最悪のタイミング
集合の駅から約2時間、微妙に居心地の悪さを抱えながら過ごした新幹線という密室から、ようやく解放された。
部長’sプランにより、1日目の今日は駅周辺の有名な観光地をまわった。
観光地と言っても海沿いの町なので、近代的な建物などはほとんど見られない。それよりも、自然がメインなのだ。駅に降り立った瞬間から海の匂いを感じるようなところだ。海が身近でない私たちにとって、それだけでテンションが上がっていた。
宿泊先へ着いたのは、日がだいぶ傾いてからだった。
宿泊先は、海沿いのこぢんまりとした和風の宿だった。高校生の出せる費用は限られているので、決して綺麗な宿ではなかった。しかし、古いだけで清潔感はあり趣もあるので、私は気に入った。
部屋は男女別学年別だったので、再び女子だけの密室で過ごすことになる。空気が悪くなったのは京介くんの話が出た時だったが、少々不安は残っている。それでも、大丈夫と自分に言い聞かせながら、1年女子の部屋へ向かった。
ポジティブな気持ちでいようとしたのが良かったのか、たるとが明るく話を回してくれたおかげなのか、それとも新幹線内での時間を経て少しは距離が縮まったのか⋯⋯。宿に着いてからは、彼女たちとの会話を自然と楽しむことができた。
旅行初日はこのまま何事もなく終わるかに見えた。
「ねぇ、夕飯まで時間あるから、温泉入らない?」
そう言ったのは高橋さんだ。
「いいね!天然温泉って書いてあったよ」
井上さんがすぐに賛成する。もちろん異論のある者はいない。5人で温泉へ向かう。
温泉は、宿に泊まりに来たときの醍醐味のひとつだ。中学の修学旅行以外で他人と裸の付き合いというものをした事がなかったので、それは少し恥ずかしいが。
「あーちゃん、いつもゆるい服ばっかで勿体ないな」
「えぇ」
脱衣所でいそいそと服を脱いでいると、たるとにそう言われた。思わずタオルで身体を隠す。陸上部の面々は流石、程よく筋肉がつき、すらりとしているので、私は恥ずかしい。
「そんなこと言ってないで、早く入るよ」
「照れてるー」
からかうたるとの細い背中を押して、むわっと煙が立ち上る浴場に入る。
「わぁ、露天風呂あるよ!」
「広いね」
宿の外観や部屋の様子からして、温泉といっても期待はあまりしないと思っていた。しかし、5人で入るのは勿体ないくらいの広さがあり、風呂の種類も充実している。温泉施設として成り立つレベルだった。
身体を洗って、そろっと温泉に入る。息を吐きながら肩まで浸かると、自分の中の何かが抜けていくような気がする。朝から気を張っていたのだと、初めて気づく。夏でも温かい温泉は身にしみた。
他の人たちはわいわいと話していたが、私はやはり聞いているだけだった。そのうち、なんだかぼーっとしてくる。
「あーちゃん、大丈夫?」
たるとが近寄ってきて心配してくれる。
「ちょっとのぼせたかもしれない。先出ようかな」
「うん。脱衣所出たところにベンチと水があったから、そこで休むといいかも」
「ありがとう」
立ち上がって浴槽を出るとふらつきそうになったので、先に出てよかった、と思う。
頭がぼーっとしたままTシャツとジャージに着替えて、たるとに言われた通り廊下に出る。しかし、ベンチには先客がいた。
「あれ、有里さん」
梓馬くんだ。
「大丈夫?顔赤いよ。のぼせちゃった?」
同じくのぼせたようで、気分はあまり良くなさそうな梓馬くんだったが、こちらを心配してベンチの隣をあけてくれる。
「うん、ちょっとね。ありがとう」
彼の隣に行こうとして壁についていた手を離した瞬間、視界がぐらりと傾いた。ああ、やばい、と思って思わず目を瞑る。
トサッ
床に倒れたと思ったのに、痛くなかった。暖かいものが私を包んでいる。
「アリス?」
ここで聞くはずのない声に、ぱっと目を開ける。ここ何日か嫌というほど見ていたあの顔があった。
「なっ⋯⋯朔?」
ここにいないはずの兄が私を支えていた。思わず身を引く。
「朔先輩!有里さん、大丈夫?」
「だ、大丈夫。ちょっとぐらぐらするだけ」
「まったく、のぼせやすいんだから気をつけないと」
私たちと同じくラフな格好をした朔が、ベンチに座らせてくれる。
「朔⋯⋯なんで?」
「それはこっちのセリフだよ。僕たちは生徒会の合宿中」
「⋯⋯かぶったの?」
まさか。
「朱音」
ぽつりと小さくつぶやく声に顔を上げると、いつもより目を開いた坂倉亜紗美が立っていた。
「亜紗美!」
クラスメートの顔に素直に喜べる状況ではなかった。驚きの方が勝る。本当に、生徒会も来ているようだ。しかし、本当に偶然だろうか。
「旅行先でも一緒なんて、やっぱり運命?」
「はぁ?」
梓馬くんと亜紗美がいる前で抱きついてこようとする朔を押し返す。
というか、亜紗美は私たちの関係を知らないはず。しかし、亜紗美の無表情からは何も読み取れない。興味がないとでもいうようにぼーっと明後日の方向を見ている。意図的に目を逸らしているようにも見えるが。
不愉快にも、梓馬くんはにこにことしていた。彼の方は朔が生徒会長であることを知らないはずだが、たまに生徒会を手伝っている人と認識しているのだろう。疑問を持っている様子はなかった。
「そういえば、生徒会のもう1人の人って来てるの?」
女の子1人だけで来たのかとふと心配になって、亜紗美を見る。一度も見かけたことはないが、確か、2年の女子がいたはずだ。亜紗美は首を縦に動かす。
「来てるよ。普段はあんまり顔見せないからこそ、今日は全員集まってる、らしいよ」
朔が答えるが、梓馬くんが自分の立ち位置を知らないことを思い出したようで、語尾に言葉が付け足される。
「見てみたいな」
「まあ同じところに泊まっていれば、そのうち会うよ」
つまり、満面の笑みを浮かべているこの兄とも、会う機会は多いということだ。私は思い切り嫌な顔をしてみせた。
「朔と一緒にいるところ他の人に見られたくないから、部屋戻る」
「そう?じゃあ明日は一緒に遊ぼうか」
「じゃあってなに。遊ばないよ」
明日、陸上部組は水族館へ行く予定なのだ。この周辺の唯一の近代的な遊び場だ。他には何もなく、ずっと海で遊ぶことになりかねないと、部長が予定に入れたようだった。
「あ!圭ちゃん来てるんだよね!会いたいな〜」
「だめ。圭貴はこっちで遊ぶの」
「じゃあ僕もそっち行く」
「ストーカー」
その単語は予想以上に朔にダメージを与えたようだった。悲しそうな顔で梓馬くんに、どう思う?と聞いている彼を横目に、立ち上がる。頭はもうすっかり冷めていた。
部屋の方へ向かおうとして、人影に気づいて立ち止まる。
「京介くん?」
自販機で気づかなかったが、京介くんがその裏でお腹を抱えて震えていた。彼も生徒会員なので、当然いるだろうとは思っていたが⋯⋯
「え、だいじょ⋯⋯」
「あは、あははは、もうダメ、面白すぎ」
「え?」
お腹が痛いわけではなく、笑っていたようだ。
「なにが面白いって?」
「朱音ちゃんと、はは、朔先輩が」
「はぁ?」
思わず眉を寄せてしまう。意味わからないが、彼がこんなに思いきり笑っているところは、初めて見たかもしれない。一瞬、悪戯っぽい紫色を感じた。
「あーちゃん?」
声を聞きつけたのか、たるとがひょこりと浴場の暖簾から顔を出した。
「えっ!さっくー、あさみん、と京介くん!?」
「あ、たるちゃん」
朔はのんきに手を振っている。
「なんでここにいるの?」
「生徒会の合宿でね」
「ええ、そうなの?すごい偶然だね!」
単純なたるとが心配になる。
「私は朔が仕込んだんじゃないかと思ってるんだけど⋯⋯」
「え?何か言った?アリス」
「いえ何も」
「何を騒いでるの?⋯⋯あれ?」
なんだか人が増えてきた。たるとの後ろから井上さんも顔を出している。皆タイミングが悪い。私は早く部屋に戻りたかった。
「たるとちゃん、朱音ちゃん、部屋戻ろう」
私の心の声を察したように井上さんが言った。しかし、彼女の顔が少々強ばっている。私ははっとして、新幹線での会話を思い出した。ちらりと、朔たちと話している京介くんを見る。
タイミングは、最悪だったらしい。
亜紗美や梓馬くんに別れを告げて、たるとたちと共に部屋へ戻る。夕飯の時間になるまで、井上さんの笑顔は見られなかった。




