隠しごと
私は部活を終えると、いつも一緒に帰っている友人に断り、桜の木のあるところへ向かった。
朔に教えてもらった、桜が最も綺麗に見えるという場所だ。校門手前で、校庭や校舎の反対方向へ行くと、テニスコートの前にある。学校の裏側の駐車場へ続く道のため、いつも人が少なく、少し寂しい感じがする。
今は桜の木も深緑に染まっているが、私の目には桜の花びらと美しい人が見える。入学式の日の印象的な出会いは、今でも鮮明に思い出せる。
彼と会うまで、朔と同じくらい美しいと思った人はいなかった。容姿が端正でも、思わず見てしまうということはなかった。
朔に惹かれるのは、純白と感じる心ゆえだ。私は、目の前に佇む彼に惹かれる理由もまた、分かっていた。
「千翔くん」
目を細めて桜の木を見上げていた彼は、名前を呼ばれてこちらを見る。
「アリス」
何故か最初から知っていた私のあだ名を呼ぶ千翔くんは、私を見ていない。目は確かにこちらを向いているのに、私を見ていない。
彼が見ているものが何か。私はそれが、どうしても気になるのだ。
「昨日はありがとう」
千翔くんに近づいて、今日ずっと言おうと思っていたことを言った。
「昨日、千翔くんと梓馬くんと話したから、朔と向き合おうと思えたから」
彼はいつものように、興味ないような返事をする。しかし、きっと話はちゃんと聞いているのだろうから、私は勝手に続ける。
「昨日、朔とちゃんと話したの。そしたら、私たちの本当の矛盾が分かった。千翔くんの言ってたことは間違ってなかったよ。比較する必要はないんだって、少し考えれば分かる事だったんだ。目を逸らしていたから、単純なことが見えなかった」
真っ直ぐに千翔くんを見ると、彼の無表情が少し崩れた。口角をくっとあげている。
「見れば分かった。人は成長するから昔と全く同じとはいかないけど、でも、お前たちの根本は昔のままだったな」
「それ、聞きたかったこと。どうして昔の私のこと知っているの?朔とは知り合いだったの?」
彼は目を逸らす。
「そうだな」
そのまま桜の木を見上げる彼は、やはりどこか遠くを見つめている。
「アリスたちが引っ越す前、俺も近くに住んでたんだ」
驚いた。私たちが引っ越したことも以前住んでいた家も、彼に言った覚えはない。
「だから、たまに見かけることがあった。朔先輩にはかまってもらうこともあった」
ようやく、昨日の彼の言葉や昼間の朔との会話に納得する。
「全然知らなかった⋯⋯。私が覚えてないだけ?」
「さあな。アリスが俺のこと知ってたかは知らない」
「記憶にはないけど。あそこに住んでた時のことは、正直覚えてないことが多いんだ」
私の鮮明な記憶は、引っ越した後から始まっている。それ以前のことは、全てがぼんやりとしか思い出せなかった。引っ越したのは小学校低学年の時なので、もう少し覚えていてもいいと思うが。
「逆に、何を覚えてるんだ」
意外にも、千翔くんが質問してくる。
「たるとたちと仲良かったこと?朔と仲良かったこと?」
「曖昧だな」
「うん。まあ、子供の頃のことだから、しょうがないのかもしれないけど」
「しょうがないだろう」
わざわざそう言って頷く彼に、違和感を覚える。
「何か隠してる?」
彼はこちらに目を向けて、心外そうに片眉を上げる。
「なんで」
「なんとなく」
「いいや。何も」
ふっと顔を逸らして、また桜の木を見上げる。彼は誤魔化すことと嘘が上手い。朔で鍛えられているので、ある程度見抜けるようになったと自負しているのだが、今回はどちらか分からない。じっと千翔くんの横顔を見つめる。
彼は視線に気づいたように、再びこちらを見る。長い前髪に半分隠れた目は、こちらの全てを見透かしているようなのに、こちらからは何も見えない。
違う、とふと思う。彼は最初から、私を直接知っているような口ぶりだった。
「思い出した。私、やっぱり千翔くんと会ったことあるよ」
彼が目と口をわずかに開いて、こちらを見る。珍しく分かりやすい、驚きの表情だった。
「覚えてたのか」
やっぱり。
「ううん。全く。引っかけてみただけ」
途端に、彼は眉を寄せて不機嫌そうに睨んでくる。私は思わず笑ってしまった。
「ごめん。でも、千翔くんも正直に言ってくれればいいのに」
「そっちが覚えてないのに、わざわざ言おうとは思わない」
「なんでこんなに覚えてないんだろう」
彼が何か言おうとして、途中でやめたように黙りこくる。何か考えているようなので、私は待ってみる。しばらくして、彼は口を開いた。
「8年前、家の近くで事件が起きたらしくて、騒がれてた」
唐突に発された彼の言葉に、わけも分からずどきりとする。
「どんな事件?」
「子供の誘拐だ。被害者は、小学2年生の少女」
「誘拐⋯⋯」
「名前を、有里朱音と聞いた」
「え?」
自分の名前だと気づくのに数秒かかった。言われている言葉を理解しても、意味が分からなかった。そんな話は聞いたこともなく、もちろん自分でも覚えがなかったからだ。
「その事件の後から、あんたたちを見かけなくなった。引っ越したのは、小学2年の時じゃないか?」
「そ、そうだけど⋯⋯。私、全然覚えてない」
「前後の記憶がなくなってるって、朔先輩が言ってたからな」
記憶がない、ということには心当たりがあるかもしれない。引っ越し前の記憶は曖昧だが、引っ越した当時のことは全く覚えていなかった。前の家でもその後の家でも、引っ越しの作業をした覚えがないのだ。
「本当に?朔もお母さんたちも、そんなこと一言も⋯⋯」
「言えないだろ。記憶を失くすくらいショックだったんだから」
確かにそうかもしれない。本人が忘れてしまっているならば、わざわざ言う必要もない。
「今話を聞いて、何か思い出すことはあるか?」
「いいや、何も⋯⋯。別人の話聞いてるみたい」
「それならいい」
彼は、本当に良かったと思っているように、目を伏せて息を吐き出した。そんなに大変な事件だったのだろうか、と少し気になってしまう。時期的に、恐らく引っ越した理由も事件のせいなのだろう。しかし、思い出してしまうのは怖い。
「どうして、千翔くんは教えてくれたの?」
「朔先輩に、アリスに何か聞かれたら言っていいって言われてたから」
朔は臆病だから、自分では言えないのだ。
「あの人はアリスのことが大事すぎて、言えないんだ」
目を見開いて千翔くんを見る。相変わらず、考えていることはお見通しのようだ。
「朔の悪いところだね」
「隠される側からしたら、そうなのかもしれないな」
千翔くんはきっと、隠す側の人間なのだろう。
そうか、と気づく。朔も彼も、何かを隠していると分かっているから、それが何か気になってしまうのかもしれない。いつか、千翔が私を通して何を見ているか、面と向かって聞いてみたい。




