅は面白い。
私は頭の中を空っぽにして、睡魔に身を委ねた。
なんだか、体が重いのは疲れているからだろう。
ーーーーーーーーーー
東の窓から朝日が差し込んだ光で目が覚めた。
まだぼーっとしようと思ったが、染み付いた旅の生活は宿だろうが抜けはしない。
のっそりと体を起こし、歯ブラシ片手に洗面台に向かう。
今回はドラングベアーの素材があまり高値で売れなかった為普通の宿屋を取った。
今後のことを考えるととても贅沢できる金額ではない。
入国日に金貨三枚とか言うぼったくり国もあるからだ。
だが、そういう国に限って国の物価が安かったり、色々サービスしてくれたりとまぁ良くできているものである。
「今日は何のお肉をたべ……」
食べようかな、と言いかけたところで違和感に気づいた。
なんだか声が低い気がする。
「あーあー、風邪引いたかな?」
だとしたら入国した後で良かった。
道中に風邪を引いたら夜は寒い、薬はない、食べ物は喉を通らないで衰弱していく一方だ。
入国時期は延びるだろうが仕方がない。
喉に痛みは感じないが、なんとなく手で喉を触ってみる。
ブニ。
……あ?
なんだこの感触。喉に触れている感触はあるのに喉に触れていない。
まるでクッションを首に巻いたようだ。
摘まめば水風船を掴んだようにブニっと潰れるが、離せばまた元に戻る。
謎の感触に焦り、急いで洗面台へと駆け出した。非常に嫌な予感がする。
寝ている間に何かされただろうか?
それとも何か毒でも口にしてしまっただろうかという不安が募るが、まずは私の体に何が起こっているのかを見なければ始まらない。
バタンッ! と乱暴に扉を開けると、目の前の鏡に自分の姿が写し出される。
寝起きで髪すら纏めていないが、そこに写った自分を見て絶句した。
「な……なに……これ……?」
そこには脂肪の塊が立っていた。
顎と喉は繋がり、肩にも広がっているせいでもはや首がない。
そこから下もだるまのように丸くなって、見るに耐えない形状を作っている。
長旅で鍛えられた美しい足でさえ、鮃のようにデロンと広がっていた。
「ぎゃあぁぁぁああぁああ」
まぁ世間一般的に言う、超肥満体型の私が鏡に写ったのだ。
ーーーーーーーーーー
すさまじいショックを受けたものの、立ち直るのは割と早かった。
吹っ切れた訳ではない。
私はミシミシと音の鳴る床を気にすることもなく、胡座をかいて唸っていた。
まず一日でこんな体型になるなどありえない。なんらかの原因があるはずだ。
だが、昨日やったことと言えば素材の売却とお肉を食べたこと。
素材は明らかに関係ないとして、肉に原因があると見てみよう。
本当はあの店にカチコミに行きたいが、流石にこの体型で外を出歩く勇気はない。
「でも肉が原因なら国民全員太ってる筈なんだけどな……」
結構さ迷ったが、グレドルフ国で太っている人は一切見なかった。
強いて言うならクロイドさんか。
肉が有名で物価も安いなら、必ず国民は口にしている筈だ。
なら肉が原因ではない……?
とりあえず肉の件は置いておこう。確信に至れるまでの情報が無さすぎる。
私は鞄に手を伸ばし、奥底に入れた二つの瓶を取り出した。
一つは入国する前にエイドさんから貰った解呪薬。
もう一つは肉を食べたあの店で貰ったお茶。
「さて、どっちから調べようかな……」
解呪薬は効果が分かりきっているので調べる必要はないが、この異常なまでの脂肪のつき具合からして呪われている可能性がある。
一息に飲んでみるのも選択肢の一つだ。
だが、これがもし呪いではなかった場合、私の体は全ての呪いに対する耐性を失う。
そんな賭けに出るつもりは毛頭無い。
私は鞄から様々な道具を取り出してからお茶に手を伸ばした。
「まずはこの子の効果からだね」
非常に飲料水として使用できるまでに臭いと味を似せたこのお茶。
何をどうやったらここまでお茶に似せた薬ができるのかと、薬師としては多少興味がある。
基本的に用意するのは、蒸留水、濃度をそれぞれ変えた魔素感知薬、そして油。
他にも色々用意する物はあるけど、それは解析する薬によって変わるのでまずはこれらを用意し、作業を開始した。
指も太くなったが、長年続けてきた事は少々の事くらいで出来なくなったりはしない。
まずはこの茶薬を三つほどのビーカーに移し替える。
本当は試験管のような物に入れたかったが、作業環境が整っていないので諦めた。ある物でやるしかないか。
まずは水草の臭みを消している薬を取り除かねばならない。
水草はどんな魔法薬にも使用されるベースになる薬草なので、これを囲っている薬を除かなければ何も分からないのだ。
地方にもよるが、この世界の薬と言うのはパズルみたいなもので、複雑に作れば作るほど解析も難しくなる。
それ故に汎用性が高く、アイディアと実力次第では秘薬だって作れるだろう。
それこそエリクサーのように。
「水草を守ってる薬を剥いでいかないと始まらないからね~」
そう言いながら一滴薄めの魔素感知薬を垂らす。
ぼわっと広がった半透明の液体は直ぐに茶薬と馴染み溶けていった。これを色が変わるまで繰り返す。
垂らした魔素感知薬の量によって、ある程度茶薬に纏っている薬を断定する事が出来るのだ。
因みにこの魔素感知薬は水草を磨り潰して水を加えた後、加熱して殺菌することで作成が可能。
魔法薬ベースの材料としては使えなくなるが、匂いも消えて薬解析の必需品なので、私は重宝している。
「まぁあんまり薬の解析なんてやらないけど」
ボソボソと独り言を言いながらも、魔素感知薬を一滴ずつ丁寧に垂らしていく。
何度繰り返しただろうか?目が疲れてきたあたりで、茶薬の色がブワッと青色に染まった。
「結構入れたなぁー……こりゃ材料かなり多そう」
この青色は水草そのものの色であり、濃さや色合いで効果の強さがわかり、濃ければ濃い程効果が高い。
それ故に効果の期待できる素晴らしい薬ほど不味い。
良薬は口に苦しとはよく言ったものだ。
今回は紺色というかなり濃いめの色が現れた。なかなかに強力な薬らしい。
分けた茶薬もこの色のなるまで魔素感知薬を入れていく。
「んんー、やっぱり在り合わせの道具じゃあんまり材料分かんないなぁ」
大体は匂いで判別できるのだが、あまりにこの薬に使った材料が多いと匂いも混ざって分からなくなる。
どこかの研究所に持っていくのもありかもな、と茶薬をどこかでもう一度調達しようと決めた。
さて、大体薬というのはこの世界では三つに分けられる。
回復系、増強系、呪系だ。
回復は読んで字の如く疲労や怪我、病気等から回復させる薬。冒険者には必須アイテムだ。
増強は攻撃力、防御力強化など身体能力を一時的に強化する薬。
呪系は防御や攻撃力、総合的な身体能力の低下や、回復を出来なくさせる、病気にさせる、幻覚を見せるなど様々な効果がある。
これを判別するのに必要なのは油と蒸留水。
茶薬が増強系だった場合、蒸留水を入れるとゲル状になる。
呪系の場合は、油を入れることで色が透明になるのだ。
早速私は油に手を伸ばす。
そもそも水草の臭いがする時点で回復系でないことは確かだ。
茶薬を少量小皿に移し、同じ量の油を注いでいく。
「うん、予想通り」
透明になっていく茶薬を見て頷いた。
水臭い臭いもなくなり、ただの水に戻ったようだ。
後は呪系の薬に対する効果判別の道具を使えば、この茶薬の効果が分かる筈だ。
道具を取り出そうとした時……。
「あっ」
つるっと、持っていた小皿が滑ってしまった。
さっき使った油が手についていたようだ。
油を混ぜて水になった茶薬の入った小皿が中身をこぼしながら落ちていく。
それに反応する程の反射神経は、生憎持ち合わせていない。
パチャッ
しかも最悪なことに、魔素感知薬で色を出した茶薬瓶の一つに入ってしまった。
小皿が割れなかったのはいいことだが……。
「一つ使えなくなっちゃったなぁ……」
それもこれも全部この太る呪いが悪い。
私はどこでこんな呪いを貰って来てしまったのだろうか。
ため息をつきつつ、小皿を回収。
あぁ、手がべとべとだ。確かあまり綺麗じゃないタオルがあった筈……ん?
「べとべと?」
はっとして、茶薬の瓶を見てみる。
茶薬はもちろん、魔素感知薬もサラサラの液体だ。
だが、小皿を落とした瓶は少し固まっているように見えた。
……厄介な気配がする。
私は手についた液体を拭くことすら忘れ、箸でガシガシとその瓶を混ぜ始めた。
始めは抵抗なく回せていたが、すぐにゲル状になって箸にまとわりつき始める。
バッと箸を持ち上げれば、最早ゼリー状になった茶薬が居座っていた。
「……呪系と増強系の複合薬……?」
私はそっと目を逸らした。