利用される者
日向くんに声をかけられた私は、宿の方へと戻る誰にも気づかれず、彼と向き合う。
彼とは初日の夜に初めて話して以来、話すことはおろか、目が合うこともなかった。よく知った仲ではないので自然と言えば自然だが、不自然と言えば不自然だ。
そして、今のこの状況は不自然と言えるだろう。彼と一緒にいた他の1年男子は、周りに見当たらない。宿に戻るタイミングが遅れた私を呼び止めても、誰も気づかないと知っていて呼び止めたように見える。
「せっかく、気をつけてねって言ったのに。まあ、ころころ転がされてる君も面白かったけどね」
そして、その言葉の内容。彼は今回のことに無関係なはずなのに、知ったような口をきく。堤防の上から、朔のお気に入りかと声をかけられた時点で、私は彼のことが気になっていた。
日向くんは、くすくすと笑っている。
「分かってて転がされてたの?それとも、君は協力してただけ?柳先輩の愛人だから」
「愛人じゃないよ⋯⋯」
「ただのお気に入りか」
それは微妙に否定できない。
しかしそれよりも今は、彼がどこまで知っているのか、知っているのなら何故なのかを聞きたかった。
「あの、暑いから、一旦どこかお店入らない?」
「暑ければ宿の方が良いんじゃない?」
あっさりと言う彼に、何のためにこのタイミングで声を掛けてきたのか、と思う。が、彼が少し独特な思考回路を持つことを思い出す。
「この話は他の人に聞かれてもいいの?」
「どうだろう。聞かれてない方が話しやすくはあるよね。他の人に色々補足説明するの面倒だし」
そこなのか。
「じゃあやっぱりお店入ろう。宿だと聞かれる可能性高いから」
「僕は君の答えを聞きたいだけだけど」
「有里朱音だよ。ちゃんと答えようと思うなら、話長くなるかも」
「君の名前なら知ってる」
私はまた返事につまる。名前で呼んでとこのあいだの別れ際に言ったはずだが、ずっと”君”呼びなのが気になってしまうのだ。しかし、彼は言葉に含まれた意図を読み取ってくれない人だ。だから意地になっている部分もある。
「名前で呼んで欲しい。”君”じゃなくて」
「分かった」
彼はまたあっさりと頷く。純粋なのだかそうでないのか、よく分からない人だ。
「それじゃあ、お店入ろう。僕も日に焼けるのは嫌なんだ」
おお、少しは話が通じるじゃないか、と思いながら、スタスタと歩き出す彼についていく。相変わらずこちらへの気遣いはなく、歩きにくい砂浜を、後ろを振り返りもせず進む。これも、わざとなのか天然なのか分からない。
彼は、海の家のひとつに入っていく。お昼のピークも過ぎ、人は少なくなっていた。
「それで、君は僕に何の用?」
向かい合って座ってから首を傾げていうので、私は半眼で彼を見てしまう。用がありそうに話しかけてきたのはそちらのくせに。
「朱音って呼んで」
「朱音」
きょとんとしてオウムのように言うので、もう何も気にするまい、と思う。
「日向くんの質問に対する答え。好きで転がされてたわけじゃないよ」
「ああ、その話。朱音は好きでころころしてたんじゃないんだね」
なんだか言い方が気になるが、朱音と呼んでくれたことの方が驚いた。呼び捨てだが。
「うん。で、日向くんは私がどうころころしているように見えたの?」
「どうって、ころころだよ」
日向くんはぶはっと笑った。大人っぽい表情で笑う人だと思っていたので、思わずというようなこの笑いは、幼さが見えて新鮮だった。彼の体の揺れに合わせて、くせ毛もふわふわと揺れている。しかし、やはり質問にはきちんと答えない。
「まあ朱音が好きで利用されてるのなら、放っておこうかなって思ったんだけど。柳先輩のお気に入りだし」
「そこは重要なんだ」
「とても重要だよ。だって、片思いと両思いって全然違うじゃん」
「うん」
分かるようで分からないが、頷いておく。今のところ、彼は核心的な発言を何もしていないが、辛抱強く付き合っていたら話してくれる気がした。今の発言からすると、彼は私を放っておかない方向になったはずだから。
案の定、彼は言葉を続ける。
「知ってる?生徒会って、指名制なんだよ」
「指名制?」
「そう。君お願いねってやつ」
「メンバーがってこと?」
「それ以外何があるのさ」
「でも、このあいだ選挙やっていたよ?」
「あんなの、やらせに決まってるじゃん」
日向くんはくすくすと笑う。私は笑い事ではなかった。衝撃の事実だ。この学校に民主主義は適用されていなかったのか。やらせというのもだいぶ問題がある気がする。
「だって選挙だったら絶対、あの喋らない女の子落ちてたよ」
亜紗美のことだ。かわいそうだが、納得してしまう。なにせ彼女は必要最低限も喋らない。印象が大事である生徒会の選挙において、彼女が不利なのは目に見えていた。
「でも、そうだとしても、どうして日向くんがそれを知ってるの?やっぱり、生徒会と何か関わりあるの?」
「もちろん、関わりはあるよ」
いけない。質問の仕方が悪かった。しかし、聞き直す前に彼はまた喋りだす。
「生徒会って学校の番犬みたいなものだから、それなりの力を求められるんだよね」
だから指名制だということなのか。
「それで、学校のためならなんでもするんだよ」
「なんでも⋯⋯」
なんだか、嫌な響きに聞こえる。
「今回も、裏サイトなんかに手出したじゃん。僕なんか、放っておけばいいって思っちゃうけどね」
今、目の前にいる人は誰だ、と思う。
裏サイトにまでメンバー総出で関与するのは、普通の生徒会がやる仕事には見えなかったのは、事実だ。
しかし日向くんは、生徒会のことや今回のことに関して、知りすぎている。全く関係ないはずなのに。朔が生徒会長だということは、確実に知っているのだろう。思えば、最初から朔の名前を出していた。
「日向くん、朔に利用される人なの?」
私と千翔くんとたるとは、半分生徒会に足を突っ込んで、生徒会に利用されている。もし彼もそのような存在で、朔から生徒会の情報を聞いているのだとしたら、納得がいく。私も生徒会ではないが、今回のことについてかなりのことを知っているのだから。
しかし、日向くんは笑顔を消して、不満そうに眉を寄せていた。手元にあるジュースのストローに口をつける。
「僕はころころしないよ」
意地を張っているだけなのか、本当にそうなのか。初めて見る不機嫌そうな表情に、深く聞くことができない。
「朱音は利用されるのが嫌だったら、生徒会から離れた方がいいよ。今嫌だと思ってなくても、早く縁を切ることをオススメするけどね。柳先輩のお気に入りなら尚更」
「やっぱり、それが重要なんだね」
「そう」
日向くんは大人っぽい方の笑みを浮かべる。口は開かず三日月型にして、目は半月型。
朔のお気に入りである私を朔から離れさせたいのか、本当に心配して忠告してくれているのか、それとももっと別の何かがあるのか。
何か読み取れるものがないかと、彼の顔をじっと見ていると、鞄の中で振動を感じた。中の携帯を取り出すと、たるとからの電話だった。連絡を入れるのを忘れていた。日向くんにごめん、と言って通話ボタンを押す。
『あーちゃん、今どこにいるの?まぁた、いつのまにかいなくなっちゃって』
「ごめん、たると。ちょっと知り合いに会っちゃって」
『あ!もしかして遼太くん?』
「遼太って⋯⋯ああ、清浦くんか」
『清村だけどね。聞いたよ、遼太くんに狙われてる話。あーちゃん、ああいう人苦手だと思ってたけど、そういう感じだったの?」
「いや、清村?くんじゃないし、どういう感じでもないよ」
日向くんは黙ってこちらを見ている。
「すぐ戻るから、宿で待ってて」
なんとなく慌ててそう言い、電話を切った。それと同時に、日向くんが口を開く。
「清村遼太?」
「そう。いや、電話の相手は違うけどね」
日向くんと清村くんは合宿中よく一緒にいるところを見かけた。彼も、清村くんに何か聞いていたら嫌だな、と思う。
「日向くん、清村くんと仲良いの?」
「さあ。まあ、なんかあいつアホっぽくて面白いよね」
この人は馬鹿にするつもりではなく、自然と馬鹿にしているのだろうなと思う。
「あれ、もしかして、清村がずっと有里さん有里さんって言ってたのって、朱音のこと?」
なんだ今更かと思ったが、あーそうかもね、と曖昧に答えておく。どうか、千翔くんとの誤解は伝わっていませんように。日向くんは蛇口のように悪気もなく広めそうだから。
「朱音、遼太の愛人だったの?」
「断じて違うから」
日向くんを睨む。
「私は誰の愛人でもないし、そもそも愛人って言い方はやめなよ⋯⋯」
彼は不思議そうに首を傾げるだけだった。
「宿に戻らなくちゃ」
「うん、僕も。清村たちと遊ぶのはもう疲れた」
私たちは同時に立ち上がる。今日は海で遊ぶよりも、誰かと話している方が多かった気がする。それも、普段は話さないような人と。これも合宿の醍醐味なのか、と思う。日向くんとは、今後も学校では話す機会などないような気がした。
「朔に、日向くんのこと聞いてもいい?」
宿に向かう道を歩きながら、こちらに気を遣わない背中に問いかける。彼にそんな許可を得る必要はないのだが、なんとなく、もう少し情報が引き出せないかと思い、言ってみる。
「柳先輩は僕のこと何も知らないと思うけどね」
「じゃあ、日向くんのことを日向くん自身に聞いたら、どう答えてくれるの?」
「僕は僕のことをよく知ってるよ」
「⋯⋯あ、そう」
やはり、こういう特殊な環境下でなければ、彼とは話すこともないだろう。この調子では、朔も知らないというのは、本当かもしれない。
しかし⋯⋯
「日向くん。忠告ありがとうね」
彼は私よりも、生徒会について色々なことを知っている。生徒会に関わらないようにするのが、身のためなのかもしれない。それでも、生徒会の人たちとは既に関わり過ぎてしまった。縁を切るのは、少し寂しい。
だから、私がまた首を突っ込む理由ができたら、彼に話を聞きにいくような気がした。
日向くんは、そんなん私の考えを見定めるように、わずかに首を傾げてじっと見てくる。やがて、にっとした笑みを浮かべた。
「どういたしまして」




